第6話 月影は森に何を囁く――【影狼】リリス
薄暗いミルウッドの森の奥深く。
俺――レイド・アシュフォードは、元部下のアリアとノエルと共に、獣道を進んでいた。
「マスターがご一緒とは、心強いです」
アリアは相変わらず元気だ。
ノエルは冷静に周囲を観察している。
「気を抜くなよ。見られているかもしれん」
俺の低い声に、二人の緊張が高まる。
やがて、巧妙な罠や焚火の跡など、「森の狩人」のものらしき痕跡が見つかった。
素人ではない。
気配を消し、森と一体化する術を心得ている。
「かなりの手練れだ。元専門家かもしれん」
ノエルも俺の分析に同意する。
「痕跡から推測するに、極めて高度なサバイバル技術と、この森に対する深い知識を有しているようです。マスターのご推察通り、ただの狩人ではなさそうですね」
やがて、木々の合間に古びた狩猟小屋が見えてきた。
俺たちが慎重に小屋へ近づこうとした、その瞬間だった。
まるで森の影から滲み出るように、フードで顔を深く隠した人影が音もなく現れた。
小柄だが、その存在感は異様だ。
手には弓。
矢がつがえられ、その切っ先は正確に俺たちを捉えていた。
強烈な警戒心と、研ぎ澄まされた殺気。
アリアが咄嗟に剣を抜こうとするのを、俺は手で制した。下手に動けば射抜かれる。
「我々に敵意はない」
俺が努めて冷静に声をかける。
フードの奥の顔は見えない。
だが、その人影が俺の声を聴き、ピクリと微かに動いた気がした。
数瞬の沈黙。
やがて、フードの奥から、試すような、そして微かな希望と不安が入り混じったような、囁く声が漏れた。
「……月影は?」
その声、その言葉の断片。
俺の脳裏に、遠い記憶が稲妻のように閃いた。
まさか……。
「……森に何を囁く、か?」
俺がそう応じると、フードの人影の肩が大きく震えた。
ゆっくりと、震える手でフードが下ろされる。
現れたのは、黒髪。そして、大きな瞳を持つ少女の顔だった。
「……やっぱり……隊長……?」
その声は感極まったように震えていた。
「【影狼】リリスか……?」
俺の問いに、彼女はこくこくと何度も頷き、その大きな瞳から一筋、涙が頬を伝った。
リリスは、おずおずといった様子で俺に近づいてきた。
そして、俺のすぐ隣に立つと、まるで小動物のように、俺の耳元に顔を寄せ、囁くように言った。
「隊長……。お久しぶり、です……。」
その声は小さく、吐息が混じるほどだった。
こいつは昔からこうだった。人見知りが激しく、まともに会話できるのは俺くらいのものだった。
他の隊員には、ほとんど口を開かなかったはずだ。
「ああ、久しぶりだな、リリス。まさかお前がこんな所にいるとはな」
リリスは、俺の言葉にこくりと頷くと、小屋の方を指差した。
「……どうぞ……。話は、中で……」
案内された小屋の中は質素だったが、狩猟道具が手入れされて置かれ、彼女の生活の痕跡がそこかしこに見られた。
壁には乾燥させた薬草が吊るされ、床の隅には動物用の小さな寝床のようなものも見える。
リリスは、ぎこちない手つきでそのハーブティーを淹れてくれた。
相変わらず、他人との距離感が独特だ。
アリアとノエルは、そんなリリスの様子を興味深げに、しかしどこか遠巻きに見守っている。
「……【煤煙の狼】……森を、荒らす……。私の、縄張り……」
リリスは、ぽつりぽつりと語り始めた。
彼女がこの森で静かに暮らしていたこと。
「煤煙の狼」が、その森の生態系を乱し、彼女の生活を脅かしていること。
だから、独自に彼らを追っていたのだという。
そして、彼女は地図を広げ、震える指である一点を指し示した。
「……アジト……多分、ここ……。訓練された、山犬……狼も、いる……」
さらに、彼女は小さな袋から黒っぽい鉱石を取り出して見せた。
「……これが、煙の元……。特別な、鉱脈……彼らの、縄張り……」
【煤煙の狼】が使う特殊な煤煙。
その発生源となる鉱石と、それを採掘している鉱脈の存在。
これは、とんでもない情報だ。
一通り話し終えると、リリスは俺の顔をじっと見上げた。
その瞳には、元上官に対する複雑な感情が揺らめいているように見えた。
「ちょっと話は変わるが」俺はハーブティーのカップを置き、改めて彼女に向き直った。「どうして……騎士団を辞めたんだ?」
俺の問いに、リリスはぴくりと肩を揺らし、少し俯いてしまった。
その小さな背中が、なんだかとても頼りなく見える。
リリスはしばらく黙っていたが、やがておずおずと顔を上げ、俺の隣にそっと近づくと、また耳元に唇を寄せた。
「……隊長が……いなくなってから……」囁くような声は、途切れ途切れだった。「……みんな……こわい……。うまく、話せない……」
その言葉に、俺は胸の奥がちくりと痛むのを感じた。
俺が「ナイトオウル」を去ったことが、この不器用な少女の居場所を、結果的に奪ってしまったのかもしれない。
「……ひとり……。でも……動物は、平気……。森は、静かで……好き……」
リリスはそう言うと、小屋の隅で丸くなっている、怪我の手当てをされたらしい子狐に優しい視線を向けた。
その子狐も、リリスの視線に気づいたのか、小さく一声鳴いた。
どうやら、彼女はこの森で、動物たちと静かに心を通わせて生きてきたらしい。
「……そうか」
俺はそれ以上何も言えず、ただリリスの頭にそっと手を置いた。
彼女は一瞬びくりとしたが、俺の手を振り払うことはなかった。むしろ、少しだけ安心したような表情を見せた気がする。
結局、俺の身勝手な引退が、こいつの人生をも狂わせていたのか……。
「まあ、お前がここで平穏に暮らしているなら、それが一番だ」俺は努めて明るい声で言った。
黙って状況を見守っていたノエルが、ここで静かに口を開いた。
その片眼鏡の奥の瞳は、真っ直ぐにリリスを見据えている。
「リリスさん。あなたのその平穏を脅かす存在がいるのなら、話は別です。【影狼】リリス。あなたの森における知識とサバイバル技術、そして斥候としての能力は、我々が【煤煙の狼】を排除する上で不可欠と判断します。どうか、力を貸していただけませんか」
ノエルの言葉に、リリスはこくりと力強く頷いた。
その瞳には、先程までの頼りなさは消え、かつての【影狼】リリスの鋭い光が戻っていた。
「……わかった……。隊長のために頑張る……」
いや、俺のためじゃなくて自分のために頑張れ。
あと、隊長じゃなくてカフェのマスターだ。
とにかく、これで役者は揃った、ということだろうか。
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