第17話 もう戦わないと決めたはずだったんだが、なぜか、血が騒いでしまう
俺達はミルウッドの森の奥深く、人の踏み跡もとうに途絶えた、険しい山道を進んでいた。
ミアが解読した古代のルーンの導きだけが頼りだ。
目的地は「月隠の関」と呼ばれる、地図にも載らない場所だ。
三日に渡る山歩きは、昼夜の気温差と悪路も相まって、さすがの俺でも多少の疲労を感じさせる。
時折、ミアが森の微かな変化や古びた石碑を指し示し、それが正しい道であることを教えてくれる。
彼女のルーンを読む能力がなければ、とっくに迷っていたかもしれない。
そして、ミアの案内に従ってたどり着いた「月隠の関」は、言葉を失うほどに威圧的な場所だった。
天を突くような巨大な石壁が三方を囲み、天然の要害を成している。
風雨に晒され、苔むした壁面は、悠久の時を刻んできた証だろう。
人の気配はまるでない。
「ここが……月隠の関……」ミアが息を詰まらせるように呟いた。
関所の正面ゲートと思われる場所は、巨大な一枚岩を加工したかのような重厚な石扉で固く閉ざされていた。
表面には、複雑怪奇な月影族のルーン文字がびっしりと刻まれ、淡い青白い光を放っている。
これが「月影の封印」か。
「この封印は……とても強力です。私の一族が、聖地と、そこに眠る力を悪用しようとする者から守るために施したものですから。正当な知識と手順がなければ、開くことは難しいでしょう。……オーブリー卿は、一体どうやってこの場所を……?」
ミアの呟きには、純粋な疑問と、オーブリーに対する警戒心と怒りが滲んでいた。
ミアは覚悟を決めた表情で、懐から取り出したルーンが刻まれた石を石扉の前に慎重に配置し始めた。
古代の言葉で詠唱を始めると、彼女が配置したルーン石が呼応するように微かな光を放ち始める。
俺たちはミアの作業を見守りながら、周囲の森に全神経を集中させる。
こういう繊細な作業中に、無粋な邪魔が入るのはお約束みたいなもんだからな。
リリスが、ふと森の一点を鋭く見つめ、小さな声で「……気配、複数……近づいてきます」と警告を発した。
ほぼ同時に、俺とアリアは剣の柄に手をかけ、臨戦態勢に入る。
石扉に刻まれたルーンの一つが、ミアの詠唱に応えるようにひときわ強く輝く。
その光が連鎖するように他のルーンへと広がっていく。
ゴゴゴ……という地響きにも似た重々しい音を立てて、巨大な石扉がゆっくりと軋み始めた。
封印が解かれようとしている。
やはり来たか。
周囲の森の木々の上や、関所の岩陰から、オーブリーの私兵たちが多数姿を現し、一斉に矢を放ってきた。
「ミア、作業を続けろ! ノエルはミアの護衛を! アリア、リリス、応戦するぞ!」
俺の指示に、アリアが「はい、マスター!」と力強く応じ、長剣を抜き放つ。
リリスも音もなく弓を構え、的確に敵兵の動きを狙う。
静寂は破られ、剣戟の音と怒号が、この古代の関所に響き渡った。
アリアの剣技は、もはや騎士団でも屈指のレベルだろう。
次々と襲いかかってくる私兵たちを冷静沈着に捌き、的確な一撃で戦闘不能にしていく。
リリスの放つ矢も、正確無比なもので、敵の連携を巧みに分断し、アリアを援護する。
だが、敵の中には、その練度が他の私兵たちとは明らかに異なる、強力な気配を放つ男がいた。
その男は悠然と姿を現した。
黒い鎧と兜に身を包み、腰には見るからに業物と分かる長剣。
騎士団長ヴォルフ。
オーブリーの腹心だ。
その黒曜石のような瞳は冷たく、俺たちを値踏みするように見据えている。
「見事なものだな、我が同胞。その古の封印を、こうも容易く解こうとするとは。だが、オーブリー様の計画を、これ以上邪魔立てさせるわけにはいかん」
ヴォルフは静かに、しかし有無を言わせぬ威圧感を込めて言い放った。
同胞?
