冬・理由
土井さんに連れられて雪道を歩いていると、雪の中にぽっかりと開いた洞穴に辿り着いた。
「小屋もあるんだけどさ。あそこ数年帰ってないから、埃だらけだし。片付けるにしても、もう少し暖かくなってからじゃないとね」
どうぞ入って、と誘われるまま、穴の中に踏み入った。
(狭い……)
地面に手をついて四つん這いにならないと潜れなかった。もしかして中もそうかな、と一抹の不安が胸を過るが。
「わ、広い……!」
「でしょー、今年は頑張ったんだー」
わたしが感嘆の声を上げると、土井さんはふふんと得意気に鼻を鳴らした。
入り口とは裏腹に、中は立ち上がっても余るほどの広さがあった。ゆっくりと立ち上がると、柔らかくなった落ち葉が足裏を擽る。
「この洞穴は」
「俺が冬越すときに使っている穴だよー。穴籠りっていうんだけどね。冬は雪が酷いから、どんぐりとか栗とか貯めて引きこもるの」
「そうなんですね」
「おかげで運動不足。こーんなに太っちゃったんだから」
「元がどうだったのか存じませんが、とても可愛らしいと思います」
「そ、そうかなあ……?」
照れているのだろうか。前脚で器用に後ろ頭を掻く仕草が妙に人間らしい。
「あ、そうだ。小花は何を食べる?人間は生栗食べないよね。干し柿なら食べられるかな」
土井さんは壁に吊るしていた干し柿を三つ取って、わたしの手の平に乗せながら言った。
「はい、これあげるよ」
「い、いいんですか?これは土井さんの食べ物じゃあ……」
「いいの、いいの。俺にはこれがあるからー」
そう言って、彼が足元の木の葉を掻き分けると、中から栗やどんぐりがゴロゴロと現れる。
「栗とかどんぐりって、見た目は小さいけど栄養がたくさん詰まってるんだ。俺はこれだけあれば充分」
「そうなんですか」
「ま、貯めておいて損はないから。この歳になったら、先を考えてあれやこれやと貯めちゃうんだよねー」
土井さんは栗を一つ取り、生皮を器用に剥がしながら咀嚼する。
「今は木の実だけだけど、春になって川の氷が溶けたら一緒に魚を食べよう」
「お、お魚、ですか……?」
「あれ、ひょっとして嫌いだった?」
「い、いいえ!好きですっ!」
ゆるりと首を傾げる土井さん。わたしが慌てて否定すると、彼は胸を撫で下ろし破顔した。
「ふはっ、良かったー。
夏や秋になったら、美味しい木の実や果物も取ってあげる。この山の果物って甘いんだよ。それからね――」
それから、と言って語られる言葉の半分も頭に入ってはこなかった。
お魚を一緒に食べようと言われたのも。美味しい木の実や果物を取ってくださると言われたのも。
全部全部、わたしにとっては夢のようなお話で。
「ありがとう、ございます」
まだ冬なのに。
未来を思うだけで、まるで春が訪れたかのように、心がほっこりと温かくなる。
(でも)
他に小花が食べられそうなものあるかなー、と穴の中をぐるりと見て回る土井さん。
こうして土井さんが貯めている食べ物は、冬を越すために自分で集めたもののはず。その貴重な食べ物を、わたしのために消費していいはずがない。
わたしは口元をきゅっと結び、その場に腰を下ろす。それから居住まいを正して、彼の背に声を掛けた。
「あの……、土井さん」
「うん、なーに?」
「わたし、ご飯は数日に一度で大丈夫です」
「え?」
「今までも、頂いた時にしか食べていませんでしたので」
「ええ?!」
土井さんがぐるりと首を回しこちらを振り返る。丸い瞳は更に丸くなり、驚き一色に染まっていた。
「もしかして、小花が痩せてるのって」
「二日に一度、お食事を頂いておりました」
絶句。
唖然とする土井さん。その手からぽとりとどんぐりが落ちた。
「ですからその、わたしのことはそんなに気にならさず」
「ダメ!」
「だ、……え?」
「絶対にダメ!」
土井さんは、後ろ脚ですくりと立ち上がる。そして勇ましく眉を吊り上げ、前脚を腰に当てて言った。
