社交界の黒百合の小さな野望。
「わたくし、このスキルを活用して世界を変えようと思いますの」
「…はぁ」
私、メイドのエリカの雇い主…ユリアナ・フォン・ディーシュヴァルツリーリエ公爵令嬢が学園から帰って来るなり高らかに宣言した。
「なによぅ〜その気のないお返事」
「だってお嬢様の思いつきがまともだったことないですし」
「あらまぁ無礼者ねエリカったら」
「サクッとクビにして下さってもいいんですよ?」
ユリアナお嬢様はその艶やかな黒髪と清廉な美貌、凛とした振る舞いと佇まいが社交界の黒百合と称され、是非我が子の婚約者に…と引く手数多の御令嬢である。
そんなやんごとなき御令嬢の専属メイドが何処の馬の骨か分からない戦災孤児の私というのもあまり外聞も防犯上も宜しくないだろうし、女1人で市井で生きる為に必要な程度のお金や知識も手に入れたので私がここで働き続ける理由はあまりないのである。
「嫌よ。エリカは私の大切な親友…だもの」
「いつからそうなったんですか。恐れ多い」
私としては主従関係しか認識していないのだが…我ながらいつの間にやら大出世したものである。
「で、世界を変える話の続きですわっ」
「あ、それ続くんですか?」
ユリアナお嬢様のお気に入りの花茶と木の実を混ぜ込んだクッキーを用意しながら話に耳を傾ける。
この国の上流階級の人々は何かしらのスキルや魔法を御先祖様からのギフトとして継承している事が多いのだけれど、その力が発現するのは大体思春期辺りから…つまり学園に通い始める辺りからとなる。
そしてどうやらユリアナお嬢様は本日遂にスキルが発動したらしい。
「一体どんなスキルだったんですか?」
「エロトラップダンジョン作成ですわ」
「えろとらっぷだんじょん」
社交界の黒百合から決して飛び出してはいかん単語が飛び出したぞオイ。
「壮っ…観…でしたわぁ…♡」
うっとりと空を見つめ、スキル発動後の光景を恍惚状態で噛み締めている姿は夢みる乙女のよう。
…しかしエロトラップダンジョンて。
壮観って事は大分大惨事だったのではなかろうか。
「あっ安心してね?巻き込まれたのは殿方だけだからっ」
「余計大惨事じゃねぇか」
おっといけない敬語忘れてた。
「エリカったらたまに口調がワイルドになりますわね…そこも素敵よ?」
「はぁ」
上流階級の人の素敵はよく分からない。
「わたくし…自分の才能に慄きましたわ…」
まぁそりゃそうであろう。
エロトラップダンジョンとやらが具体的にどういうものかは分からないけれど、ユリアナお嬢様が寝物語に読む本の内容を思い出すと巻き込まれた貴族令息達の性癖が歪まないか心配になる。
「粘液に溶かされる衣服と未知の感覚に身を震わせる少年達の戸惑いと快」
「それ以上はいけない」
仮にも貴族令嬢もうら若いメイドが茶を飲みながらする話でもない。
「あらいやだわ。つい、この興奮をお裾分けしたくなってしまって…」
うふふ、と笑う姿は清廉潔白そのものなのに…そもそもディーシュヴァルツリーリエ公爵家の人々は見た目が清純派なのに中身がそれを裏切り倒す背徳一家(優しく表現)である。
そして幼い頃から国内外の古典から最新版までたっぷりと春画や艶噺を鑑賞してきたユリアナお嬢様はそのハイブリッドとも言える知識を蓄えている。
「興奮のお裾分けは結構です」
「んもぅつれないんだから…」
「大体そのエロトラップダンジョンとやらで世界を変えるとか…」
「それですわっ!」
グワッと立ち上がり拳を握る姿すらお淑やかであるのに、妙な迫力に満ち溢れており、あーこりゃややこしい事になるなぁ…と内心溜息をついた。
「わたくし、このスキルを使って事業を始めようと思いますの」
「事業」
「そう、この国って性に対して保守的なくせに春画や艶噺の本はたっぷりこっそりがっつり流通していますでしょう?」
「まぁ、そうですねぇ」
「そんなむっつり助平なお国柄ですもの。秘めたる欲望は凄いはずですわ!」
ですわ!じゃない。
しかしつっこんだ所で止まるようなお嬢様ではないのである。
正直社交界の黒百合ではなく暴走猪な姿の方がしっくりくる程度には付き合いが長いのだ、こちとら。
「会員制サロンのような形で欲望を解放する場を提供し、その対価を頂く…そういったサービス業ですわね」
