第9話 元部下に「私を、あなたのそばに置いていただけませんか……」と言われてしまった。どうしたらいいんだ?
長かった夜が明けようとしていた。
血と煤煙の匂いが未だ生々しい戦いの跡地を、夜明け前の冷たい空気が包み込んでいる。
【煤煙の狼】の頭目と構成員たちは、自警団の生き残りと、ノエルの手配で駆けつけた帝国騎士団の応援によって、昨夜のうちに拘束されていた。
夜を徹して行われた負傷者の手当てや残党の捜索、救出された村人たちの保護といった後処理もようやく一段落した。
激しい戦闘の喧騒は嘘のように静まり返り、今は焚き火のはぜる音と、時折聞こえる負傷者のうめき声だけが響いていた。
俺は、その焚き火のそばでアリアの腕の傷に手当てを施していた。
幸い、骨に異常はなさそうだ。
それでも、深い切り傷は痛々しく、白い肌には痛々しい血の痕がいくつも残っている。
「……っ」
消毒用の薬草を傷口に当てると、アリアが小さく息を詰めた。
「悪い、染みるか」
「いえ……大丈夫です。隊長こそ……お怪我は……?」
俺は黙って首を横に振る。
無傷だった。
アリアは、俺の顔をじっと見つめていた。
その碧眼が、ゆらゆらと揺れている。
やがて、ぽろり、と大粒の涙が彼女の頬を伝った。
一度流れ出すと、それは堰を切ったように次から次へと溢れ出し、彼女の膝を濡らす。
「あ……の……すみませ……」
「大丈夫だ」
助けられた安堵。
仲間を失いかけた恐怖。
そして、俺が再び剣を振るったことへの……様々な感情が、彼女の中で渦巻いているのだろう。
「俺はもう、ただのカフェのマスターだ。これ以上の騒ぎはごめんなんだ」俺は手当てを終えた腕に包帯を巻きながら、努めて淡々と言った。「今回の件、表向きは『アリア隊長率いる騎士団の活躍により、頭目を討ち取った』という筋書きでいく。お前も、ノエルも、リリスも口裏を合わせてもらう。いいな?」
焚き火の影に控えていたノエルと、いつの間にか近くに来ていたリリスが、それぞれの表情で頷いた。
「はい。隊長の、望むように」
アリアは、しっかりと俺の目を見て頷いた。
彼女は、俺の「再起不能」が偽りであることを確信しただろう。
これで、もう俺のそばにいる意味もない。
少しさびしくなるが、俺は平穏な日常を、ようやく取り戻すことができるようだった。
夜が完全に明けた。
ボルック村長をはじめ、町の者たちには、事前に打ち合わせた通り「【暁光】のアリア隊長が獅子奮迅の活躍で盗賊団の頭目を討ち取り、ミルウッドの危機を救った」と報告された。
アリアは、戸惑いと、俺に対する申し訳なさで顔を赤らめながらも、英雄としての賞賛を一身に受けていた。
その隣で、俺は【負傷した騎士の世話を焼いていたカフェのマスター】として、目立たぬように振る舞う。
数日後、カフェ【木漏れ日の止まり木】には、以前と変わらない日常が戻りつつあった。
「では、マスター。私は一旦、帝都へ戻り、報告してまいります」
カウンターで俺の淹れたコーヒーを味わっていたノエルが、静かに告げた。
モノクルの奥の瞳は、どこか意味深長に光っている。
「ああ。頼む」
「……鉱山で見つかった『例の物』については、公式報告とは別に、慎重に調査を進めます。あれは、少々厄介な代物かもしれませんので」
「そうか。助かる」
多くを語らずとも、ノエルには俺の懸念が伝わっているようだった。
彼女は軽く会釈すると、静かにカフェを後にした。あいつのことだ、帝都でも上手く立ち回るだろう。
入れ替わるように、裏口からそっと顔を出したのはリリスだった。
その腕には、森で採れたらしい薬草や木の実が入った籠を抱えている。
「……隊長……これ……傷に、効く……あと、これ……栄養、ある……」
言葉少なだが、その瞳は真っ直ぐに俺を見つめている。
