097.権中納言定家 「来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くや藻塩の 身もこがれつつ」
はーい、じゃあ次は権中納言定家くーん。
こっちに来て作った歌を見せてくださーい。
お、来た来た。
つかアタシ、権中納言って聞くと、嫌なイメージしか浮かんでこないのよね。
権中納言敦忠くんの詠んだ歌の印象が最悪だったからよ。
いま思い返してもムカムカするわね。
キミも変な歌を詠んだら承知しないからね。
ところで、キミの本名はなんていうの?
え? 藤原定家?
……って、この学校の校長じゃねーか。
全然気付かなかったわ。
ちょっとぉー、何やってんのよー。
校長が生徒のフリして学校に通ってんじゃねーよ。
まだドッキリの収録中なわけ?
つか、いつまでそんなことしてんのよー。
さっさと「大成功!」って書いたプラカードを出しなさいよ。
それよりアタシから校長先生に言わせてもらうけどさー、このクラスの生徒の構成がこんなにグッチャグチャだったなんて、全然聞いてないわよー。
これじゃあ話が違うじゃないの!
え? 言ってないから聞いてるはずない?
そういう事は前もって言っときなさいよー。
つーか、この学校はどこを目指してんだよ。
アタシには理解できないわ。
それに、アンタの親父も確かこのクラスに居たわよね?
そうそう、皇太后宮大夫俊成くんよ。
もうだいぶ歳なんだから、その年齢で学校に通おうとするんじゃないよ、まったく。
ほんと、このクラスの生徒には手こずらされたわ。
これで日給3万円とか、割に合わなさ過ぎだろ。
1人分に換算したら、たったの300円じゃねーか。
ま、キミを除いてあと3人の歌さえ見れば今回のアタシの仕事は無事に終わるから、今さらつべこべ言うつもりは無いけどさ。
本当に一時はどうなるかと思ったけど、ようやく何とか100人の生徒の相手ができそうなメドが立ったからね。
正直、ホッとしてるわよ。
まぁでも、あえて1クラスを100人のままにして変にクラス分けをしていないところは、ちゃんと生徒のことを第一に考えることが出来ていて、好感が持てるわね。
これって簡単そうで、なかなか出来ないことだからね。
だって、普通は1クラスに100人も居たら、教える側の都合を優先してクラス分けをするじゃない?
実際、アタシもこのクラスに来た時は「予備校かよ」って真っ先にツッコミを入れたくらいだし。
でもそれは、あくまでも教える側の都合であって、教わる側の都合じゃないのよ。
そのことを、校長のキミがちゃんと理解してくれているって事が、アタシは嬉しいわ。
アタシは1クラスの人数は多ければ多いほどいいと思ってるし、クラス分けなんて、しないに越した事はないと思ってるからね。
これが黒板でしか授業が出来ない時代だったら「黒板が見えない」とか「先生の声が聞こえない」といった理由でクラスを分ける必要があったかも知れないけどさ、今の時代はiPadのようなタブレットを利用すれば、先生の書いた字や話した声は、手元のタブレットで見たり聞いたりできる訳でしょ?
もはや、クラス分けが必要だとする合理的な理由は、存在しないんじゃないかしら。
それでも現実的にクラス分けが必要って言うんなら、せめて学力別にクラス分けをすべきよ。
そして、もしもクラスを分けるのであれば、出来る限りそのクラスが入れ替わる機会を増やすよう、配慮すべきなのよ。
ちなみにアタシは、高校の3年間がずっと同じクラスだったせいで地獄を見てるからね。
そういった経験も踏まえて言わせてもらうけどさ、現状の学校でのクラス分けって、大げさに言えば人権侵害なんじゃないかとアタシは思うの。
それが学力別のクラス分けなら、まだ許せなくもないのよ。
学力に応じてクラスを分けることは生徒にとっても先生にとってもメリットがあるし、なんでそういうクラス分けになったのかの理由が明確だから、そこに疑問を感じる余地も無ければそれを不公平だと感じることも無いからね。
誰が見ても一発で納得できる。
アタシが許せないのは、どういう基準でそういう分け方にされたのかさえ知らされず、学校側の都合で勝手にクラスを分けられるケースだわ。
一部の私立学校を除けば、公立の中学や高校をはじめ、ほとんどの学校がこのケースに該当するんじゃないかしら。
どの学校でも、こういうクラス分けって当たり前のように行われてるけどさ、それが生徒に与える影響がどれほどのものかって事を、ちゃんと理解できているのかアタシは疑問に思うわね。
クラス分けって、生徒に与える影響が大きすぎるのよ。
いや、人生に与える影響って言い換えても、決して大げさじゃないわ。
男の立場から言わせてもらうけど、例えばすごく可愛い女の娘が、自分と違うクラスだったとするじゃない?
