第18話 眠れ。静かに。安らかに。
夜の静寂を引き裂く、甲高い金属音。
俺と騎士団長ヴォルフの剣が、古びた関所の石畳の上で激しく火花を散らしていた。
久しぶりに味わう、本気の死闘。
俺の全神経が研ぎ澄まされ、相手の一挙手一投足、呼吸のリズムさえも捉えようとしている。
「遅いぞ、灰色の死神! それが貴様の限界か!」
ヴォルフが猛るように叫びながら、黒い鎧に包まれた体躯から苛烈な剣撃を繰り出してくる。
だが――。
「それだけか?」
俺は冷静に、奴の渾身の一撃を最小限の動きで受け流す。
打ち合い、互いに距離を取る。
ヴォルフの額には汗が滲んでいた。
黒曜石のような瞳には焦りと、そして理解できないものを見るかのような困惑の色が浮かんでいた。
「……なぜだ。なぜ貴様のような過去の亡霊風情に、俺の剣が届かない……!」
ヴォルフが憎々しげに吐き捨てる。
「満月が俺に力を与えているのだぞ! 貴様のような、帝国の犬に邪魔はさせん!」
ヴォルフは黒い兜を脱ぎ捨てた。
そして……そこにあったのは、月影族特有の、あの長い耳だ。
ヴォルフが月影族だと……?
彼の纏う黒い鎧に刻まれた複雑な紋様――月影族のルーン――が、満月と呼応するように、ひときわ強い光を放ち始めた。
それに伴い、ヴォルフの身体能力がさらに向上したのが分かる。
速度が増し、一撃の重みがさらに増す。
常人離れした反応速度だ。
月影族の血と満月の力の融合か。厄介なものだ。
こいつは、単なるオーブリーの私兵ではない。
オーブリーは、彼ら月影族の血を引く者たちに、一体何を見せ、何を約束しているというのだ?
そして、月影族は三年前の月狂事変で、ミアを残して死に絶えたはずだ。
いったい、どういうことだ?
俺は冷静にヴォルフの攻撃を受け流しながらも、様々な疑問を抱かずにはいられなかった。
だが、今は考えている場合ではない。
後方では、アリアとリリスが俺たちの戦いを固唾を飲んで見守っている。
彼女たちの実力をもってしても、今のヴォルフを相手取るのは荷が重いだろう。手出しは無用だ。
俺が決着をつける。
ヴォルフの猛攻が続く。
満月の力を得て増強された彼の剣は、嵐のように俺に襲いかかる。
だが、俺の目は、その嵐の中心にある【歪み】を見逃さなかった。
月影族のルーンの力は、確かに強力だ。
だが、借り物の力に頼りすぎている。
その力の奔流を、ヴォルフは完全に制御しきれていない。
無理矢理引き出した力は、必ずどこかに淀みを生む。
俺が【灰色の死神】と呼ばれた所以は、単なる剣技の冴えだけではない。
相手の弱点、力の流れの僅かな乱れを見抜き、そこを的確に突く戦術眼にある。
俺は、意識を集中させる。
次の一撃で、終わらせる。
「どうした、灰色の死神! この程度か!?」
ヴォルフが勝利を確信したかのように、最大の踏み込みと共に渾身の一撃を放ってきた。
だが、その動きは、俺の動体視力の前では、あまりにも――遅い。
俺はヴォルフの剣撃を紙一重で躱す。
奴の力の流れが最も淀む瞬間、ルーンの輝きが一瞬だけ揺らぐ、その刹那を突く。
神速の踏み込み。放たれるカウンター。
「――終わりだ、ヴォルフ」
俺の静かな声と共に、古びた剣の切っ先が、ヴォルフの鎧、そのルーンが集中し、力の流れの『結節点』となっているであろう一点を、正確に貫いた。
それは、命を奪う一撃ではない。
彼の力の源泉を断ち切り、戦闘能力と、歪んだ力を完全に奪うための、精密な一撃。
パリン、と何かが砕けるような、ごく小さな音が響いた気がした。
ヴォルフの目が見開かれ、驚愕と絶望の色に染まる。
彼を支えていたであろうルーンによる力が、急速に霧散していくのを感じているのだろう。
「馬鹿な……この俺の力が……オーブリー様……月影族の……復興は……っ!」
何かを言いかけたヴォルフは、糸が切れた人形のように膝から崩れ落ちる。
俺は彼にとどめを刺すことなく、静かに剣を鞘に納めた。
「アリア、リリス。そいつを拘束しろ。厳重にな」
「はい!」と二人が駆け寄り、手際よくヴォルフを縄で縛り上げる。
これで、ひとまずは片付いたか。
残っていたオーブリーの私兵たちも、アリアとリリスが既に掃討していたようだ。
関所跡に、束の間の静寂が訪れる。
ノエルとミアが、ようやく開いた石扉の隙間から中へと駆け込み、地下牢と思われる場所へ向かう。
俺もアリアたちにヴォルフの見張りを任せ、後を追った。
地下牢は、予想以上に酷い状態だった。
湿っぽく、かび臭い空気。
その奥に、一人の男が力なく横たわっていた。
鉄格子越しに見えたのは、帝国軍の制服の残骸を纏った男――密使だった。
その姿は凄惨というほかなかった。
全身に残る拷問の跡。
浅く不規則な呼吸。
