第19話 ただ静かに暮らせたら、それでいいじゃないか
地下牢から続く通路は、まるで巨大な獣の喉の奥へと続いているかのように、暗く、不気味な空気を漂わせていた。
壁にはカンテラの灯りが等間隔に設置されているが、その光は弱々しく、足元さえ覚束ない。
通路を進むにつれて、壁には古代の月影族が遺したと思われる壁画やレリーフが現れる。
月を崇め、星々と共に生き、自然と調和していたであろう彼らの姿。
豊かな知識と、穏やかな暮らしぶりが伝わってくる。
ミアはそれらを見て、時折、小さく息を呑んだ。
彼女の瞳には、自身のルーツと向き合う複雑な感情が揺らめいていた。
「ここは……私の一族にとって、とても大切な場所だったはずです。それを……オーブリー卿は、自分の野望のために……」
ミアの声に、静かな怒りが滲む。
やがて、通路は開けた空間へと繋がった。
その先に、ひときわ巨大な石扉が見える。
扉全体が淡い青白い光を放ち、複雑怪奇なルーン文字がびっしりと刻まれている。
ここが「星詠みの祭壇」への入り口なのだろう。
扉の奥からは、ヴォルフが使っていたものよりも遥かに強大な魔力が渦巻いている。
オーブリーだ。間違いない。
「ミア様、開けられますか?」ノエルが問う。
「……やってみます」
ミアは覚悟を決めた表情で扉の前に立つ。
古代の言葉を紡ぎ始めると、扉のルーンが呼応するように輝きを増していく。
ゴゴゴゴ……。
重々しい音と共に、巨大な石扉が、ゆっくりと、だが確実に開き始めた。
扉の隙間から、祭壇内部の光景が垣間見える。
中央には、巨大な石が鎮座し、満月にも似た妖しい光を放っている。
そして、その祭壇の中心に、一人の男の影が見えた。
俺は長剣の柄を握りしめる。
ノエルも、いつでも動けるように身構えている。
ミアは、扉を開ける詠唱を続けながらも、その視線は真っ直ぐに祭壇の奥を見据えていた。
扉が完全に開く、その瞬間。
祭壇の奥から声が響き渡った。
「――ようこそ、レイド・アシュフォード。そして、我が愛しき同胞の末裔よ。この『星詠みの祭壇』へ」
辺境伯オーブリー。
だが、その姿は、以前宴で見た時とはまるで異なっていた。
贅沢な貴族の装束ではなく、黒に近い深紫色のローブを身に纏っている。
そして、最も大きな変化は、その顔。
以前は巧みに隠されていたのであろう、人間よりもわずかに長く、先端が尖った耳が露わになっていた。
瞳の色も、深い夜空のような蒼に染まっていた。
オーブリーは、俺たちを、まるで待ちわびていた客人を迎えるかのように、歪んだ笑みを浮かべて見下ろしていた。
俺が警戒を露わに剣の柄を握りしめると、オーブリーは肩をすくめ、芝居がかった仕草で言った。
「驚いたかね? この私が、貴様ら帝国が忌み嫌い、歴史から抹殺しようとした月影族の末裔であったとは。ああ、無理もない。我々は、帝国に全てを奪われ、この辺境の地に追いやられ、息を潜めて生きるしかなかったのだからな」
オーブリーの声には、長年溜め込んできたであろう怨嗟が滲み出ている。
「元ナイトオウル隊長。貴様が、我らが同胞、ヴォルフを打ち負かしたとな。さすがは『灰色の死神』。だが、貴様も帝国の犬に過ぎん。かつて、我ら月影族に行った非道の数々を、貴様は知っているのか?」
オーブリーは、俺の後ろに立つミアに視線を移した。
「そして、ミア・ヴェルレイン。最後の『巫女の血筋』……。よくぞここまでたどり着いた。だが、お前が知るべきは、我ら一族の、帝国によって踏みにじられた悲劇の歴史だ」
ミアはオーブリーの言葉に息を呑み、その顔から血の気が引いていくのが分かった。
「教えてやろう」オーブリーは、まるで神託を告げるかのように、ゆっくりと語り始めた。「約百年前のことだ。当時のアークライト帝国は、我ら月影族が秘匿してきた聖なる力――特に、この地に眠る膨大なエネルギーを秘めた『月晶石』の存在と、それを扱う我らの星詠みやルーンの知識に目をつけたのだ。彼らは友好を装って近づき、我らの信頼を得ると、その仮面を脱ぎ捨てて牙を剥いた!」
オーブリーの声に、どす黒い怒りと深い悲しみが込められていく。
「帝国は武力をもって我らの聖地を踏みにじり、最も価値ある高純度の月晶石を根こそぎ奪い去った! それだけではない。月晶石の力を引き出すための知識を持つと見なされた同胞の多くは、貴重な『資源』として、あるいは奴隷のように、帝都近郊の施設へと強制的に連行されたのだ! そこで彼らが何を強要されたか、想像できるか? 帝国の欲のままに、月晶石から未知の力を引き出すための、危険で非道な『協力』を強いられたのだ!」
オーブリーの言葉は、地下牢で密使が伝えようとしていた情報の断片と、そして俺がかつて垣間見た帝国の闇と、不気味に重なり合っていく。