そうするとさ、もうそれだけでその娘との間に距離が出来ちゃって、仲良くなるのが難しいわけよ。
だって、授業中はもちろん休み時間でさえ、別のクラスの教室に入ることって、なかなか気軽にはできないじゃない?
どうしたって「なんで他所のクラスのヤツが、このクラスの教室に入ってくるんだよ」っていう空気になるじゃないの。
自然に話しかけたり、自然に距離を縮めるってことが出来なくなるのよ。
もしこれが同じクラスだったら、その娘と教室で一緒にいる時間も増えて共通の話題も増えるし、何と言っても同じクラスだから、自然に話しかけることができるじゃないの。
違うクラスだと、それが出来ないのよ。
文字通り、クラス分けによって、その娘との間に高い壁が出来ちゃうってことね。
友達についても同じことが言えるわ。
もしも「クラス分け」なんてものが無かったら、同学年の全員が友達の対象になるはずなのに、クラス分けが壁を作るせいで、別のクラスの人とは友達になり難くなっちゃってるわけよ。
もちろん、クラブ活動が一緒とかだったら話は別だけど、どちらかが帰宅部だとか、入ったクラブが違ってたりしたら、やっぱりその人とは自然に友達にはなり難いわよね?
つまり、アタシが言いたいことは、クラス分けによって人との自由な交流機会が激減し、結果として人間関係を不当に狭く限定させられてるってことなのよ。
例えば、男子90人、女子90人の学年があったとして、その学年の生徒全員を1クラス36人(男子18人、女子18人)の5クラスに均等に割り振って固定したとするでしょ?
それって簡単に言うと、人間関係を本来の5分の1にまで、不当に狭められたってことになるのよ。
この場合だと、自分と同じクラスに所属する自分以外の同性は、たったの17人よ?
ものすごく大雑把に言えば、帰宅部の人がその学校で親友を作ろうと思ったら、基本的にはこの17人から選ばなきゃいけないって事よ。
クラス分けさえ無ければ、89人の候補がいたはずなのに。
分かる?
異性と仲良くなる機会だって同じことだわ。
本来は89人分の機会が与えられるべきところを、17人に限定させられちゃってるわけ。
これって、生徒が学校内で人間関係を構築する上で、無視できないほど重大な機会損失なのよ。
もしも新入生として入ってきた一年生が、入学後に最初に同じクラスになった同性17人の中に気が合う人がいなかったら、たぶんその生徒は親友が作れずに、一年間つまらない思いをして過ごすことになるわね。
そうなったら「自分にはどうして親友が出来ないんだろう」って悩んじゃうかも知れないし、学校がつまらなくて不登校になるかも知れないわ。
89人のうちの、たった17人と気が合わなかっただけなのに。
学校っていうのは、勉強することだけが目的じゃなくて、いろんな人と関わりを持って人間関係を学ぶ場でもあるのよ。
それなのに、安易なクラス分けによって、これほどまでに人間関係を限定させられるっていうのは、人権侵害として訴えてもいいレベルなんじゃないかとアタシは思うわ。
アタシたちは、小さい時からクラス分けとかグループ分けをさせられてるから、それを当然のように思い込んで何の疑問も持っていない人がほとんどだけど、こんなものは人を集めた側の都合でそうさせられているだけで、実際には、そうやって安易にグループ分けをさせられるなんて、公正さを欠いた不当な扱いでしかないのよ。
能力別にクラス分けをして、その能力に合わせて授業内容を調整しているっていうのなら、それなりに意味があることだとは思うけど、ただ人数の都合で年度始めに適当にクラス分けをしましたっていうだけのクラスが、1年間もの長い間ずっと固定され続けて、その後の人間関係の構築に重大な機会損失をもたらすんだとしたら、こんなものは不当な扱いとしか言いようが無いじゃないの。
もっと言うと、学校内でイジメが発生するのも、このクラス分けに因るところが大きいのよ。
これだって(話が長くなるから詳しくは書かないけど)簡単に言えば、不登校にせよ学校内のイジメにせよ、何故そんな事が起きるかと言えば、学校が安易にクラス分けをして、それを1年間もずっと固定し続けるっていうマヌケな教育制度を採用しているからなのよ。
よくテレビなんかだと「イジメる側が悪い」とか「いや、イジメられる側にも問題がある」とか議論してたりするけど、それは問題の本質じゃないのよ。
じゃあこの問題の本質は何なのか、根本原因はどこにあるのかというと、それは「イジメる子とイジメられる子が同じクラスに所属している」っていうところにあるのよ。
これほど単純な原因は無いでしょ。
ただ単に「イジメる子とイジメられる子の物理的な距離が近い」っていうだけのことよ。
こんなの、対策なんて一瞬で打てるわ。
さっさと二人を別のクラスに引き離してあげればいいのよ。
結局、少人数にクラスを分割して長期にわたって固定するから、クラス内での役割も固定されてきて、結果的にイジメっ子とイジメられっ子っていう関係性が出来上がっちゃうのよ。
アタシに言わせれば、安易にクラス分けをしてそれを1年間も固定し続けるなんて、狂気の沙汰としか思えないわ。
風通しが悪くなるから、空気が澱んで環境が悪くなるのよ。
ゴーマンかましてよかですか?
