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秋・狸の過去と狐の誘い


 あるところに、一匹の狸がおりました。


『なんじゃ、お主。一人かえ』

『可愛いじゃなーい!一緒に来る?』


 母親を亡くしてからというもの、烏や猪、森の生き物たちと支え合いながら生きています。


 そんなある日、彼は一人の人間に会いました。


『土色の体。井戸の近くで会ったからお前の名前は土井だ』


 人間は狸に名前を与えてくれました。


 それから彼には会うことはありませんでした。


 そこで狸は考えました。


『俺が人間になれば、またあの人に会えるだろうか』


 狸は化けることが得意でした。


 狸は人間の子どもに化けました。


『俺も一緒に遊んでいい?』

『いいよ』

『みんなで遊ぼう!』


 狸は山を降りて、村の子どもたちと仲良くなりました。


 朝起きて、村で一緒に遊んで、夜は山に帰る。


 狸は楽しく暮らしておりました。


 ところがある日、狸は人間に捕まりそうになりました。


『見ろ、狸がいるぞ!』


 人間には食べるものがありませんでした。


 里に雨が降らず、その年の実りが少なかったのです。


 狸は化けました。


 大きな大きな狸に化けました。


 自分を守るためでした。


『喰ってやるぞー!』


 襲って来た人間を頭から丸呑みする真似をしました。


 びっくりした人間は、泡を吹いて倒れてしまいました。


『お前、人喰い狸だったのか?!』


 それを見かけた子どもたちが、狸を指差し揃って口を曲げました。


『人喰い狸!』

『お前とは二度と遊ばないからな!』

『近づくな!』


 狸は人間に近付かなくなりました。


 ひとりぼっちになった狸が空を見上げ腕を広げると、ぽつりぽつりと雨が降ります。


『見ろ、狸の雨乞いだ!』

『狸だ!』

『おタヌキ様だ!』


 人間たちは狸を崇めました。


『おタヌキ様、我らに雨を!』

『……さらば捧げよ』


 人間の男に化けた狸は厳かに命じます。


 人間の子どもを捧げよ、ーーと。




「正直、なんでも良かったんだ。だって雨を降らせたのは俺じゃないんだもの」

「うん」

「でも、無性に腹が立った。理由も聞かずに責め立てられてさー」

「そうだね」

「だから、人間が一番大切にしているものを奪ってやろうと思ったんだ」


 自分の子ども。


 今思えば、人間も人間だったけれど。俺も俺だ。相手のことを言えない。随分えげつない要求をしたものだと自嘲する。


「まさか、こんなところで因果が巡ってくるとはねー……」

「土井」


 綿の気遣わしげな手が、丸くなった俺の背を撫でた。


 あの後。

 俺は猛さんの背に乗って、小花を連れ戻しに行った。


「でも、なんで人間が小花を襲ったのさ!」

「不作だからよ!」

「不作ぅ?!」

「紫煙のとこの烏から聞いたことだから、アタシも詳しくは知らないけどね!」


 今年は例年より暑かった。雨は降ったが、農作物を肥やすにはとても足らず。実りが乏しかったらしい。


「確かに今年は暑いなと思って川にたくさん行ったけど!そこまでだったの!?」

「村はそこまでだったらしいわよ!

 しかも悪いことに、たまたま小花ちゃんを山で見かけた村人がいてね!なんでアイツが生きてるんだって!おタヌキ様に喰われてないから、不作になったんだって触れ回ったのよ!」

「はあ?!」


 言い掛かりも程々にして欲しい。


 これまでの子たちだって、俺は喰うどころか、指一本触れていない。


 食べないで、と。懇願する子たちを見たら胸が痛んだ。一時の感情で身勝手な命令をしてしまった、己の醜さをその度に悔いていた。


 (は……っ、結局は自分のせいか)


 小花も巻き込んでしまった。あの子の過去も。そして、これからの人生までをも。


 (こんな俺に、彼女の側にいる資格があるのだろうか)


 頭を掠めた疑問が、棘のように己の胸に突き刺さる。


「それで村の男たちが、揃いも揃って小花ちゃんを袋叩きにしてたの!通りかかった鹿たちが地鳴り起こして追っ払ったってやったけど!

