20.夏休みの始まり
「――アイリス、どうしたの? もう先生の話、終わったよ?」
ハッとしたアイリスは、顔を上げる。目の前では、クラスメイトが笑っている。
「これから夏休みだよ、嬉しくないの?」
「えっ? いえいえ、ちょっと今後の予定を考えていて」
「そっか……そりゃそうよね。ふふふ、頑張ってね……それじゃ!」
「はぁい、また……」
何やら意味深な笑いを見せて去った女生徒に手を振り、アイリスは机の上を片付けながら、そっと息を吐く。少し考え事をしていたのだ……。
魔法祭終了から一カ月が経ち、本日で今学期は終了した。
――あの後、生徒会長は自主退学し、今では副会長キャリーがその地位を継ぎ、エリーゼがスライドして副会長に就任、ミレナも正式な生徒会役員としてついに認められた。
事件の翌日全校集会が行われ、あれは王国の要請を受け学校が実施した、大規模な緊急避難訓練であったのだと生徒たちには説明されたらしい。だが、あの時の教師たちの動揺や、その後のレヴィンの退学もあり、生徒たちの間では様々な憶測が今も飛び交っている。
そしてあれから、リックスは学校に来ていない。
彼はアイリスを送り届けた後、一週間ほど学校を休むように釘を刺して帰っていったのだが……それだけでは済ませず、両親に礼儀正しく挨拶すると、また伺うと頭を下げて出ていった。
当然父母に問い詰められたアイリスだが、まさか一緒に王太子襲撃事件の犯人を捜していましたなどと言えるはずもなく……最近偶然友達になりました、と答えるしかなかった。
その後登校した日から、リックスとは会えずじまいだ。彼がアイリスを連れ帰ったのを見ていた者は大勢いたし、もっと質問攻めに合うのかと身構えたけれど、意外にも彼らは気を遣ってくれているようで、彼についてほとんど聞いてくることは無かった。
しかし奇妙なこともあった。それから度々アイリスは面識のない女生徒にまで肩を叩かれたり握手されたり、拝まれたりするようになった。そして何だか知らないが周囲では《真の愛》という言葉が流行っていて、急に中を深めた男女の姿が多く見られるようになった――。
(リックス様、どうしてるんだろう……)
「――アイリス様っ!」
「わぁっ!!」
「よかった、残っていらっしゃいましたのね!」
「ど、どうしたんですか……?」
再び考えに沈んでいたアイリスは、教室の扉を開けて飛び込み、後ろから抱き着いてきた人物に身を固くする。
こちらに頬をこすりつけて笑ったのはエリーゼだった。彼女には何度かミレナを守ってもらったこともあって、今では仲のいい友人づきあいをできている。
アイリスとしては誓約の魔法を解いてあげたい思ったのだが、しかし彼女は何故かそれを、「アイリス様との繋がりが消えてしまうのは寂しいから嫌! ですわ」となどと言い拒否してしまった。
そんな彼女は今日は一人では無く、後ろに背の高い女生徒を連れている。
その姿をアイリスは見たことがあった。短い黒髪をボブカットにした、知的な雰囲気のこの女性こそが、レヴィンに代わり生徒会長に就任した、キャリー・ブラントスだ。
「アイリス様に会いたかったのはもちろんあるのですが、彼女にぜひ、あなたに紹介して欲しいと頼まれまして……」
少し弱った様子でいうエリーゼに頷き、アイリスはキャリーを見上げた。背の高い彼女の目が、ゆっくりと細められる。
「生徒会副会長、キャリー・ブラントスです。よろしくお願いするわね、アイリスさん……」
「はぁ、どうもご丁寧に。こちらこそです」
ぺこぺこと頭を下げながらもアイリスは、なぜ彼女がわざわざ自分のような人間に接触して来たのかが少し疑問だった。切れ長の黒い目からは、あまり感情が読み取れない。
「驚かせてしまってごめんなさい。色々あって遅れてしまったけれど、魔法祭で学年別優秀賞に輝いたあなたたちのクラスで、特にアイリスさんが大きな役割を果たしたと聞いていてね。ぜひ会ってみたいと思っていたの。魔法の特性を生かした、素晴らしい出し物だったわ」
「ありがとうございます! でも、あれはあくまでクラスでの成果なので……」
謙遜するアイリスに、キャリーはもう一つの事実を明かす。
「でもそれだけじゃなくてね。私も実は、闇魔法の使い手なの。ほら」
「あっ、同じなんですね! 私も!」
彼女はそう言うと、黒い雲をぼんと手のひらの上に浮かばせて見せ、アイリスも同じようにしながら感激する。
この世で使い手が一番多いのは地水火風など四属性。次いでリックスのような氷、雷などのやや特殊な系統の魔法を使えるものが一割ほど。そしてミレナやアイリスのような光や闇魔法の使い手は中でも圧倒的に少ない。初めてお仲間に出会えた気分だ。
「いいな~、キャリー会長。私もアイリス様とお揃いがよかったですわ~」
それをエリーゼは羨ましそうに指を咥えて見つめ、キャリーは年長者らしく諭す。
「これだけは、生まれ持ってのものだから仕方がないわよ。それに火属性こそ、最も使い道が多くて優秀と言われているのだから、贅沢を言うべきではないわ。……それでね、ふたりともよかったら夏休みだし、少しうちに遊びに来ないかしら。ミレナさんも来ることになっているの」
「いいんですか!?」
ミレナも一緒だと聞いたアイリスは飛び上がって驚き、キャリーは苦笑してそんな彼女の肩を押さえる。
「ええ、父も希少な魔法使いには目が無いから、あなたたちにきっと会いたがるはずよ。魔法省の長官だから、たっぷり贅沢させてくれると思うし。もちろん皆一緒にね」
「行きますっ! いやっほぅ!」
「……アイリス様が行くのならわたくしも!」
アイリスは力を隠してからというもの、夏休みは家に引き籠ってばかり。こうして誰かに家に招待されるなんて数年ぶりのことで、すっかり舞い上がってしまう。エリーゼも少しだけ不安そうにしていたものの、嬉しそうなアイリスの姿を見て、自分も楽しむことを決めたらしい。
非日常への期待に手を叩き合うふたり。
そんな彼女たちを……キャリーは女性らしい微笑みを浮かべながらも、瞳を冷たく光らせて見つめていた。