「ありがとう、リリス。助かるよ。うちのカフェの新しい仕入れルートとして、これからも頼む」
「……うん。がんばる」
はにかむように笑うと、リリスは手際よく薬草を棚にしまい始めた。
いつの間にか、彼女はカフェの静かな常連としての居場所を見つけたようだった。
アリアやノエルの協力により、俺は望んでいた「ただのカフェのマスター」としての目立たない生活に、なんとか戻ることができたように見えた。
客足はアリアの存在のおかげだろう、以前よりも増えている。
ヘイゼルおばさんなどは、アリアを見るたびに「いつ嫁にもらうんだい?」とからかってくるのが少々厄介だが、それもまた、平穏な日常の一コマなのだろう。
だが、俺の内面は、決して穏やかではなかった。
再び「灰色の死神」としての力を振るってしまったことへの自己嫌悪。
それでも、アリアや名も知らぬ村人たちを守れたことへの、ほんのわずかな安堵。
そして何よりも、あの鉱山で目にした「鉱石の兵器転用」という新たな脅威の存在。あれが世に出回れば、どれだけの血が流れることになるか……。
本当の平穏は、まだ遠い。
時折、カウンターで一人、客のいない午後に、俺は遠い目をしてそんな物思いに耽ることがあった。
アリアは、相変わらずカフェの仕事を手伝ってくれている。
以前のように、俺が重傷だと信じ込んでいるわけではないはずだ。
あの戦いで、俺の力が衰えていないことは、誰よりも彼女が理解しているだろう。
それなのに、なぜ彼女はまだここにいるのだろうか。
俺のそばにいる理由など、もうないはずなのに。
そんな疑問が頭をもたげ始めたある日のことだった。
その日の営業を終え、最後の客が帰った後のカフェ【木漏れ日の止まり木】。
ランプの灯りが、静かに店内を照らしていた。
後片付けをするアリアの背中に、俺は声をかけた。
「アリア」
「はい、マスター。何か?」
振り返った彼女は、いつもと変わらない。
「……お前、いつまでここにいるつもりだ?」
「え……?」
アリアはきょとんとした顔で俺を見返す。
「とぼけるなよ。お前も分かっているはずだ。俺の『再起不能の重傷』なんてものは、全部嘘だ」俺は真っ直ぐに彼女の目を見据えた。「お前が俺の世話をする理由も、ここに留まる理由もないはずだ。騎士団に戻れ。お前の居場所は、ここじゃないだろう。お前の力を必要としている人がいるはずだ」
アリアは、俺の言葉を黙って聞いていた。
その表情からは、何を考えているのか読み取れない。
やがて、彼女はふっと息を吐き、そして、以前よりもずっと落ち着いた、しかし強い意志を秘めた声で言った。
「隊長……いいえ、マスター。あなたが『再起不能』ではないことは、あの夜、はっきりと分かりました」彼女の碧眼が、俺を射抜くように見つめる。「だからこそ、です」
「……何が言いたい?」
「以前は、マスターの『療養』をお手伝いするために、ここにいるのだと自分に言い聞かせていました。ですが、今は違います」アリアは一歩、俺に近づいた。「私は、レイド・アシュフォードという一人の人間を、私の意志で支えたいのです。あなたが平穏を望むのなら、その平穏を守る盾の一つになりたい。もし、あなたが再び戦うことを選ぶ日が来るのなら……その隣に立つ剣でありたい」
その言葉に、嘘やごまかしは微塵も感じられなかった。
「……馬鹿なことを言うな。俺はもう戦わない。ただ静かに暮らしたいだけだ」
「存じています。ですから、私はここで、マスターのカフェのお手伝いを続けたい。……マスターにとって、私の存在がご迷惑でないのなら」
アリアは、そこで言葉を切り、深々と頭を下げた。
「どうか、お願いします。私を、あなたのそばに置いていただけませんか」
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