 ーーほら、あそこよ!」


 着いたのは、一軒の木の小屋だった。俺は転げるように彼の背から降りて、小屋の扉に鼻を寄せる。


「ーー遅い!」

「空より障害物が多くてね」


 頭上から降って来た喝を、目をくれずに一蹴する猛さん。


 ここだ、と。紫煙さんはばさりと羽を広げて、小屋の屋根に降り立った。


 (小花の匂い、これはーー!)


 俺は即座に人の姿に化けて戸を開けた。


 薄暗い家の中には、一人。女の子が手足を投げ出すようにして倒れている。


「小花!」


 駆け寄り、うつ伏せになっている彼女を抱き起こす。ぬるりとした感触が手の平を触った。


 (血だ……!)


 それだけではない。

 ぐったりとした身体。口から溢れる苦しげな吐息。細い手足には打撲の痕。土で汚れた顔にも、叩かれたような痣が残っている。


 (こんな小さな子に、なんてことを)


 ぎりりと歯噛みしながら、俺は傷を癒そうと手を翳す。


 しかし。


 (ダメだ。俺じゃあ治しきれない……!)


 俺くらいの歳になると、芸とでも言おうか。各々得意不得意あれど、何かしらの力の一つや二つは持っている。


 例えば傷を癒す力だったり。何かに化ける力だったり。集めたり、走ったり、伝えたり、壊したり、作ったり。


 俺は化けることは得意だが、癒すことはそう上手くない。凍傷や浅い傷はまだし、痕がつく程の傷は痛みを取ることが精々だった。


 (治療(これ)が得意なのはーー)


 ツンとすました顔をして、腕を組みながらいつも小言を言ってくるアイツ。よりもよって絹だった。


 (やって、くれるだろうか)


 不安が首をもたげる。


 (……いや、違う。やってもらうんだ)


