第8話 元最強のおっさん(35)、皆を救う
埃をかぶった長剣の柄を、無意識に握りしめていた。
指先に残る、冷たい鉄の感触。
それは、俺が捨て去ったはずの過去だ。
「……ちっ」
小さく舌打ち一つ。
平穏な日常。
淹れたてのコーヒーの香り。
常連たちとのたわいないおしゃべり。
そんな、ありふれた幸せを守るために、再びこの鉄塊を握る羽目になるとは。
皮肉なもんだ。
「これは貸しだからな、お前ら……」
誰に言うでもなく呟き、俺はカフェ【木漏れ日の止まり木】の扉を開けた。
夕暮れ前の、オレンジ色に染まり始めたミルウッドの空気が、わずかに頬を撫でる。
感傷に浸っている暇はない。
目指すは【煤煙の狼】のアジト――ミルウッドの森の奥にあるという廃鉱山。
最短ルートを頭に叩き込み、俺は駆け出した。
森の中は、すでに薄暗くなり始めていた。
だが、不思議と足取りは軽い。
まるで、身体がこの感覚を覚えているかのように。
リリスが事前に教えてくれていたアジトへの隠し通路。
そこかしこに、巧妙に無力化された罠の痕跡が見える。
さすが、リリスは仕事が早い。
「……ここか」
目の前に現れたのは、岩肌にぽっかりと口を開けた古びた坑道。
陽動が効いているのか、あるいはリリスが手際よく片付けたのか、入り口の警備は驚くほど手薄だった。好都合だ。
息を殺し、闇へと滑り込む。
坑道内部は、カンテラの灯りが頼りなく揺れているだけだった。
鼻につくのは、湿った土の匂いと……微かな血の匂い。
奥から、くぐもった人の声。
間違いない、村人たちだ。
物陰から飛び出し、見張りの盗賊の首筋に手刀を叩き込む。
声も上げさせずに昏倒。
もう一人。剣の柄で鳩尾を強打。
「静かにしろ。助けに来た」
怯えた目でこちらを見る村人たちに短く告げ、手早く縄を解いていく。
その間も、聴覚は周囲の警戒を怠らない。
足音。
三人。
新手か。
「おい、何してやがる!」
発見された。
まあ、時間の問題だったが。
俺は村人たちを背にかばうように立ち、埃をかぶっていた長剣を抜き放った。
キィン、という澄んだ金属音が、やけに耳に響く。
「お前らの相手は、俺だ」
元ナイトオウル隊長の剣術は、お前ら山賊風情がどうこうできるレベルじゃない。
一人が斧を振りかぶってくる。
遅い。
踏み込み、剣閃。
斧が宙を舞い、盗賊が腕を押さえてうずくまる。
二人目が槍を突き出してきた。これも見え見えだ。
剣で弾き、体勢を崩したところに蹴り。
壁に叩きつけられ、動かなくなる。
最後の一人は……戦意喪失か。腰が引けてやがる。
「さっさと失せろ。次は無い」
脅しつけると、哀れなほど慌てふためいて逃げていった。
さて、これで終わりではなさそうだ。
この鉱山、思ったより奥が深い。そして……。
「……なんだ、これは」
坑道の脇道。
そこに、妙なものを見つけた。
無造作に置かれた木箱。
中には、あの「煤煙の狼」が使う特殊な黒い鉱石がぎっしりと詰まっている。
そして、その隣には……明らかに試作品と分かる、歪な形状の鉄の筒。
おそらく、あの鉱石を詰めて使うのだろう。
横には、何かの設計図らしき羊皮紙も散らばっている。
描かれているのは、複雑な機構を持つ何らかの装置……呪具の一種か、あるいはそれを応用した未知の兵器か。
この鉱石と設計図、そしてあの煤煙……。
まさか、ただの盗賊がこれを考え付いたとは到底思えない。
何者かが、この鉱石の特性を利用した新たな兵器を開発し、この盗賊団に製造、あるいは実験させていた……?
輸出するのか、どこかで加工するのか……いずれにせよ、とんでもない代物だ。
ただの盗賊団の仕業じゃない。背後に、もっと大きな何かがいる。
事態は俺の想像以上に厄介な方向へ転がっているらしい。
クソっ、面倒事が雪だるま式に増えていく。
その時だった。
懐に入れていた小さな魔道具――ノエルが持たせてくれた簡易通信機が、微かに振動した。
『――緊急事態。アリア、極メテ危険ナ状態』
ノエルからの通信だ。
アリアが、危険……だと?
