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土井さんのお嫁ちゃん  作者: 谷鹿秋
番外編
8/10

本編後・やきもちと膝枕


 夜、寝る前。

 掛け布団を足元に寄せ、敷き布団の上で正座をするわたし。その膝の上に、小さな両前足がとんっと乗っかる。


「ねえ、小花」

「なんでしょう、土井さん」

「最近さ、青葉(あおば)に構い過ぎじゃない?」

「そ、そうでしょうか……?」


 いつもはまん丸な土井さんの目。身を伸ばし、ぬっと顔を近づけてくる彼のそれが、珍しく半月の形をしていた。




 青葉、というのはわたしが人里にいた頃。

 土井さんに会う前に、寝食を共にしていた黒い子犬ーー今は成犬になっているーーにつけた名前だった。


「青葉……、素敵な名前ですね。大切にします!」


 嬉しそうに擦り寄ってくれる青葉。その頭を抱いて撫でてあげると、尻尾が忙しく左右に揺れる。


 それからというもの。


 山菜を摘みに行く時も。


「小花さん、お供します」

「ありがとう」


 家事炊事をする時も。


「小花さーん、お水汲んできましたよー」

「わ……!ごめんね。青葉も疲れてるのに」

「とんでもない!お役に立てて光栄です」


 ひと休みしている時も。


「小花さん。これ、召し上がってください」

「これって。もしかして、桃……?」

「はい。紫煙さんにお好きだと伺ったので」

「うん、好き……!よければ一緒に食べよう」

「是非」


 青葉といる時間が増えた。

 まるでわたしがして欲しいことを知っているかのように、全て先回りして助けてくれている。


「ねえ、青葉。無理してない?」

「無理、ですか」

「うん。わたしと一緒にいて、疲れてないかなって」


 縁側で二人。

 お茶とお茶請けを並べて座りながら中庭を眺めていた時。一度だけ、訊ねたことがある。


 青葉には青葉の生活がある。絹さんの手伝いをしながらここに住み、紫煙さんに山で住む動物のいろはについて教わっているらしい。その合間を縫って、わたしと過ごしているんだとか。


「なのに、休んでもらうどころか手伝ってもらってばかりでその……、申し訳ないというか……」


 わたしが頭を垂れると、それを見た青葉が慌てた様子でわたしの言葉を打ち消すように両手を左右に振った。


「いいんです!僕がしたくてしているんですから!」

「でも」

「じゃあ、一つだけ。お願いしてもいいですか」

「!うん、いいよ!」


 わたしに出来ることならなんでも。


 意気込んで胸の前できゅっと手の平を握ると、わたしを見つめる漆黒の瞳が少しばかり躊躇うように泳いだ。


「その……、頭を、撫でて頂けないでしょうか」

「え、」


 思いも寄らぬ言葉に瞠目すると、彼は幾分恥ずかしそうに、人差し指で頬を掻きながらはにかんで言った。


「実は、昔一緒にいた頃から、小花さんの手が好きだったんです」

「わたしの、手……?」

「はい。僕の頭を撫でてくれる、優しい手が」


 その頃は大変だった。

 食べていくのも。生きていくのも。


 暑さに茹だる日もあった。寒さに凍えながら身を寄せ合う日もあった。健やかな日も。病める日も。


 けれど。


「そんな過酷な状況だったからこそ。人の温もりとその温かさに、気付くことも出来ました」

「青葉……」


 彼はくるりと宙で返り、犬の姿に戻る。その場に腰を下ろして小首を傾げた。


 (変わらないなあ)


 大きくなっても、その仕草は変わらない。

 気付けば手を伸ばし、その頭を撫でていた。


「ーーーうん、分かるよ。知ってる。俺だってその時の二人の話は、障子の向こうで聞いていましたから。なんたって俺は、小花の旦那さんですからね」

「はい」

「小花が青葉を大切に思ってるのも。青葉が小花を大好きなのもちゃんと知ってます。だって俺、小花の旦那さんですから」

「はい。ありがとうございます、土井さん」

「そうなんです!俺が小花の旦那さんの土井さんです……ッ!」


 と、身を伏せる土井さん。どうにも何かを疑われているような気がして、とりあえず青葉と一緒にいる経緯をお話ししたら、今度はわんわんと泣き出してしまわれた。どうしよう。


「あ、あの土井さん……」

「ずびっ、ぶぁんでふふぁ(なんですか)

