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春・狸と花と狐


 雪が止み、長くも短く感じた冬が終わりを告げた。


 わたしは烏の紫煙さんが持ってきてくれた萌黄色の着物を纏い、草履を履いて洞窟から顔を出す。


 溶けた雪の間から、新芽が芽吹いているのが見て取れた。


「小花ー、いいよ!こっちおいでー!」

「はーい」


 わたしは身を屈めて外に出た。

 なるべく雪を避けながら土の上を歩く。


 土井さんの声が聞こえるのは、記憶にあるおタヌキ様の祠とは逆方向で。


 (おかしいな)


 わたしは内心首を傾げた。


「そろそろ俺の家で暮らそうか」


 そう言って、家の様子を確かめてくると出かけられたはずなのに。木霊のように「こっちだよ、こっちー」と声が呼ぶ方向は、ますます祠と洞窟から遠ざかっていく。


 そうして森の中を進むと、やがて一軒の立派なお屋敷が現れた。


「わあ、大きい……」


 荘厳な構え。

 玄関の太い柱に触れると、滑らかな手触りだった。


 (村長の家より古いのにピカピカだ……)


 それだけ手入れを怠っていないのか。家の周りには塵一つ落ちていない。


「やっと来たね」

「土井さん」


 玄関の戸が開き、中から人型の彼が顔を覗かせる。


「立派なお屋敷ですね」

「本当だよねー。家の中も、二百年前に来た時と全然変わってないや」

「に、二百年前」


 途方もない時間だ。まるで想像がつかず呆気に取られていると、不意にわたしの脇を小さな影が走り抜け。


「貴ッ、様ァアアアー!」

「ぐっ!?」

「土井さん?!」


 その影が土井さんの腹部に突進、衝突した。


 わたしが倒れ込む土井さんに駆け寄ろうと敷居を踏むと、目の前にもう一つの影が現れる。慌てて踏み留まろうとしたが。


「わ、あ……!」


 バランスを崩して尻餅をついてしまった。後ろ手をついた左手首がずきりと痛む。


「痛……っ」

「!ごめん、転ばせるつもりはなかったんだ!巻き込まれないように止めようとしただけで……!」


 ごめんね、大丈夫?


 重ねての謝罪。


 顔を上げて見ると、膝を屈め、申し訳なさそうにわたしを見つめるお兄さんがいた。雲の様にふわふわした薄い橙色の髪を、土井さんのように高い位置で結っている。


「どこが痛むの」

「えっと、手首が」

「診せて」


 おずおずと左手首を差し出すと、金色の瞳がスッと細められた。


「骨は大丈夫そうだね。良かった」


 それから両手でわたしの手首を包むように握る。すると、不思議と痛みがすっと引いていった。


「僕は綿(わた)。君の名前は」

「わ、わたしは――」


 ――ドォン!


 名乗ろうとした矢先だった。


 まるで強い風に屋根が吹き飛ばされたような轟音が響き、ぶわりと土煙が舞う。


「土井さん……!」


 咄嗟に彼の姿を探すが見当たらず。


 (一体どこに)


 口元を袖で隠し目を凝らすと、煙の晴れた向こう。廊下の右手と左手の壁に大きな穴が空いているのが見えた。


「あれは……?」

「あーあ。また豪快にやったね」

「また、って」

「あの二人、元々犬猿の仲なんだ。ま、犬と猿というより、狸と狐なんだけど。懲りずによくやるよ、全く」


 綿さんはそう言って腕を組み、肩を竦めた。


 それとほぼ同時に、左手の穴からは土井さんが、右手の穴からは綿さん似のお兄さんが砂をぺっと吐き出しながら出て来る。


 (似ているというより、まるでそっくり)


