第三章 ③
あの日から克実は、こちらから電話をしても、メッセージを送っても、何をしても連絡が取れない。俺だけでなく、アイリスや瑠利子も同じ状況だ。アイリスと瑠利子が克実のクラスを見に行ったらしいのだが、あの日を最後に、克実は学校に来ていないらしい。
教室を出ていった克実のあの様子も心配だが、こうまで全く連絡が取れないと、体調でも崩したのではないか? と心配になる。そこまで考えて、これは教室で達矢達に心配してもらった話と似ているな、と気がついた。自然に、俺が廊下を進むスピードが上がる。
今俺は、金指先生から連絡を受け、放課後、職員室に向かっていた。どうやら俺だけでなく、アイリスや瑠利子にも連絡がいっているらしい。なら今日、克実は先生の呼び出しだけは来てくれるのではないか、と期待して職員室に入ったのだが、残念ながらその期待は裏切られることになる。
「……来たな」
そう言った金指先生の机の前には、既にアイリスと瑠利子の姿があった。二人は俺の姿を見て、残念そうに首を振る。どうやら今日も、克実は学校に来ていないらしい。
「どうだ? 横超の様子は」
「……さっぱりです。全く連絡が取れません」
アイリスと瑠利子から少し距離を取った場所に立ち、俺は金指先生の質問に答えた。先生は神妙そうに頷いた後、全然違う話を切り出した。
「そういえば、お前たちが捕まえた猫な。元気にやっとるみたいだぞ」
先生が机の中からタブレットを取り出し、そこにあの三毛猫の写真を表示させる。おもちゃで遊ぶ猫の姿を見て、アイリスと瑠利子は歓声を上げた。二人がタブレットを操作して写真をめくる中、金指先生は口を開く。
「その猫の飼い主だがな。出張で二、三週間程家を空けるらしく、面倒を見てくれる人を探しとるらしい」
「……それが、今日呼び出された理由ですか?」
そう言いながら、俺は先生に対して違和感を感じていた。猫の面倒を見てくれる人を探すために、俺達をわざわざ職員室に呼んだというのは、不自然だ。それこそ、メッセージで伝えればよく、対面で話す理由がない。
そして何より、俺達は既に、最後の課題を受け取っている。これでは猫の面倒を見るのが、四番目の課題みたいではないか。しかも、俺とアイリス、瑠利子の三人しかいない状況で言うなんて――
そこまで考えて、俺はこの教師が、何を考えているのか思い至った。
「お前ら三人が良ければ、ワシはこれを、お前らの最後の課題としてもいいと思っとるが、どうする?」
「……その場合、克実さんはどうなりますの?」
「この課題の難易度的に、四人も必要ない。もちろんやるなら、川越の手出しも禁止だ」
「え? じゃー、あーし達がこの課題を選んだら、かつみ、どーなるのぉ?」
「ワシは最初に言ったろうが? 課題を三つクリア出来ん奴は、退学だ」
アイリスと瑠利子が、抗議をするため身を乗り出す。それよりも早く、俺は口を開いていた。
「……ふざけんなっ」
口を開く直前に、この場が職員室である事を思い出して、どうにか音量は抑える事は出来た。でも、声帯を震わせるこの激情は、どうやら抑えられなかったらしい。アイリスと瑠利子が両目を見開き、驚きの表情で俺の方へと振り返る。職員室の他の先生達も、一瞬俺の方へ視線を向けていた。ただ唯一、金指先生だけが、口を僅かばかり歪めている。その表情は喜怒哀楽のいずれを表現しているのか、俺には皆目見当もつかない。つかないが、知ったことではない。
「俺達は今まで、皆で課題に取り組んできたんだ。落ちこぼれの俺達は、四人居たからどうにかやってこれたんだよっ。それを、今更一人減らす? ありえません。俺達は、俺達のペアリングは、この補習は、あいつが居ないと成り立ちませんよっ!」
アイリスと瑠利子との距離が近くなるのも構わず、俺は金指先生の机に両手を置き、先生と目線を合わせた。そしてそのまま、サングラスの奥にあるであろう先生の両目を、睨みつける。それに動じる事なく、金指先生は口を開いた。