日本のあらゆる中学校と高校は、クラス分けをするなら、一週間単位でクラス替えをすることを国が義務付けるべきよ。
この国の学校から、イジメを受ける生徒や不登校の生徒、コミュ障になる生徒が激減することを、このアタシが保証するわ。
……って、思わずゴーマニズム宣言のセリフをパクっちゃったわよ。
もっといい方法は、さっきも言ったけど、最初からクラスを一切分けないことなんだけどね。
生徒を狭い教室に振り分けて閉じ込めようとするから、生徒にもストレスが溜まるのよ。
すべての壁を取っ払っちゃえば、イジメっ子とイジメられっ子の間にも自然な距離が作れるし、孤立していたイジメられっ子に友達が出来る可能性だって増えるからね。
イジメの機会は間違いなく減るわよ。
仮に最悪なケースとしてイジメが発生する事態になっても、学年の全員が目にすることになるからすぐに発覚するし、学校側が隠蔽することも難しくなるからね。
そうして悪い理由なんて、どこにも無いと思うけど。
……って、あらアタシ、また百人一首とは関係無いことを長々と書いちゃったわね。
まぁでも、フザけたことばっかり書いてるとさ、時々はまともなことも書きたくなるわけよ。
分かってもらえる人にだけ、分かってもらえればいいわ。
じゃ、さっそく作った歌を見せてちょうだい。
つか、全然さっそくじゃないわね。
来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに
焼くや藻塩の 身もこがれつつ
この歌は、ながら系ね。
ながら系の歌って、久々じゃないかしら。
それにしても、この歌も露骨に言葉を掛けてるわね。
「来ぬ人を待つ」と「まつほの浦」を掛けてるんでしょ?
「恐れ入谷の鬼子母神」方式だわ。
ってことは、本当は「まつほの浦」じゃなくても良かったってことね。
言葉を掛けたいから「まつほの浦」にしただけなのよ。
図星でしょ?
こういう「語呂が優先、意味は後付け」的な歌がアタシは気に入らないのよ。
「夕なぎ」ってのは夕方のことね。
じゃあ繋げると、「来ない人を待つ、まつほの浦の夕なぎに」ってことね。
結局は「来ぬ人を まつほの浦」って、言葉をもじって上手いこと言いたいだけなんじゃないの?
こんなの、ただのダジャレでしょ。
「おでこテカテカ、藤原テーカ」って言ってるようなもんだわ。
校長先生、絶好調だわ。
「焼くや藻塩の 身もこがれつつ」だって、どうせ「藻塩が焼かれて焦げるように、私の身も焦がれてる」的な意味なんでしょ?
キミの場合、焦げるっていうか、照り焼きのブリみたいに、おでこがテカってるわよ。
「おでこテカテカ、照り焼きテーカ」だわ。
さっさと顔を洗って出直してきてちょーだい。
え? 校長に向かってその態度は何だって?
うっせーわ。
教室の中じゃ、アタシがキミの先生なんだからね!
まったく、照り焼きのブリみたいにテカったおでこのくせに、偉そうにすんなっつーの。
お望み通り、まつほの浦で塩焼きにしてやろうかしら。
それとも、みそ煮にしちゃう?
アンタなんか、塩を振られて網で身を焼かれて、まつほの浦で焦げてりゃいーのよ。
なーにが藤原定家よ。
これからは「焦げ笑のテーカ」って呼んでやるわ。
え? 何でもないわよ。
こっちの話だから。
じゃあ最後にアタシの感想を付け加えておくわね。
来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに
焼くや藻塩の 身もこがれつつ
塩で焼くより みそ煮がいいな