 鏡で写したかのように似ている。


 わたしが穴から出てきた彼と綿さんとを交互に見ていると、視線に気付いた彼が苦笑して頬を掻いた。


「僕たち双子なんだ。向こうの彼は、(きぬ)って言うんだよ」

「絹さん……」

「綿!勝手に人の名前を教えるな!」

「っ」


 どうやら絹さんの機嫌を損ねてしまったらしい。絹さんのお名前を繰り返すと、予期せぬ怒号が飛んできた。


 わたしがびくりと肩を震わせると、彼は舌打ちをし、キッと目尻を上げたまま土井さんに食い掛かるようして怒鳴る。


「この駄ヌキめが!今更どの面下げて来やがった!」

「んー?この面?」

「今すぐ自分の家に帰れ!」

「そうしたいのも山々なんだけど。いかんせん、埃っぽくてさー。片付けるのも面倒だし。当分泊めてもらおうかなって」

「嫁は働き手だろうが!いるなら働かせろ!」

「あー、ヤダヤダ。これだから石器時代から価値観進んでない男ってのはヤダよねー。嫁が働き手なんて、いつの時代のこと言ってるのさ。俺はお嫁さん愛でるタイプの旦那さんなの。そういうわけで、奥の客間借りるね」

「しれっと人の家の奥に行くんじゃないッ!仮にも旦那なら、自分の棲家を何とかすることから考えろ!」


 絹さんの怒りを、手をひらひらさせながら右から左へと受け流す土井さん。


 (だ、大丈夫かな……)


 また爆発しないだろうか。聞いているだけで気が気ではなかった。わたしが両手を握りハラハラしていると、二人を見ていた綿さんが溜め息を着きながら口を開く。


「いい加減にしなよ、二人とも。この子が困ってるじゃないか」

「ごめんね、小花。柄の悪い狐が一匹いて恐かったねー」

「大方貴様のせいだがな」

「絹」

「……私は悪くないだろ」


 綿さんに窘められ、ふんとそっぽを向く絹さん。宙でくるりと一回転すると、金色の瞳をした、艶やかな毛並みの狐になった。


 土井さんはそんな絹さんの脇をするりと抜け、わたしの前でしゃがみ込み目を細める。


「小花にもっと色々食べてもらいたいって言ったでしょ。ここなら台所も付いてるから、使わせてもらおうかなって思ったの。冬中考えてたんだー。ふくよかな小花も可愛いだろうなって」

「土井さん……」


 分かってる。土井さんがふくよかな方を好きだって。でも。


「喧嘩は、よして頂けると……」

「喧嘩じゃないよ。狐が戯れてくるだけ」

「誰が何だと。この低俗狸が」

「誰が低俗だって?」

「貴様だ、土井。人間なんぞ供物として好むのを、低俗と言わずに何と言う」

「人間が飢えてる時に油揚げを集る狐程じゃあないよ」

「フン。私は捧げたいという人間の願望を叶えてやっているだけだ」

「俺だって、捧げられたいなんてこれっぽっちも思ってないけどね。代われるもんなら、とっくに代わってる」

「丁度いい。今すぐそこを代われ」

「やめなって、二人とも。顔合わせると、すぐに張り合おうとするんだから」

「だって絹が会うたびに過去のことをぐちぐちぐちぐち言ってさー」

「五百年前、人間からの信仰を貴様に盗られた日のことを簡単に忘れられるか」

「そう?俺は綺麗さっぱり忘れたけど」

「ほー、そうかそうか。便利な頭だな。

 今すぐ帰れ、腐れ狸ッ!」

「うわっ!?」

「こら、絹!」

「私は悪くない!」


 毛を逆立てて土井さんに飛び掛かる絹さん。綿さんがそんな彼を後ろから抱き抱えて止めんとするが、肝心の本人は土井さんの着物に爪を引っ掛け意地でも逃すもんかと足掻いている。


 そんな三人の姿が。


『じゃあ、うちで引き取れって言うの?!』

『今食べていくので精一杯なんだから!』


 脳裏を過る記憶と被る。


「――わ!わたし、大丈夫ですから!」

「え」

「は?」

「小花ちゃん?」

「わたしは、たべなくても、だいじょう、ぶ……」


 浅くなる呼吸。堪らなくなり、絞り出すように吐き出した。


 家族がいなくなり、村に一人残った。

 その日の夜。


 親族一同ーーとはいえ、村がほとんど親戚のようなものだけれどーーが居間に介し、誰がわたしを引き取るかで揉めていた。


『うちはまた生まれるから無理よ』

『うちもこれ以上は無理だなあ』


 誰も引き取りたがらなかった。


 当然だ。決して豊かじゃない村で。誰かの家族で、食いぶちが一人増えるのだから嫌に決まっている。


『じゃあアンタのところで面倒見なさいよ。うちより一人少ないんだから』

『勘弁してよ。こっちは男の子がいるんだから。どれだけ食べると思ってるの』


 話し合いはいつしか押し付け合いになり。


『じゃあお前のところで育てればいいだろ!』

『なんでうちが!』


 喧嘩になった。


 (そうだ、わたしがいるからいけないんだ)


