新たなる敵
王家の支援を受けたアリシアたちは、薬を普及させるため地方へと活動の範囲を広げていた。
──小さな診療所の医師たち、村の薬師たち。
民を助けたいと願い、草の根で懸命に動く彼らに出会うたび、アリシアの胸は熱くなる。
しかし、その影で静かに迫る脅威があった。
ある夜。
アリシアの家に、ふたたび不穏な気配が忍び寄る。
「カイン、来るぞ─!」
屋敷の影護衛たちが動き出すよりも早く、カインが鋭く駆け出した。
次の瞬間──
窓ガラスを突き破り、狼男のような異形が飛び込んできた。
「……させるか!」
カインは素早く懐から瓶を取り出し、迷いなく叩きつける。
中身は、開発に成功した魔物化を解除する薬液──《サルヴァエリクサ》。
薬液が空気と触れると、濃厚な香りを伴って霧のように広がる。
異形は黒煙を上げ、苦悶の咆哮をあげながら暴れ回った。
やがて、徐々に力を失い、体がしぼむようにして──
一人の意識を失った人間の姿へと戻る。
間髪入れず、カインはもう一つの瓶を割る。《ミリアス・ローザ》。
ローズマリー由来のこの薬は、傷ついた肉体と荒れた精神を穏やかに鎮め、さらには自白を促す効果があった。
アリシアは震える指先を必死に握り締めながら、倒れた男を見つめる。
(……これが、敵──?)
彼女の胸に、拭いきれない疑問が湧き上がるのだった。
倒れた男は、すぐさま影の護衛によって厳重に拘束された。
アリシアたちは、慎重に《拘束魔法》をかけ、さらに《ヴェリダ・セラム》──真実を引き出すために自白作用を極限まで高めるべく調合された特殊な薬液を服用させる。
男は苦しげに呻きながら、次第に力を抜き、虚ろな目で呟き始めた。
「……おれは、奴隷だった。……連れてこられて……薬を……打たれて……」
絞り出すような声。
周囲に緊張が走る。
男は途切れ途切れに語る。
仲間の奴隷たちは、次々と奇妙な薬の実験台にされ、やがてほとんどが死んでいったこと。
自分は生き延びたものの、体に異変が起こり、次第に理性を失っていったこと。
そして、気がついたときには、もう何も考えられず、ただ命令に従うしかなかったこと──
「……あの、薬が……、おれを、化け物にした……」
男の掠れた声に、アリシアは唇を噛みしめた。
周囲の者たちも、凍りついたような表情で聞き入っている。
──人間を魔物に変える薬。
それは、ただの犯罪ではない。
国家の秩序すら脅かしかねない、危険すぎる技術だった。
カインが低く問うた。
「……その薬を作った者の名は?」
男はうつろな目をわずかに動かし、か細い声で答える。
「……ダリオ・ヴァレン……」
聞き覚えのない名前だった。
すぐに、王家に報告が上がる。
そして後日、調査の結果が届けられた。
──ダリオ・ヴァレン。
それは、隣国メルグラードの王家に連なる有力貴族の一人。
表向きは薬学の研究者を名乗りながら、裏では違法な人体実験や禁忌の研究に手を染めているという噂もある人物だった。
報告書を読み上げるサミュエル神父の声に、部屋の空気が重くなる。
アリシアは拳を握り締めた。
隣国の貴族が、一般の市民を犠牲にして恐るべき計画を進めている──
それを知った今、何もしないわけにはいかない。
(──絶対に、止めなきゃ……!)
彼女の心には、静かで揺るぎない決意が芽生えていた。