「わたしに、不甲斐ないことがあったら仰ってください」

「えっ?!」


 土井さんが驚いたように顔を上げる。わたしはその前脚に指先だけで触れて言った。


「土井さんはいつも、わたしの気持ちを汲んでくださいます。でも、わたしは」

「小花が不甲斐ないことはないよ!俺がただ、青葉にヤキモチ妬いてるだけでーーー!」

「やきもち……?」

「ッ!」


 わたしが首を傾げて繰り返すと、土井さんの頬がぶわりと紅潮する。


「あの、やきもちって……」

「っそうです、妬きました!俺だって小花に撫でられたい!」

「へ……?」

「狸のまま抱き上げられたいし、頭撫でられたいし、お腹わしわしされたい!何だったら膝枕もしたい!」

「ひ、膝枕ですか……?!」

「膝枕は男のロマンです!」


 土井さんは真っ赤な顔のまま、前脚でわたしの膝をトントンしながら「妻の膝枕は夫の特権なんです!」と力説された。知らなかった。


 わたしは急いでその場に立ち上がり、寝着を丈まで整える。皺が寄らないようにそっと膝を布団について、腰を下ろした。


「ど、どうぞ……!」


 わたしが膝を差し出すと、土井さんはごくりと喉を鳴らす。それから一歩、一歩とわたしに近付き。遠慮がちに左前脚で右の太腿を二、三度ふにふにしてから、意を決したように顔を上げた。


「失礼します!」


 言ってから宙で身体を返し、軽やかにわたしの太腿に頭から着地。すっと息を吸うと同時に、お腹が膨らみ。吐き出すと同時に少しばかり凹む。そして。


「幸せ……」

「ふふ、良かったです」


 本当に幸せそうに目を細める土井さん。そのお姿に、わたしもまた自然と笑みが溢れる。


「土井さん」

「なーに?」

「頭を撫でてもよろしいでしょうか」

「もちろん!なんなら背中もお腹も撫でてー」


 甘えるように、ごろりと寝返りを打つ彼。その頭、耳の後ろを撫でると、四肢を投げ出し、気持ち良さそうに寛いでいる。


 (そういえば最近、畑を広げているって仰ってたっけ)


 絹さんの畑。その隣に場所を借りて、自分用の畑を作るのだとか。


「少しは畑仕事が板に着いてきたからさ。そろそろ俺自身も、畑を持ってみてもいいかなって」

「畑、ですか」

「うん。住む人数も増えたでしょ。ゆくゆくは、絹の畑の収穫分だけじゃあ足りなくなるだろうし。俺も俺の畑を持ってれば、俺と小花が好きな野菜も植えられる」

「土井さん……」


 手が土に塗れても。爪が割れて傷付いても。わたしに気を遣わせないようにと、当たり前のように笑う貴方。


「今日やっと石取り除き終わったんだ。もう少ししたら、耕し終えるから。そうしたら、一緒に種を植えよう」


 その心遣いが、わたしにとってどれほど切なくて。わたしにとってどれほどもどかしくて。わたしにとって、どれほど嬉しいかだなんて。貴方はきっと知らないのだろう。


「土井さん」

「んー?」

「土井さんの畑、明日は一緒に耕してもいいですか」

「えっ」


 わたしが声を掛けると、土井さんはくるりと再び仰向けに返る。まん丸の鳶色の瞳には、僅かな困惑の色が映る。


「でも、力仕事だから」

「存じております」


 絹さんや、土井さんのようにはいかないと思うけれど。


「わたしの好きな種も植えていいんですよね……?」


 もうただ、待っているだけの子でいるのは嫌だ。


「折角なので、畑作りもしてみたいです」


 苦も楽も、貴方と共有したい。


「駄目でしょうか……?」

「駄目、じゃないけどその……、手がボロボロになっちゃうよ」

「はい」

「腕が痛くなるかも」

「はい」

「腰とか足も」

「はい」

「ーーーああもう!俺が小花に苦労させたくないの!」

「でも、わたしは土井さんのお手伝いがしたいです」


 ああ、そうか。


 口をついて出た言葉。


『いいんです!僕がしたくてしているんですから!』


 青葉の気持ちがやっと分かった。


「わたしも一緒にやりたい。土井さんと一緒に」

「小花」

「お願いします」


 ぺこりと頭を下げると、土井さんは先程とは反対側に寝返りを打ち、力なく四肢を垂らしてしまった。


「小花も結構頑固だよね……」

「すみません」

「謝らなくていーよ。お互い様」


 土井さんはそう言って苦笑しつつも、わたしを見上げて目を細める。


「うん、明日から一緒にやろう」

「!ありがとうございます!」

「でも無理は禁物だよ。小花も掃除とかしてくれてるんだから。空いてる時間にちょっとだけね」

「はい」

「ま、小花と一緒にいられる時間が増えると思えば俺も素直に嬉しいしねー」

「ふふ、はい」


 上機嫌に揺れる尻尾。お腹を撫でると「ふひひっ」と擽ったそうに身を捩る。


 そんな土井さんが、翌日。

 わたしにくっついて畑にやってきた青葉を見ては、膝から崩れ落ちてしまったのはまた別のお話。

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