 俺はなるべく振動を与えぬよう、慎重に小花を横抱きにした。小屋を出ると、森の動物たちが木の向こう、茂みの向こうから心配そうにこちらの様子を窺っている。


 そんな中。


「こはな……」

「こはなだいじょうぶ……?」

「たすけられなくてごめんね……」


 羽を畳んだ小鳥たち。泣きそうな声で、チヨチヨ言いながら遠慮気味に近づいてきた。


 きっと彼らが一番に見つけて知らせてくれたのだろう。俺は彼らを見つめ、にこりと笑う。


「大丈夫だよ。これから絹に診てもらうから。また元気になったら遊んであげてね」

「!わかった!」

「どい、はやく!」

「はやくきぬのところにいって!」

「言われなくても」


 俺は脚に風を纏う。


 そして来た道を一気に駆け抜けた。


「ーー遅い!」


 屋敷の前で。


 着くなり、怒声が飛んで来た。袂を纏めた絹が、玄関で仁王立ちし、肩で息をするこちらを見下ろしている。


「は……っ、これでも、全力、疾走……っ」

「奥に運べ」

「え……っ?」

「聞こえなかったか。奥に運べと言ったんだ」


 頼むより早く告げられた指示。


 弾かれたように顔を上げると、絹は「容態は一刻で変わる。早くしろ」と身を翻した。俺はつんのめるようにしてその後を追い、屋敷に上がる。


 それからは早かった。


 絹に案内された奥の部屋。


「準備しておいたよ、絹」

「ああ、助かる」


 布団と、灯りと、布。

 それに、五つの桶。中には井戸水が張ってある。


「あそこの井戸の水源は『癒の源』と呼ばれていてね。飲むだけでも五臓六腑が癒されると言われているんだ」


 綿が掛け布団を足下に寄せたので、俺はそこに小花を寝かせた。それを見計らってから、絹は布団の横に片手をつき、腰を下ろす。


「お前たちは外に出ていろ」

「分かった」


 行こう、と俺の肩に手を置く綿。俺はその手に誘われ踵を返しながらも、後ろ髪引かれるように絹の背に言葉を投げた。


「絹」

「なんだ」

「俺、なんだってする」


 魚だって取ってくるし、山菜だって摘んでくる。蔵の整理も、屋敷の掃除だってするから。


「だから小花を助けてくれ……!」

「フン、何を言うかと思えば」


 肩越しに振り返った彼が不敵に笑って言った。


「他人に縋ることしかできない狸が。精々、己の無力さを噛み締めてろ」


 その言葉通りに、俺は部屋の外で己の無力を噛み締めていた。


「分かってるんだ。化ける力伸ばしたところでたかが知れてる。出来ることなんて、向こうの山の茶屋で団子くすねることくらいだって」

「そんなことしてたの」

「こんなことになるなら、ちゃんと治癒の力磨いておくんだった」


 好き嫌いしている場合じゃなかったのに。


「いっそのこと、人間丸ごと喰ってやろうか……」

(たわ)け」

「いたっ」

「絹」


 思考を何周したのか。


 自己嫌悪がただの嫌悪になりそうな頃。

 部屋の障子が開き、固い手の平でスパンッと頭上を叩かれる。


「終わったぞ」

「どうなった?!」

「声が大きい」

「っ、ごめん……」


 絹に咎められ、あろうことか意識せずとも狸に戻ってしまった。ダメだ、凹み過ぎて形を保つ元気もない。


 あからさまに項垂れていると、そんな俺を見下ろす絹が、袂を纏めていた紐を解きながらおもむろに口を開く。


「見える傷は、痣を含め全て治した」

「そう」

「幸い、内臓は傷付いていない。

 だが、代わりに肋骨二本、右腕と右膝の骨とにヒビが入っている」

「そんなに……?!」

「痣からして、恐らく蹴られたのだろうな。大人の男相手なら、折れていないだけマシだ。繋ぐには繋いだが、完全にくっつくまで二週間は安静にさせろ」

「分かった」

「お前がアイツの痛みを取ったから、すぐに措置ができた。よくやった」

「うんーー、え?」


 思いがけない言葉に頭を上げると、ふいと顔を逸らされる。


 覗き込もうと俺が右に行くと彼は左を向き。俺が左に行くと、右を向く。


「照れてる?」

「照れていない。塩被って萎れている狸なんぞ、見苦しいと思っただけだ」

「ふはっ、なにそれ」

「そうだ。それだ。いつもの緩いアホ面晒して笑ってろ。

 お前が本当にアイツのことをーー小花のことを想うならな」


 そう告げる彼の瞳は、真っ直ぐに俺を射抜いた。


「人間を喰おうなんて、冗談でも口にするんじゃあない」

「絹」

「私たちの歳の者が人を喰らえばどうなるか。お前とて知ってるだろう」


 堕ちる。


 それは動物ではない。ましてや人でもない。


 この世でもなく、あの世でもなく。狭間の住人。妖怪と、人が呼ぶ。物の怪の類へと身を落とすこととなる。


「仇討ちだろうとなんだろうと。少なくとも、小花は堕ちること(それ)を望みはしないと思うがな」

「っ、でも」

「目を覚ました時に笑顔の土井が側にいたら、それだけで小花ちゃんは安心するよ」

「綿……」


 それなら今の俺に出来ることは何だ。


 もう二度と、彼女に他の者の手が及ばぬように。


 今まで、なあなあにして先延ばしにしていた。この因果に終止符を打つことだ。


 (それにはどうしたらいい)


 何をすればいいのだろう。


 黙って考え込む俺に、絹がピッと人差し指を立てて小首を傾げた。


「なあ、お前。前、私に言っていたな。『俺は捧げられたいなんて、これっぽっちも思ってない』と」

「うん」

「代われと言った私に、『代われるもんなら、とっくに代わってる』とも言った」

「言ったね」

「今、その気持ちに変わりはないのか」


 問われて、俺は肩を竦め首肯した。


「ない。もう、こんなのは嫌だ。小花に合わせる顔がないから。

 それに」


 ちゃんと小花と向き合えるように。


 神様じゃない。

 ただの狸である俺を受け入れてくれた小花と付き合うためにも、過去の自分にケジメをつけたい。それが彼女に対しての、せめてもの誠意だと思うから。


「願わくば」


 願わくば。


 人間も信仰もどうでもいい。彼女と普通に暮らしたい。


 多くは望まない。細々とでいいんだ。


 山で採れるもの、川で採れるもの。たまに絹の畑のものを食べながら。これまでのように他愛ない話をして、みんなで笑い合いたい。


 彼女が笑顔であって欲しい。


 ただそれだけだった。


 胸中を吐露し終えた俺。聞いていた狐は、にいっと口元に笑みを浮かべる。


「そうか、なら好都合」

「好都合?」

「なあに。悪い話じゃあないさ」


 怪訝な顔をする俺に対し、絹はしゃがみ、こちらにぐっと顔を近づけて言った。


「ーーその信仰、私に寄越せ」


 人間たちに一泡吹かせてやろう。


 そう語る瞳が、闇夜の空に浮かぶ金色の月のように魔性の輝きを放っていた。

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