クッキー
ダン「くよくよしてても始まらねぇよな。」『アレス。』
窯の炎、パチパチと薪の焼ける音を聞きつつ、クッキーの焼き具合を眺めていたダンは独り言を言った。その言葉は薄ら寒い家の中によく通って聞こえた。
そうだな。こういう時はうまい飯だ!どっか、食いに行くか!
ダン『アレスならそう言うかもな。』苦笑。
ダンは幻聴でもいいからアレスの言葉が聞きたかった。
ダンは王立病院で意識なく寝ているアレスに代わって、アレスの家の管理を任されていた。
ダン『ここは、一人で住むには広すぎるよ。』「よし!こんなもんかな?!」
窯からできた大量のクッキーを取り出す。ミトンから伝わるぬくもりがダンの心を温めた。出来具合を確かめるために一つ食べる。
ダン「我ながら、うめぇわコレ。」
すると、ダンのやつれた顔に活気が戻ってきた。振る舞う予定の3人の顔を想像するだけで嬉しくなった。
ダン「きっと、サヤは泣いて喜ぶぞ!」
ダンは家を出て王宮を目指した。
ダン「なんだ?あれ?」
手製のプラカードを掲げた何人かが広場に集まり、何かを高らかに叫んでいた。ソレを物珍しげに集まった民衆が眺めていた。
ダン「……民主化?」
その人達は重税と度重なる戦争と食糧難と特権階級と王政と、なんだかんだ言っていたが、興味のないダンには何のことかさっぱりだった。
すぐさま、駆けつけた騎士たちが集会を終わらせ、主催者を連行していった。
ダン「変なの。確かに、今年は去年より寒いかもしれないが、そんなに不作なのか?」
政治形態の良し悪しなんてダンには比較も想像もできなかった。
王宮に行く前に、騎士団の詰所にも顔を出す。
団長代理を務めるブリッジは執務室で忙しそうにしていた。アレスがそこに座っていた頃は、キレイに片付いていた机が、今では書類の山だ。人の気配にブリッジが書類から顔を出す。
ブリッジ「なんだよ?手伝ってくれるのか?」
慣れない書類仕事にメガネをかけ、悪戦苦闘しているであろう、目にクマができているブリッジのその口にダンはまだ温かいクッキーを放り込んだ。
ダン「明日は来るよ。」
ブリッジ「差し入れか、悪いな!」(モグモグ)
ブリッジはそのうまさに焼き菓子の入った袋を素早く受け取った。
すぐさま書類に目を通しながら、かじり始める。
喜んでもらえたとダンはウキウキしながら部屋を後にした。
王宮の、昼間も薄暗い北側の一室でサヤ姫は、魔女捜索の協力者の貴族が持ってきた報告書を見ていた。
サヤ「ウォール伯。思ったより、捜索が難航しておるではないか!どういうことが説明せい!」
アンドリュー「どうもこうも、まだ始まったばかりですし……」
サヤは焦っていた。
早く見つけねばアレスが永眠してしまう。そうでなくても軍拡派の大臣たちが「遅い。」とまた騒ぎ出すかもしれなかった。
アンドリュー「まぁ、サヤ姫もまだ国王に報告されてないようですから、気楽に行きましょう。」
サヤ『コヤツ、人の足元を見とるな。』「ならば、今日中にはお父様に婚約の件は報告しよう!それで良いな!」
アンドリュー「ハハハ、わかりました。こちらも急がせましょう。」
アンドリュー•ウォール伯爵はコレで公爵家にランクアップできる。王族の仲間入り、この国の後継者になる可能性ができるとあって、外の通路にも聞こえる大きな声で笑った。
アレス「魔物?」
ローザ「ええ、上流に人の声真似をする奴らがいるの。この都の女王様が手を焼いてるみたい。」
アレス「人を食うのか……。」
河原の大きめの石に腰掛けて声の正体について、妻のローザと話していたアレスは立ち上がった。
「アナタは昔話をするかと思ってた。」
どこからともなくローザの声が聞こえてきた。
ゾワッ
ローザは恐怖で青ざめている。アレスは咄嗟に声のした方にローザをかばう形で向き直った。
アレス「誰だ!」
霧から一人、灰色の毛で覆われた魔物が現れた。尖った尻尾がくねくねと忙しなく動いている。
魔物「あっはぁ!魔女の血が濃いやつが久々に食えると思ったのによぉ!」
ローザの声の魔物は丸腰のアレスを見てニタニタ笑っている。
ローザ「アナタ!」
ローザも立ち上がった。おびえる妻にアレスは小声で励ました。
アレス『大丈夫。俺は丸腰でも強いから。』「お前が件の魔物だな!」
魔物「けけけ、女もいただきだなぁ。」
魔物は舌なめずりをしている。その時、アレスの右手にローザが筒のような何かを握らせた。
アレス『これは?』
ローザ『都の外に行くから護身用にと、女王様にもらった光の剣です。』(カチッ)
光?
