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第3話 【静寂】のノエルの協力要請

 翌朝。

 開店準備もそこそこに、アリアはカウンターで熱心に何かの資料に目を通していた。

 俺が淹れたての珈琲を彼女の前にそっと置く。

 顔を上げたアリアは、まるで昨日の会話の続きを促すかのように、期待に満ちた眼差しを俺に向けた。


「隊長、おはようございます。本日の【煤煙の狼】討伐作戦会議ですが、午前と午後、どちらがよろしいでしょうか」


「待て待て、アリア。まだ何も決まってないし、そもそも俺はただの珈琲屋の主人だって言ってるだろ」


 こいつの頭の中では、もう俺が指揮を執るのが既定路線になっているらしい。

 まったく、人の話を聞かん女だ。


「ですが、昨夜は前向きにご検討いただけると……」


「『考える』と言っただけだ。それ以上でもそれ以下でもない」


 きらきらとした瞳で見つめられると、どうにも居心地が悪い。

 マルコのこともあるし、このまま放置していい問題でないのは確かだ。

 だが、だからといって俺が前面に出る義理もないはずだ。


「そんなに急かすな。少し頭を整理する時間が欲しい。いいだろ?」


 俺がそう言うと、アリアの表情がぱっと輝いた。本当に分かりやすいやつだ。


「はい。もちろんです、隊長」


「隊長じゃなくてマスターな。期待はするなよ。本当に、ちょっと状況を客観的に見たいだけだ」


 釘を刺しつつ、俺は上着を羽織った。


「ちょうど珈琲豆も切れそうだ。少し買い出しに行ってくる。店のことは頼むぞ。……くれぐれも、一人で突っ走るんじゃないぞ」


「はい、お任せください。いってらっしゃいませ、マスター」


 元気よく敬礼するアリアに見送られ、俺はカフェのドアを開けた。


 まったく、どうしてこうなった。

 俺はただ、静かに珈琲の香りに包まれていたいだけなんだがな……。


 ミルウッドの町は、今日も変わらず穏やかな時間が流れている。

 ありふれた日常こそが、今の俺にとってはかけがえのないものだ。


 買い物を終え、カフェへと戻るため町の小さな広場を通り抜けようとした時だった。

 広場の一角には、この町の治安維持の要である自警団の詰所がある。

 普段は昼間から酒臭い団員が居眠りしているか、子供たちがチャンバラごっこをしているような、どこか気の抜けた場所なのだが、今日は何やら様子が違った。

 詰所の入口のあたりに数人の自警団員が集まり、見慣れない人物を囲んで緊張した面持ちで話し込んでいる。


 ん……?

 あの立ち姿は……。


 人垣の中心にいるのは、一人の女性。

 背筋が伸び、どこか張り詰めた空気をまとっている。

 旅人風の機能的な服装に、肩口で切りそろえられた銀に近い淡いプラチナブロンドの髪。


 そして、その女性がふとこちらを振り返った。

 きらりと光る片眼鏡モノクルの奥の、湖面のように静かな瞳が、俺の姿を正確に捉える。

 ほんのわずかに、彼女の瞳は驚きの色を浮かべた。


 間違いない。

 帝国騎士団特務部隊「ナイトオウル」情報分析官、【静寂】のノエル。


 なぜ彼女が、こんな辺境の町に?