かろうじて命を繋いでいるのが奇跡に思えるほど、彼は衰弱しきっていた。
「……酷い」
ミアが息を呑み、震える手で口元を覆う。
ノエルは冷静さを保とうとしているが、その表情は厳しく、男の脈を取りながら小さく首を振った。
「ノエル」と俺が声をかけると。
「……もう、長くはありません」と答えた。
その時、治療のためにミアが灯りを近づけた。
柔らかな光が、ミアの白銀色の髪と、わずかに尖った耳の形を照らし出す。
横たわる男の目が、ほんのわずかに開いた。
虚ろだった瞳に、信じられないものを見るかのような光が宿る。
「……あ……ぁ……。まさか……月影族の……巫女殿か?」
ほとんど音にならない、かすれた声。
男は、最後の力を振り絞るように、ミアを見上げていた。
「なぜ、ここに……」男はか細い声で言った。「……来ては……ならなかったのに……。オーブリーの……罠だ……」
「どういうことだ」俺は鉄格子越しに身を乗り出し、低く尋ねた。「オーブリーの目的は何だ? なにか知っているのか?」
男は苦しげに喘ぎ、途切れ途切れに言葉を紡いだ。
「オーブリー……奴もまた……月影族の末裔なのだ……。奴の狙いは……巫女殿……貴女だ……」
オーブリーが月影族だと?
男の血走った目が、必死にミアを捉える。
「奴は……月影の血を……最も濃く受け継ぐという巫女と……婚姻し……その血を引く……子を成すことで……新たなる……月影族の復興を目論んでいる……。そして……そのルーンの力で……長年の怨敵……帝国に……復讐を……果たすつもりなのだ……」
男は激しく咳き込み、血を吐いた。
「俺が捕らえられたのも……すべてはオーブリーの策略のうちだった……。巫女殿を……確実におびき寄せるための……情報源として……そして……最後の……餌として……生かして……いたのだ……!」
おびき寄せるための、餌……?
その言葉に、俺の脳裏でバラバラだったパズルのピースが、急速にはまり始めた。
「星降りの祭」への招待。
見知らぬ商人を呼ぶなど、あまりにも無防備ではないか。
ノエルがオーブリーの城の金庫から「発見」した、いかにも重要そうな「暗号メモ」。
そして、ミアでなければ解読できない、あの月影族のルーン……。
「……まさか、あのメモも……」俺は思わず呟いていた。
全ては、オーブリーが仕組んだ罠だったというのか?
ミアがルーンを解読できることを見越し、彼女をこの「月隠の関」へとおびき寄せるために。
そして、俺たちのような手練れが、彼女をここまで護衛してくることすらも計算に入れて……?
背筋に、ぞくりと冷たいものが走った。辺境伯オーブリーという男の、底知れない執念と、どこまでも周到な策略に。
男は、最後の力を振り絞るように、ミアに向かって手を伸ばそうとしたが、その手は力なく石畳に落ちた。
「……巫女殿……オーブリーの……甘言に……惑わされては……ならぬ……。奴は……一族の……悲願など……。奴は……ただ……己の……歪んだ支配欲を……満たしたいだけだ……。どうか……月影の……真の力を……悪しき道に……」
そこで、密使の言葉は途切れた。
彼の瞳から急速に光が失われ、浅かった呼吸が、完全に止まる。
ノエルが静かに男の瞼を閉じさせた。
地下牢に、再び重い沈黙が訪れる。
ミアは,ただ顔を青ざめさせ、震えるばかりだった。
俺は彼女の肩にそっと手を置き、力強く言った。
「ミア、お前の力は、お前がどう使うか、お前自身が決めるんだ」
俺の言葉に、ミアは顔を上げてうなずいた。
その瞳には、まだ恐怖の色が濃いが、奥には小さな、だが確かな決意の光が灯り始めていた。
「レイド様。この地下牢の奥から、とても強い、歪んだ月影の力を感じます。『暗号メモ』が示していた【星詠みの祭壇】は、きっとそちらに違いありません」
ミアの指差す壁の一部に、注意深く見ると、ごく微かなルーンの痕跡と、不自然な継ぎ目のようなものが見て取れた。
オーブリーが隠した通路か、あるいは元々この関に備わっていた秘密の道なのか。
「オーブリーの待つ場所は、その奥というわけか」
俺は、古びた剣の柄を強く握りしめた。
カクヨムで新作書いてます!
『童貞のおっさん(35)、童貞を捨てたら聖剣が力を失って勇者パーティーを追放されました 〜初体験の相手は魔王様!? しかも魔剣(元聖剣)が『他の女も抱いてこい』って言うんでハーレム作って世界救います!〜』
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本作を楽しんでいただける読者の方におすすめです!!
ぜひ第1話だけでも読んでみてください!!
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