「それ風俗っていうんですよ。大体従業員とかどうすんですか!口が軽い人間だったらお家の信用問題にも関わりますよ?」
「大丈夫!人間は今の所1人しか雇いません。」
その1人って誰だよ?嫌な予感しかしないんだけど。
「そりゃあ娼館やキャバレーなんかもありますけれど、それはそれ、ですわ。わたくしの目指す事業は自分の中の幻想を楽しみたい方に向けていきますの」
「…それイメクラって言うんですよ?」
「エリカは博識ねぇ」
「お嬢様を日々お世話していたらそうなりますね」
拾われた時は天使に救われた…とか思ってた幼い私をシバキ回したい。
「表向きは図書館と書籍の工房と流通を兼ねた文学サロン…。その中から選ばれし方をエロトラップダンジョンにお誘いして…秘めたる欲望を解放するお手伝いをさせて頂いて…♡」
「いろんな意味でいかん気がするのですが」
「どんな事業でも最初は誰でも否定的。そういうものです」
革新的な商人ギルドの長かアンタは。
こうなったら人の話など聞かないのは分かっていた。
「…そもそもなんでそんな事業をやろうと?」
「わたくしとエリカのためですわ」
「はぁ?!」
「だって貴女、わたくしから離れようとしているでしょう?」
「それは」
自分の為でもあるけど、将来的にユリアナお嬢様が嫁に行くなら私はお邪魔なわけで…。
「…だめよ。エリカはわたくしが拾った時からわたくしだけの大切な花なのに」
「はぃ?」
「離す気なんてないのよ、貴女を」
白魚のような手に指を絡め取られ熱っぽい視線を送られたけれど、それにドギマギしていてはお嬢様の相手は勤まらない。
「ツッコミ役がいなくなるからですか?」
「まぁそこも貴女の得難い部分でしてよ」
ボケの自覚あんのかい。
やはり一筋縄ではいかない、このお嬢様。
というか話しながらやわやわと指の股やら手の甲やらまさぐってくるのやめてくれないだろうか。
くすぐったい事この上ない。
「貴女にはどんな形であれ、わたくしの傍にいて欲しいの。それがわたくしのたったひとつの野望」
「…野望て」
もう少し可愛い表現と語彙力を学ぶべきだ、この人。
…そうしたら、絆されてやらないでもないのに。
「で、エロトラップダンジョンの顧客を増やして国のお偉方の心を掴んで政治中枢に多少口出しが出せる立場になる予定ですわ」
「守秘義務!守秘義務がありますからね!?それ系のお仕事には!」
「勿論わかっていてよ?…大丈夫、不利益になるような…悪い様にはいたしませんわっ!」
完全に悪役側の台詞である。
「この国を変えてやりましょう、二人で!」
「自然に巻き込まないで頂けます?」
「でも貴女、わたくしの悪巧…事業計画案を全部聞いてしまっているし…」
「悪巧みって言いかけた!?」
「気のせいよ。…計画が外に漏れてしまっては困るし…協力してくれないとなると…ねぇ」
「雇用主が意味ありげにジリジリ近づいてくるの怖いんですけど」
「大丈夫。悪い様にはしないわ。…エロトラップダンジョンへ御招待するだけ!そしてわたくしとめくるめく」
「めくるめこうとするな!」
「ひゃうっ!」
暴走猪状態のお嬢様を止めるには庶民の拳法技の1つ、デコピンが有用である。
「いたぁい…」
「落ち着きましたか」
「うん…」
白磁の肌がうっすら赤く染まっていて、少しだけ罪悪感を覚えるけれど気づかなかった事にする。
「…分かりました。事業のお手伝いはさせて頂きます」
「エリカ…っ!」
「正直物凄ーーーーーーーく嫌ですけど…あ、メイドとしてのお給金とは別にお賃金頂きますからね」
「それでも構わない。例えお金だけの関係でもっ」
「いかがわしい言い方しない!」
「でもエリカ、わたくしよりお金の方が好きでしょう?」
「それはそうですね。お金は好きです」
お金は何せ裏切らないし頓痴気な事を言い出さない。
「貴女のそういう所、信用していますわ」
「そりゃどーも」
「では女2人、とこしえに手に手をとって…時には手取り足取りくんずほぐれつ頑張っていきましょうね…♡」
「不穏な単語混ぜこまないでください」
…そうして始まったユリアナお嬢様のエロトラップダンジョンビジネスがまさかの空前絶後の大ヒットをぶちかました上に、国としての法や理を動かしてしまう事になるとは…その時の私には想像も出来なかったのである。どっとはらい。