「俺はそんなに甲斐性がない夫ではありません!」
「い、いいえ!甲斐性がないだなんて……!」
「小花。よく聞いて。ご飯はちゃんと毎日食べるんだよ」
「毎日なんて、贅沢じゃ……」
「贅沢じゃない」
「え」
「ご飯を毎日食べることは贅沢じゃないよ。有難いことなんだ」
「有難い、こと」
「そうだよ。さっき話した通り、俺の分は蓄えはちゃんとある。だから、小花も自分のご飯を食べて。もぐもぐ食べて。なんなら太って」
「ふ、太る……?」
「うん。太って」
困惑するわたしとは裏腹に、真っ直ぐにこちらを見つめる瞳。彼はわたしの手に前脚を重ねて、力強く頷いた。
もしかして。
「土井さんは、ふくよかな方がお好きなんですか」
「うーん、と。そうじゃなくてね……?」
そうなんだけど、そうじゃないっていうか。小花が少しでも太ってくれたらいいなって思うけど。それって俺が太ってる子が好きっていうことでいいのかな、うーん?と頭を抱えて唸る土井さん。
(やっぱりふくよかな方がいいんだ)
太らねば。
そう思った。わたしは胸の前で拳を握り、決意を新たにする。
「分かりました。わたし、頑張って太ります……!」
「え、あ、うん。よろしく……?」
なぜか苦笑する土井さん。
そしてわたしに寄り添うようその場に腰を下ろし、自分もまた二つ目の栗を手に取る。そして、干し柿を持つわたしの手を軽く叩いて言った。
「じゃあほら、食べよう。
頂きまーす」
「い、いただきます……」
わたしは土井さんから頂いた干し柿を一つ、口に運んだ。前歯で少し齧ると、果実の柔らかさを感じて。じわりした甘さが舌に広がる。
「美味しい……」
自然と緩む口元。
土井さんはそんなわたしを見つめて、嬉しそうに尻尾を振った。
▽
木の葉に包まった小花が寝入ってから。
洞穴の外から羽音が聞こえて、俺は咄嗟に顔を上げた。
隣で寝ている彼女を起こさないように、慎重に足を運び洞穴の外に顔を出す。
「一体、どんな心境の変化じゃ。土井よ」
「紫煙さん」
知り合いの姿を認めて外に出る。
烏の紫煙。
俺よりうんと歳上で。生まれて早々母親を亡くした俺に、山のイロハを教えてくれた烏だった。
俺は木に留まっている彼を見上げ、態とらしく首を傾げる。
「心境の変化、って何のこと」
「とぼけるな。生贄と聞けば、迷わず尼寺に送り届けるよう頼んできたお主じゃろう。それを、急に手元に置くとは」
ああ、紫煙さんは十年毎に訪れるこの日。生贄の子を送り届けてくれる日のことを覚えていてくれたのか。
(ほんと。マメなひとだよね)
言ったら咎められそうなので、俺は笑って誤魔化しながら降参の手を上げた。
「あの子はさ、自分の名前を言わなかったんだ」
今までの子は、ちゃんと言っていた。自分の名前を。
そして、身体を震わしながら切に乞うた。助けてくれと。
「でも、あの子は違った。俺が名前をあげたら、本当に嬉しそうにしていた。俺が喰わないと分かったら、不思議そうに首を傾げていた。俺が干し柿をあげたら、美味しそうに頬張ってた。
興味?かな。初めてなんだよ、あんな子は」
「良いのか。また傷付くことになっても」
「嫌だよ」
俺は言われて肩を竦めた。
痛いのは嫌いだ。傷付くことも大嫌い。
『お前、人喰い狸だったのか?!』
いくら親しくなったとしても。
擦れ違うことは簡単だ。
今まで誰も側に置かなかった。一人だったら傷付かないから。「誰か」と一緒にいなければ、静かで落ち着いた日々を過ごせるもの。
「でも、あの子とは。小花とは、一緒に居てみたいと思ったんだ」
理屈とかじゃなくて。ただ「なんとなく」、俺の心がそう望んだ。
それに。
「もし何かあったとしても、また紫煙さんが慰めてくれるでしょ」
「少しは年寄りを労ろうとは思わんのか若造」
この気紛れ狸が、と。
彼は呆れたようにひと鳴きしてから、しんしんと雪降る空へ飛び立って行った。