「学校側としても、課外奉仕先の幼稚園と、生徒を出せる出せないの調整を行う必要がある。うちから生徒を出せると言っておいて、いざダメでした、となったら、言い訳できんぞ? 課題は失敗。お前ら全員、退学だ」
「元々、そういう条件だったじゃないですか」
「だが現実問題、横超は学校にも来ず、連絡もつかん。お前ら、横超を変える事が出来るのか?」
「別に、あいつを変えようとも思ってませんし、変えれるとも思い上がってません。それに、変えたいとも思ってませんよ」
「なら、どうする?」
試すようなその問に、俺は脊髄反射で、こう答える。
「わかりません」
でも――
「でも、あいつは俺の敵じゃないし、俺はあいつを嫌ってない」
ただ、怖いだけだ。
「相手を嫌いじゃなくて、どうにかしたいと思ってるなら、どうにか出来る。先生が俺に言ったんですよ? だから、どうにかします」
気配で、アイリスと瑠利子が頷いてくれた気がした。一方、俺の言葉を受けた金指先生の口角は、釣り上がっている。ここで先生が笑っている意味が、俺には理解できない。
「そこまで言うのなら、三人でクリアするのは、なしにしてやろう。しかし川越。お前、助けを求めていいのは、何もペアリングしとる奴らだけじゃないんだぞ?」
「……どういう意味です?」
「まぁ、その辺りは後で勝手に知るだろう。それより一つ、頼まれて欲しいもんがあってな」
そう言って先生は、一つの茶封筒を机の上に取り出す。
「横超に渡して欲しいプリントがあるんだが、届けてきてくれ。無論、横超の家の住所も中に入っとるし、他の中身もお前らならな見ても構わん」
「……なるほど。俺達を呼び出した理由は、これですか」
つまり、猫の面倒を見る見ないに関わらず、俺達が克実と会える機会を用意していたわけだ。
……だったら最初からそう言ってくれよ!
何だか、息を巻いていた自分が、急に恥ずかしくなってきた。俺はそれを誤魔化すように茶封筒を奪い取ると、挨拶もそこそこに、早足で職員室を後にする。その後ろを、アイリスと瑠利子が着いてきた。廊下を歩きながら、俺は二人に話しかける。
「わ、悪かったな、勝手に三人でクリアする案、蹴っちまって」
「構いませんわ。冬馬さんがおっしゃらなければ、わたくしが言っておりましたから。あんな提案を受けていたら、お父様とお母様に笑われてしまいます」
「そーだよ、とーま! あーしの居場所には、やっぱかつみが必要じゃーん?」
「そ、そうか」
二人の言葉が心強いやら、照れくさいやらで、何だか体がむず痒い。そこで俺は、ようやく手にした封筒の存在を思い出した。
「……いいんですの? 勝手に開けてしまって」
「まぁ、せんせーも見ていーって言ってたしぃ、みちゃおーよぅっ!」
「そ、そうだな」
そうして茶封筒の中身を覗いてみると、中に入っていたのは、二枚のプリント。一枚は、克実の家の住所。そしてもう一枚は――
俺は、プリントを握りつぶそうとしていた自分の手を、既の所で止める事に成功した。
「……これ、恐らく今度わたくし達が課題で行く幼稚園の地図ですわよね?」
「そーだねぇ。集合日時と、かつどーないよーも書いてあるよーっ!」
「あ、あのクソ教師っ!」
……何が幼稚園との調整が必要だ、だ! もう課外奉仕で行く幼稚園の場所も、その日程も、決まってるじゃねぇかっ!
つまり金指先生は、最初から俺達四人で課題に取り組ませる予定だったのだ。俺達が克実の家に行くための用事を用意していた所を見ると、俺が職員室で何も言わなかったとしても、先生は何かしら克実を引っ張り出す手段も用意していたのだろう。
だとすると、ますます俺が職員室で啖呵を切った行動は、無意味だったということになる。
目眩と冷や汗が酷くなる中、穴を自分で掘って入りたい気持ちを抱えて、俺は下駄箱へと足を引きずり始めた。