 ノエルは自警団員たちに一言二言指示を出すと、こちらへ向かって歩いてきた。

 その足取りは相変わらず静かで、無駄がない。


「隊長殿。このような場所でお会いするとは、奇遇ですね」


 本当に奇遇か? 怪しいもんだが……。


「お前こそ、どうしてこんな所にいる?」


「帝国より特命を受け、このミルウッドに派遣されております」


 ノエルはそう言って、軽く肩をすくめた。

 その仕草は昔と変わらない。懐かしい。


「【煤煙の狼】の件か?」


「ご明察の通りです。この盗賊団は、帝国が看過できないレベルの脅威になりつつあります。私は現地の状況把握と対策立案のために参りました」


 なるほど。そういうことか。

 辺境の盗賊団とはいえ、その手口の特異性や被害の広がりが、中央の耳にも届いたということだろう。

 ノエルのような専門家が送り込まれてくるというのは、事態が俺の想像以上に深刻である可能性を示している。


「詳しい話は、場所を変えたいのですが……隊長は、この後お時間は?」


「もう隊長じゃないけどな」


 それから、俺はノエルを連れてカフェへと戻った。


 アリアが驚いた顔で、俺とノエルを迎えた。

 俺は手早く三人分の珈琲を淹れ、それぞれの前に置く。


 ノエルは静かにカップを手に取り、一口含むと、ほう、と小さく息をついた。


「この香り、この味わい。隊長のお顔を見てから、ずっとこれを思い出していました」


「口に合ったなら何よりだ」


 以前、野営中にコーヒーをノエルに振る舞ったことがあったのを思い出していた。


 一息ついたところで、ノエルはテーブルの上に持参した革の鞄から、数枚の羊皮紙と折り畳まれた地図を取り出し、ゆっくりと広げ始めた。


 ふと、ノエルの視線がアリアに向けられた。

 そのメイド服姿を上から下まで値踏みするように眺めると、ノエルの唇の端に、ほんの僅かだが、からかうような笑みが浮かんだように見えた。


「その服装……以前、私がいくつかご提案した、意中の男性への効果的なアプローチプランを早速実行に移されたのですね」


 ノエルの言葉に、アリアは顔をカッと赤らめ、わたわたと手を振った。


「ノエルさん! そ、それは、その……」


「おや、何か問題でも? あなたの『長期休暇』を有意義に活用するための、ささやかなアドバイスのつもりでしたが」


 やはりこいつが一枚噛んでいたか。

 どうりでアリアがこんな突拍子もない格好で押しかけてきたわけだ。

 俺の居場所をアリアに教えたのも、十中八九このノエルだろう。


 まったく、どこまでお見通しなんだか。

 さすが情報分析官。

 俺の平穏な隠居生活すらも分析対象にしているらしい。

 厄介なことこの上ない。


「マスターには……その、大変お喜びいただけたかと……思います……」


 アリアがしどろもどろに答えると、ノエルは満足そうに一つ頷いた。


「それはようございました。では、隊長殿はメイド服がお好み、と……ふむ、今後の参考にします」


「お前が何を参考にする必要があるんだ」


 俺がジロリと睨むと、ノエルは「おや、失礼いたしました」と涼しい顔で受け流す。


「隊長が『再起不能の重傷』を負われたと伺い、アリアさんと共に心配しておりましたが、お元気そうで何よりです。もっとも、その『重傷』の具合については、いくつか興味深い情報も耳にしておりますが」


 ノエルの片眼鏡(モノクル)の奥の瞳が、意味ありげに光った。

 こいつには何もかもお見通しかもしれないな、俺の偽装工作も、その理由も。


「いまの俺は、もっぱらカウンターの中で珈琲を淹せるくらいしかできんよ」


「それは残念です。色々な意味で」


 ノエルはそう言うと、悪戯っぽい笑みを消し、表情を引き締めて広げた地図の一点を指で示した。

 ようやく本題に入る気になったらしい。


「【煤煙の狼】についてですが、彼らの手口は特殊な鉱石を不完全燃焼させることによる煤煙攻撃。構成員は元鉱夫や山賊で、地理に精通しています」


 そして、ノエルは決定的な情報を口にした。


「数日後、近隣の山村、飢饉に苦しんでいる村ですが……そこへの食料輸送隊がミルウッドを経由し、グレイロックへ向かう予定です。彼らが【煤煙の狼】の次の標的になる可能性が極めて高いと分析しています」


 その言葉に、俺もアリアも息を呑んだ。

 飢饉に苦しむ村への食料輸送隊。

 それが襲われれば、どれだけの人間が絶望の淵に立たされるか。


「この輸送隊が襲われれば、多くの命が危険に晒されます」


 ノエルの声は淡々としていたが、その奥には確固たる意志が感じられた。


「元ナイトオウル隊長、レイド・アシュフォード。帝国騎士団の正規の作戦ではありませんが、この緊急事態において、あなたの経験と能力は不可欠です。どうか、力を貸していただけませんか?」


 今度は、明確な『協力要請』だった。

 アリアの純粋な信頼と期待を込めた眼差し。

 そして、ノエルの冷静ながらも有無を言わせぬ、かつての仲間としての要請。

 何より、目の前に突きつけられた『人命がかかった状況』。


 俺は頭を掻きむしり、天を仰いで長いため息をついた。


「……分かった。話だけは聞こう」


 俺がそう言うと、アリアの顔がぱあっと輝き、ノエルは微かに口元を緩めたように見えた。


「ただし、だ」


 俺は二人を交互に見据え、釘を刺す。


「俺はあくまで助言するだけだ。作戦を立てる手伝いくらいはしてやる。だが、前線には立たんし、危険なこともしない。剣を抜くなんて、もってのほかだ。それでいいならな」


 これは俺の最低限の譲歩であり、最後の砦だ。

 これ以上、俺の平穏な日常を侵食されてたまるか。


「はい! ありがとうございます、隊長!」とアリア。


「感謝いたします、隊長殿。あなたの『助言』だけでも、我々にとっては大きな力となります」


 まったく。どうしてこうなった。

 俺はただ、静かに珈琲を淹れて暮らしたかっただけなんだが……。


 俺の新たな頭痛の種は、どうやら一つでは済まないらしい。

 深いため息と共に、俺はカウンターに広げられた地図へと視線を落とした。

 もう、後戻りはできない。

 そんな予感が、胸を重くしていた。

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ぜひ第1話だけでも読んでみてください!!

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