第5話 現地調査ではなく、ただの散歩と言い聞かせながら……。
まだ肌寒い風が吹き抜ける辺境の街道を、俺は二人の元部下と共に歩いていた。
俺たちは、ランチタイムを終えてカフェが暇になったので、街道の偵察を行っていた。
これは仕事ではなく、ただの散歩だと言い聞かせながら……。
左隣では、元副隊長のアリアが、まるでピクニックにでも来たかのように目を輝かせている。
その腰にはしっかりと長剣を佩いているのが物騒だが。
こいつは俺が偵察に同行すると決めた途端、それはもう大喜びで準備を始めた。
その忠誠心は買うが、もう少し落ち着きというものを覚えてほしいもんだ。
右隣には、元情報分析官のノエル。
こちらはいつも通りの涼しい顔で、時折周囲の地形や植生に鋭い視線を送っている。
ノエルが不意に立ち止まり、周囲を見回していた。
そこは、街道が緩やかに蛇行していた。
片側が小高い丘となって、鬱蒼とした木々が覆いかぶさるように生い茂る。
もう片側は人の背丈ほどもあるごつごつした岩が点在する森の入り口へと繋がっている場所だった。
見通しが悪く、道の幅も心なしか狭まっている。
ノエルが立ち止まった理由がわかった。
「たしかに、このあたりは罠を設置するのに良いかもな」と俺は言った。
「さすがですね。マスター。その観察眼、少しも鈍ってはおられませんね」ノエルは微笑む。「ここは……敵を待ち伏せ、あるいは特定の方向に誘導するには格好の場所ですね。風向きを読み、あの岩陰や木々の間にいくつか仕掛けを施せば、煤煙の効果を最大限に高めつつ、敵の足を効率的に止められるかもしれません」
ノエルが地図に何かを書き込んでいた。
そのまま道を進んでいく。
ふと、俺は地面に残された奇妙な足跡に気づいた。
犬のものに似ているが、通常の野犬や狼にしては、どこか統率が取れているような……妙に規則的な歩幅。
「これは……軍用犬か、それに類する訓練された獣の足跡だな。ただの野盗が使う手合いじゃないぞ」
俺の指摘に、アリアが眉をひそめる。
「訓練された獣……。厄介ですね」
ノエルは屈み込み、手早く足跡のスケッチを始めた。さすが仕事が早い。
さらに進むと、今度は地面に黒い煤の痕跡が点々と残っているのを見つけた。
ノエルが慎重にそれを少量採取し、小さな革袋に入れる。
俺も屈んでその燃えカスを観察する。
鼻を近づけると、微かに異様な臭いがした。
そして……なんだ? この微かな感覚は。
「マルコさんの証言にもあった煤煙。これが発生源でしょう。風向きによっては、広範囲の視界を奪い、刺激臭で行動を阻害する……。実に厄介な代物です」
ノエルが冷静に分析する。
その後、街道沿いにある小さな集落や、森の入口に近い猟師の小屋へ立ち寄り、ノエルが中心となって聞き込みを開始した。
俺とアリアは少し離れた場所で待機する。
ノエルの情報収集能力は相変わらずだ。
物腰柔らかく、それでいて的確に相手の警戒を解き、必要な情報を引き出していく。
時には世間話に花を咲かせ、時には相手の困り事に親身に耳を傾けるふりをして、いつの間にか懐に入り込んでいる。
あれはもはや技術というより、芸術の域だな。
「……ノエルさんは、お話が上手ですよね」
「そうだな」
よくわからない会話だな、と思った。
「私は、ああいう風には話せません。口下手です」
「あれはノエルの特殊技能だ。真似しようとして真似できるもんじゃない」俺は苦笑しつつ、アリアの頭に軽く手を置いた。「それに……アリアには、アリアの良さがある。お前の言葉は、飾り気はないかもしれんが、いつも実直で、心がこもっている。だから、相手にも真っ直ぐ伝わるんだ。俺はそういうアリアの話し方が、信頼できて好きだぞ」
アリアは顔を上げ、大きく目を見開いた。
そして、次の瞬間にはみるみるうちに顔を赤らめ、再び俯いてしまう。
「あ、ありがとうございます、マスター……。そ、その……光栄、です……」
声が上ずり、しどろもどろになっている。
素直で分かりやすい反応が、なんともこいつらしい。
しばらくして、ノエルが戻ってきた。その表情には、確かな手応えがあった。
「興味深い情報をいくつか得られました。特に、この森に最近現れたという『森の狩人』の噂は気になります」
「『森の狩人』……?」俺は聞き返した。
「はい。曰く、若い女性で、弓の腕は相当なもの。獣の罠や盗賊の隠れ家を見つけては、自警団にこっそり知らせているそうです。姿をあまり人前に現さないため、そう呼ばれているとか」
「その『森の狩人』とやらは、どこへ行けば会えるんだ?」
俺の問いに、ノエルは地図の一点を指差した。
「確実な情報は掴めていませんが、この辺りの森深くに、彼女が使っていると思われる古い狩猟小屋がある、という話が」
ノエルの指し示す場所は、ミルウッドの森のさらに奥深く。
通常の猟師が踏み入れるには、少々危険な区域だ。
「……そうか。若い女の狩人、ね」俺は腕を組み、しばし思考を巡らせる。「ただの猟師にしては、話が出来すぎている気がするな。自警団に匿名で情報提供、か。まるで、自分の存在を隠しながら、森の秩序を保とうとしているみたいじゃないか」
アリアがごくりと唾を飲む音が聞こえた。
「マスター、その狩人が『煤煙の狼』と敵対しているなら、味方になってくれる可能性も……?」
「かもしれん。だが、素性が知れない以上、慎重に事を運ぶ必要もある」
俺は一度目を閉じ、そして、ゆっくりと開いた。腹は決まった。
「よし、俺も行こう」
「……よろしいのですか? 我々だけでも接触は可能ですが」
「まだ、敵か味方かもわからない。なにかあったときのために、俺もついていくよ。いや、俺はただのカフェのマスターで、もう戦ったりしないけどな」
俺の言葉に、アリアの顔がぱっと輝いた。
ノエルは黙って頷くと、地図を再度確認し、森の奥へと続く微かな獣道を指し示した。
「こちらです。足元が悪くなりますので、お気をつけください」
結局、俺が率先して面倒事に首を突っ込む羽目になるのか。
平穏なスローライフは、一体いつになったら俺の元に訪れるのだろうか。
だが……この状況が嫌いじゃない自分がいるのも、また事実だった。
かつての「ナイトオウル」隊長としての血が、わずかに騒ぎ始めているのを感じながら、俺は一歩、薄暗い森の中へと足を踏み入れた。
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ぜひ第1話だけでも読んでみてください!!
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