「場所は!?」
『第三カーブ付近……敵本隊ト交戦中。頭目ノ呪具……極メテ強力……救援ヲ……!』
そこで通信は途切れた。
だが、それで十分だった。
俺は踵を返し、鉱山の入り口へと再び駆け出す。
村人たちの安全確保は……リリスに任せるしかない。
あいつなら、うまくやるだろう。
――待ってろ、アリア。
常人ではありえない速度で森を駆け抜ける。
木々が、景色が、後ろへ飛んでいく。
身体の奥底で、何かが燃え上がるような感覚。
ああ、そうか。俺は……怒っているのか。
誰に対して?
盗賊にか?
それとも、こんな状況にアリアを追い込んだ自分にか?
分からない。
だが、今はどうでもいい。
街道に出ると、そこは地獄だった。
もうもうと立ち込める黒い煙。
金属がぶつかり合う甲高い音。
悲鳴。
怒号。
そして、その中心に――アリアがいた。
彼女の鮮やかな赤毛は煤と血で汚れ、肩で荒い息をつき、その白い頬には痛々しい切り傷が走っている。
鎧のあちこちが破損し、消耗しきっているのは明らかだった。
だが、その瞳は死んでいない。
ボロボロになりながらも、折れた剣の切っ先をどうにか敵に向け、血を流す足でふらつきながらも、なお戦う姿勢を崩していなかった。
その周囲には、数人の騎士団員が倒れている。
対峙しているのは、ひときわ大柄な男。
あれが頭目か。
その手には、禍々しい光を放つ歪な杖のようなものが握られている。
あれが呪具に違いない。
「アリアッ!」
俺の声に、アリアがハッとしたように顔を上げた。
その瞳に、一瞬安堵の色が浮かんだように見えた。
だが、その瞬間、頭目の呪具が黒い霧を噴き出し、アリアの視界を奪う。
「ぐっ……!」
アリアが苦悶の声を漏らし、ついに膝をつく。
頭目が、とどめを刺そうと呪具を振り上げた。
間に合えッ!
地面を蹴り、アリアの前に滑り込む。
頭目の呪具の一撃を、抜き放った剣で受け止めた。
ガギンッ! と耳をつんざく衝撃音。
腕が痺れる。
だが、止めた。
「……隊長……?」
アリアの、か細い声。
ああ、その呼び方はやめろと言ったはずだが……今は、それどころじゃない。
「遅くなって、悪かった」
短く告げ、頭目を睨み据える。
「邪魔者が増えたか」頭目は言った。「だが、この力の前では、何者も俺には叶わない!」
頭目が再び呪具を構え、黒いエネルギーがその先端に禍々しく収束していく。
奴の唇が何事かを紡ぎ、呪具から破滅的な一撃が放たれようとした、まさにその刹那――。
俺の全神経が、奴の一点に集中する。
狙うは、呪具そのもの。それ以外は無い。
地を蹴る。
コンマ数秒にも満たない踏み込み。
閃く長剣は、夜空を走る流星の如く、寸分の狂いもなく呪具の核へと吸い込まれていく。
それは舞うような華麗さとは無縁の、ただ効率のみを追求し、研ぎ澄まされた一撃。
かつて「ナイトオウル」として、数え切れぬほどの修羅場を潜り抜けてきた剣技の到達点。
剣閃。
ただ、それだけ。
聞こえたのは、硬質なものが砕ける、ごく短い音。
パリンッ!
乾いた破壊音と共に、頭目の手の中で呪力の中枢を貫かれた呪具が、まるでガラス細工のように粉々に砕け散った。
込められていた魔力は行き場を失い、制御不能な火花となって周囲に飛び散る。
濃密な黒い煙も、まるでそれを支えていた柱が折れたかのように、急速にその勢いを失い、薄れていく。
「な……に……?」
力を失い、呆然と立ち尽くす頭目。
その顔には、今、目の前で何が起きたのかを全く理解できていない、信じられないものを見たという驚愕の色が浮かんでいた。
あまりにも速く、あまりにも正確な一撃だったからだろう。
俺は、剣の切っ先を奴の喉元に突きつける。
ああ、そうだ。
この感覚――【灰色の死神】と呼ばれた日々は、決して過去の幻影などではなかったのだと。
その冷たい鉄の感触が思い出させてくれた。
カクヨムで新作書いてます!
『童貞のおっさん(35)、童貞を捨てたら聖剣が力を失って勇者パーティーを追放されました 〜初体験の相手は魔王様!? しかも魔剣(元聖剣)が『他の女も抱いてこい』って言うんでハーレム作って世界救います!〜』
https://kakuyomu.jp/works/16818622176113719542
本作を楽しんでいただける読者の方におすすめです!!
ぜひ第1話だけでも読んでみてください!!
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