 忘れていた。


 (わたしが生きていて、わたしが食べるから)


 わたしが我慢すれば、きっと――


「何を言っている」

「え」


 降ってきた声に顔を上げた。


 再びくるりと宙で回転し、人型になった絹さんがくいっと片眉を上げ顔を顰める。


「勝手に自責の念に駆られるな。これは私と駄ヌキの問題だ。五百年前なんぞ、お前は生まれてすらないだろうが」


 言われてわたしは息を呑んだ。


「これは、わたしのせいじゃない……?」

「当たり前だ」


 わたしのせいじゃない。


 確かめるように何度も口の中で繰り返す。綿さんはそんなわたしの顔を覗き込んでは、静かな声色で訊ねた。


「小花ちゃんは何が食べたいの」

「わ、たしですか……?」


 聞かれてそろりと土井さんを振り返る。彼は目尻を下げて言ってごらんと促した。


 (いいの、かな)


 わたしは両手をきゅっと胸元を握って、ごくりと生唾を飲んだ。震える唇から息を吐き出すように言った。


「お味噌汁が、飲みたい、です」


 具なんか入っていなくてもいい。お水にお味噌が溶けてるだけでもいい。


 一人でぽつんと食べるんじゃなくて。

 みんなで丸くなって。


「冷たいものじゃなくて、温かいお味噌汁が飲みたいです……!」


 また、誰かと一緒に。家族がいた、あの頃のように。


 熱くなる目頭を誤魔化すように鼻を啜って、願うように瞳を閉じる。


 すると、絹さんがふうと軽く息を吐いて言った。


「……綿、壺の味噌はどうなってる」

「どうだろう。久しく食べてないから、カビが生えてると思うよ」

「取り除けば食べられたよな」

「そうだね」

「はいはーい!じゃあ俺は山菜採って来るね!」

「ついでに魚も取ってこい。私はおかずのない食卓なんぞごめんだ」

「えー、それって絹が食べたいだけじゃん。俺、小花のためじゃないと頑張れないのに」

「この私が。その小花のために。飯を作ってやると言っているんだ。いいから、家賃分狩ってこい」

「それって」


 顎に手を当てた土井さんが、ニタリと口元を緩ませては絹さんの顔を覗き込んだ。


「これからもここに住んでいいってこと?」

「ささっと行け!」


 土井さんの背中を蹴り飛ばす彼に、綿さんはくすりと笑いながら「口は悪いけど、いいヤツなんだよ」とわたしに耳打ちした。


 わたしはそろそろと彼に近づき、声をかけた。


「あの、絹さん」


 腕を組んだ彼は、呼ぶと目だけでチラリとこちらを見下ろし呟く。


「……味噌汁、飲みたいのだろう。飲ませてやる」

「!はっ、はい……!」

「だが、何度も作ってやるほど私は優しくないからな。作り方も教えてやるから、一度で覚えろ」

「はい!ありがとうございます!頑張ります!」


 食べるだけじゃなくて、自分でも作ることが出来るなんて。


 (夢みたい)


 土井さんのところに来てから、夢みたいなことがたくさん起こる。


 (嬉しいな)


 嬉しい。


 我ながら単純だ。顔がだらしなく緩みそうなのを口を窄めて必死に堪えていると、絹さんがわたしを見下ろし目を見張る。


「お前は――」

「小花は俺のお嫁さんだからあげないよー」

「いらんわッ!」


 ゴッと鈍い音がして、土井さんの頭に大きなたんこぶが一つ、出来上がった。

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