「無論、我らの祖先も抵抗した。だが、帝国の圧倒的な軍事力の前に、多くが命を落とし、あるいは捕らえられ、二度と故郷の土を踏むことはなかった。帝国は、我らから聖石と知識を奪い、抵抗する者を容赦なく排除し、その事実を歴史から抹消した。全ては、帝国の『繁栄』のため、とな!」
オーブリーの叫びが、祭壇に響き渡る。
「私の祖先も、その帝国の強欲と蹂躙によって多くが仲間を失い、全てを奪われた。生き残った僅かな者たちは、辺境の地に命からがら逃れ、帝国の監視の目に怯えながら、屈辱と怒りを胸に刻んで生きるしかなかったのだ……!」
オーブリーはそこで一度言葉を切り、今度はミアに、そして俺に鋭い視線を突き刺した。
「そして帝国は、その強奪した知識を基に、ついには禁忌にまで手を染めた! つい三年前にな! 今度は、我らの同胞を、おぞましい実験の対象とし、彼らを『月狂い』へと変貌させ、そして……レイド、貴様のような帝国の『掃除屋』に、その『失敗作』を始末させたではないか!」
オーブリーの言葉は、明確に俺の過去の任務――【月狂事変】の処理――を指していた。
「ミア・ヴェルレイン! 帝国とは、我ら月影族にとってそういう存在なのだ! 我々の力を恐れ、利用しようとし、そして用済みとなれば容赦なく踏みにじる!」
オーブリーは祭壇に置かれた巨大な月晶石に手を触れた。
途端に、月晶石は禍々しい光を増し、祭壇全体が不気味に振動し始める。
「だが、時代は変わった! 私は、虐げられた同胞たちの無念を晴らす! この星詠みの祭壇と、月晶石の真の力、そして……」オーブリーはミアを指差した。「巫女の血筋であるお前の力を使い、帝国を、いや、この腐った世界そのものを浄化し、我ら月影族が統べる新たな世界を創り出すのだ!」
長い台詞だが、まあ、たしかに聞く価値はあった。
俺は反論する。
「オーブリー。帝国が犯した過去の罪が許されるものではないことは確かだろう。一族が受けた苦しみも、その怒りも、想像に余りある。だがな」俺はオーブリーを真っ直ぐに見据えた。「その過去の悲劇が、お前に今の破壊を、そして未来の悲劇を正当化する権利を与えるわけじゃない。お前のやろうとしていることは、新たな憎しみと絶望を生むだけだ。ミアの意志を踏みにじり、無関係な人々を巻き込み、世界を自分の都合の良いように作り変えようなど、実にくだらない」
俺は、さらに言葉をつづけた。
「お前は、すべてを手放し、静かに、どこか遠くの土地で、結婚し、子を成し、月影族を再興すれば良かったんだ。俺のようにカフェでも経営しながら、のんびりな。いまなら見逃してやるぞ」
「戯言を」オーブリーは言った。「巫女よ、私と共に、新たな国をつくろう」
「私たちの一族は」ミアはゆっくりと語る。「調和を重んじ、自然と共に生きる民だったはずです。あなたのやろうとしていることは、ただの破壊と、復讐にすぎない」
「黙れ、小娘!」オーブリーがミアを睨みつける。「お前にはまだ、帝国の犯した罪の深さが分かっていない! だが、案ずるな。お前はこの計画の要、新たな世界の聖母となるのだ。私と共に、月影族の栄光を取り戻すのだ!」
オーブリーがルーンが刻まれた杖を掲げると、祭壇の月晶石から凄まじいエネルギーが引き出され、彼の周囲に渦巻き始めた。
空気がビリビリと震え、立っているのもやっとなほどの圧力が俺たちを襲う。
「邪魔をするというのなら、容赦はせんぞ【灰色の死神】」オーブリーは俺を睨みつけた。「帝国の犬として、我らが同胞の悲願を邪魔するというのなら、ここで灰色の塵となるがいい!」
オーブリーの体から放たれる魔力は、ヴォルフの比ではなかった。
月影族としての血、長年培ってきたルーンの知識、そしてこの祭壇と月晶石の力が組み合わさっているのだろう。
「レイド様」ミアが俺の服の裾を掴む。
「大丈夫だ」俺はミアの頭に軽く手を置いた。「ノエル、援護を頼む。ミア、お前は無理をするな。俺が前に出る」
「マスター、お気をつけて。相手は、我々の想像を超えた力を持っている可能性があります」ノエルが冷静に警告する。
俺は長剣を抜き放ち、オーブリーと対峙する。
こいつの言う悲劇が真実だとしても、その復讐のために無関係な人々を巻き込み、世界を破滅させようというのなら、止めるしかない。
「オーブリー。お前の復讐心は理解できなくもない。だが、お前の野望は、俺の野望の邪魔だ。ここで終わらせてもらう」
俺の野望。
俺は、静かに、平穏にカフェのマスターをしなければならないのだ。
「ほざけ、帝国の犬めが!」
オーブリーが杖を振り下ろす。
祭壇の月晶石が激しく明滅し、凝縮された破壊のエネルギーが、光線となって俺たちに襲いかかってきた!
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