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新市街―光を浴びることがステータスとなったとき、人は透明な街に住む―

時空共通暦五十二年、地球、旧東京。


――明日から、石炭紀への旅が始まる。そんな実感は、まだなかった。


重層都市のてっぺん――第一層から、空を見上げる。


日はすでに、傾いてきている。



空があるところ、どこにいたって見えるものがある。


地平線に突き刺さるような、一本の線。見上げても、頂上は霞の向こう。


衝突防止灯が、きらきらと点滅している。


望遠鏡で拡大すると、無数のぷつぷつが、ゆっくり、ゆっくりと空へ昇っていく。




――軌道エレベーターだ。


あれをみるたび、マヨイアイオイクラゲみたいだと思う。




ケイは何度も、肩の荷物を確かめた。


――軽すぎる。


そう、荷物はもう、三週間も前に大学で荷詰めされて、一足先に旅に出てしまった。


あのくらげ――いや、軌道エレベーターの貨物便に乗せられ、空へとゆっくり上がっていったはずだ。




なのに、私はまだ地上にいる。




手持ちは、ほんのこれっぽっち。


街歩きでもするんですか、という軽装だった。


明日までに、空港につけばいい。


だから――今日くらい、街歩きしてもいいだろう。




ビルの隙間からふと、海が見える。水平線の、彼方。


重層都市礁は、まるで、陸に打ち上げられた巨大な船のようだ。


あるいは――ギアナ高地のテーブル・マウンテンにも、近い。


標高、250m。


見渡せば、重層都市礁が東京湾を囲うように、切り立った“壁”を並べていた。


かつての都市は塀で囲われ、セメントを流し込まれ、上に都市が建てられた。


幾ば世代と積み重なった都市の骸は、百メートル以上も地面を押し上げる。


海中で育ったサンゴ礁が、いつしか積み重なり海面に顔を出す。


――それに、よく似ている。


ひとはいつ、バベルの塔に届いてしまうのだろうか。




見下ろせば、そのふもとに、まったく異なる、別の街が広がっている。


――ガラス細工のような、新市街。


何度見ても、芸術品みたいだった。


少し触ったら、壊れてしまいそうな、合成樹脂製の街並み。


そこへ、いくつものスロープがおろされている。


――観光エスカレーターだ。




空の架け橋から見下ろせば、茜色の黄昏に、家々が煌めいている。


何もかもが、透明な街――。


双眼鏡で覗けば、家の中まではっきりと見てとれた。


キラキラと輝く街のあちこちで、土ぼこりを上がる。


夕日に照らされたクレーンが、黒い影を落としている。


建て替えは、十年に一度はするものらしい。


樹脂が黄ばんで、かすれてしまうから。


――なにもかも、逆だ。


コンクリ造りの重層都市礁に、自分の家というものはない。住処はすべて、何世代も前の、借り物。人工照明が一日を演出し、本物の空は、ステータス。


だから新市街の人々は、自由な空や自分の家に憧れ、大空に1~2階建ての透明な家を建て、しょっちゅう建て替えるのだろう。


――世界の歪みが、結晶化していた。


透明で、壊れやすくて、それでも空を求めて立ち並ぶ家々。


そんな街並みを、空を行くハシボソガラスの群れが、見下ろしていた。




新市街ができたのは――40年前。


時空植民がはじまったときだ。


それまで、重層都市の外での暮らしは、禁止されていた。


それまで何世紀も、生身の人類が暮らせる場所は、地球しかなかったから――


目の前に広がる街に住むのは、幾世紀も続いた抑圧からのがれ、自由を求めた人々


――そんなすべてが、重層都市礁に見下ろされていた。


目下に広がる、新しく、薄く、透明な街。


ケイは、肩を軽く振る。


すっからかんのザックの中身が、からから、と揺れた。


支援AI「TWINS」は、置いてきた。


石炭紀にはサーバーがないし、あの筐体のバッテリーは防火基準を満たさないから。


たまにはこういう、“軽い”ひとり旅もいいかもしれない。


――これから来る、古く、重く、みっしりとしたふたり旅の前日に。

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