一瞬、脳裏に疑問がよぎったけれど、考えている場合ではなかった。
ヴォルフが戦線に加わったことで、状況は一変した。
奴の剣技は、アリアですら容易には近づけないほどに鋭く、重い。
リリスの矢も、ことごとく剣で弾き落とされ、あるいは紙一重で見切られる。
アリアとリリスが、徐々に追い詰められていくのが分かった。
その戦闘の最中、ノエルが叫んだ。
わずかに開いた石扉の隙間を指差している。
「マスター! 密使の魔力を検知しました! 石扉の奥、地下牢のような場所に……! かなり衰弱しています! このままでは危険です!」
その言葉を聞いたヴォルフが、初めて俺にその冷徹な視線を向けた。
「あの帝国の犬ころの救出が目的だったか。貴様は元ナイトオウル隊長、レイド・アシュフォードだな。引退したと聞いていたが、やはり、戦を忘れられなかったか」
「いまの俺は、ただのカフェのマスターだ」俺は静かに答えた「だが、俺の仲間と、俺が手に入れたこのささやかな平穏を脅かすというなら、話は別だ」
俺は、長年使い慣れた古びた剣の柄を強く握りしめた。
鉄の冷たさが、血の熱を帯びていくような、そんな感覚。
もう二度と味わうことはないと思っていた、この高揚と覚悟が入り混じった感触。
俺の纏う空気が一変したのを、ヴォルフも感じ取ったのだろう。
その表情が、わずかに険しくなった。
「ヴォルフ、あんたの相手は俺がしよう。他の者には手出し無用だ」
アリアとリリスに目で合図し、二人を下がらせる。
そして、ヴォルフの前に、静かに立ちはだかった。
ヴォルフは獰猛な笑みを浮かべた。
「面白い……! それでこそ、かつて帝国でその名を轟かせた男。その力、存分に味わわせてもらうぞ!」
次の瞬間、俺とヴォルフの剣が激しく打ち合わされた。
甲高い金属音と、暗がりに飛び散る火花。
ヴォルフの剣筋は鋭く、一撃一撃が並の騎士なら受け止めることすらできずに吹き飛ばされるであろう重さと速さを兼ね備えていた。
なるほど、オーブリー辺境伯が騎士団長として傍に置くだけのことはある。
大したものだ。
数度、剣を交えたところで、俺はヴォルフの剣撃をいなし、一歩後ろへ跳んだ。
気がつくと、口元に笑みが浮かんでしまっていた。
「……何を笑っている、レイド・アシュフォード」
ヴォルフが眉をひそめ、いぶかしむような、あるいは不快感を滲ませた低い声で言った。
この緊迫した状況で笑うとは、確かに正気の沙汰ではないと思われても仕方ないだろう。
「いや、すまんな。不謹慎かもしれんが」俺は肩をすくめ、言葉を続ける。「こうして本気で命のやり取りをするのは、ずいぶんと久しぶりでな。血が騒いでしまうらしい」
平穏を愛し、カフェのマスターとして静かに暮らすことを望んでいたはずの俺だが……。
このギリギリの状況、強敵との死闘に、心のどこかで昂揚を覚えている。
皮肉なものだ。
ヴォルフは俺の言葉を聞き、その表情をさらに険しいものへと変えた。
「貴様、この戦いを、楽しんでいるとでも言うのか?」
その声には、怒りの色が混じっていた。
「楽しむ、か。そうだな……」俺は剣を中段に構え直し、ヴォルフの目を真っ直ぐに見据える。「少なくとも、退屈はしなさそうだ。――さあ、第二ラウンドと行こうじゃないか、ヴォルフ」
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