ビシュン!
アレス「!」
見るからに切れ味が鋭そうな刀身が筒から瞬間的に伸びた。
魔物もそれを見て焦っている。
魔物「うっわ!女王の罠か!?」
動揺する魔物にアレスは踏み込んで、一撃で切り捨てた。
魔物「ぎゃあぁ、聞いてないぞぉ!」
体を両断され、魔物はのたうち回りながら、瞬く間に灰になった。
ローザはソレを見てホッと安心した。アレスは両手で光の剣を掲げて眺めていた。
アレス「なぁ、ローザ。今のだけじゃなく、まだ他にも、あの魔物はいるんだろ?」
ローザ「えぇ。」
アレスは光の剣の刀身をしまうとローザに向き直った。
アレス「俺が、全部、切り捨ててやる!」
魔法使いのところでいつものように、魔法の勉強をしていたダンはサヤ姫がいないからと、上の空で授業を聞いていた。
魔法使い「……」
魔法使いはチョークを投げたがダンに当たる直前でチョークは空間に吸い込まれた。
魔法使い「お前のソレは何なんだろうな?」
ダンは魔法使いも知らない自分の特殊な能力にうんざりしながら答えた。
ダン「爺さんが知らないなら、もうお手上げだよ。」
ガチャ
その時、暗い顔をしたサヤ姫が入ってきた。
ダン「遅いよ、サヤ!」
サヤ「む、そんなに怒るな。いろいろ忙しいのじゃ。」
サヤはすましてダンの隣の席についた。同時においしそうな香りに気がつく。
魔法使い「ダンが作ってきたのです。姫もどうぞ?」(ポリポリ)
ダン「ヘヘッ」
ニコニコしたダンがサヤにクッキーの袋を渡した。一つサヤの口にもいれる。
サヤ「……うまいな!」
サヤはボロボロ涙を流しながら、それを味わった。
ダン「自信作さ!泣くほどうまいだろ?」
好き。
初めて人を好きになった。サヤは好きな人の居場所を、笑顔を守りたい。それが、国をも護ることにもなるのだからと、小さな身体で奮い立った。
サヤ『けど、何なんだろう?このさみしい気持ちは。』
叶わぬ恋なのだとわかっていた。王族の自分と騎士見習いのダンでは身分が違いすぎる。
かなうならこのまま、ダンの胸に飛び込みたい。
このあふれそうな気持ちを伝えたい。返事なんて関係ない。
サヤ「……ダンよ。また作ってきてくれな!」
ダン「任せとけ!」
ダンが帰った教室で、うつむきながらサヤは魔法使いと話をしていた。
サヤ「もう、わしはここにはこん。」
魔法使い「……ダンには、婚約の件は言わなくていいのですか?」
サヤはフリルのスカートを握りしめた。その両目に涙があふれる。
サヤ「どうして、言えよう!」
その日、家々の煙突から、夜空に夕飯の支度をする煙が上がる頃。国王の愛娘のサヤ姫と新進気鋭の大富豪ウォール伯爵との婚約を伝える号外が街中にばらまかれた。
執事から報告書を受け取ったジュリアスはその結果に満足げだった。
ジュリアス「……政治的空白は、軍事的な空白を意味するってのに呑気なものだな。」
ジュリアスは報告書を机に放って、席から立ち上がった。
執事「このまま、支援を続けます。」
ジュリアス「銃器も提供を開始しろ。」
執事「かしこまりました。」
深々とお辞儀をする執事にジュリアスは背を向けて窓の外の街並みを眺めた。
ジュリアス「この国も帝国制に移行するまでに王政、民主革命を経験してきた。どの期間にも、どの国にも特権階級とそれに不満を募らせる分子は存在するものだな。」
執事は一礼して部屋を出ていった。
ジュリアスは窓から夜の月を見上げた。
ジュリアス「……くすぶっている薪に燃料を投下する。リエールの王宮が燃え上がるのが待ち遠しいな。」
次第に、月は大きな雲に覆われて、闇が訪れた。
ジュリアスもそれと同時に部屋を後にした。