2.第二王子と妹の危機
「おはようミーちゃん」
「…………」
アイリスはいつも妹のミレナと同じ時間に起きる。というか、あることのためにもう少し早く起きているのだが、部屋から出る時間は合わせている。
元気に挨拶したのに、目の前の妹には完全に無視されすり抜けられる。これがトゥール家のふたりの姉妹の恒例行事である。もうひとり兄はいたが、今は別宅にて暮らしている。妹に伸ばした手を下ろすと、その後ろに続いたアイリスはダイニングテーブルの一角の座席に腰を落ち着けた。
「「おはようアイリス、ミレナ」」
「「おはようございます、お父様、お母様」」
この時だけはミレナと声が揃い、アイリス的には御褒美なのだが、ミレナは軽く舌打ちする。そんな妹もまた可愛いと、アイリスは自分の脳内記憶にすかさず保存した。
ここはトゥール伯爵家。そして目の前に座るのが伯爵夫妻、アイリスとミレナの両親だ。父ジェイクと母メリッサはいつ見ても仲がいい。ふたりの光り輝く爽やかな笑顔とミレナの御尊顔に囲まれ、アイリスは自分だけ闇の底から生まれでたのではないかと肩を小さくする。
「学校はどうかね、アイリス」
「あ、はい。楽しくやってます」
ミレナがちらっとだけこちらを見てすぐに視線を外し、紅茶を口にする。何も言わなかった彼女に少しだけホッとしながらアイリスは、スクランブルエッグとトーストを頬張った。
「ミレナの方はどう? 頑張ってるみたいだけど、困ったことはないかしら?」
「ないわ。いつも通りよ」
素っ気なく答えるミレナに、アイリスは続く。
「あっ、す、凄いんですよミーちゃん! 入学後の初めての実力テストで学年一位で、掲示板にもおっきく乗って……皆、女神様みたいだなんて」
「うるさいっ!」
大好きな妹のことをつい興奮しながらアイリスが話していると、ミレナはテーブルに思いきり拳を叩きつけた。
「ご、ごめんなさい……」
「気分悪い。食事はもういらないわ、行ってきます」
何が気に入らなかったのか、彼女はそれだけ言うと席を立ち、食堂を出る。
(なんなのよミーちゃんって、いつまでも子どもみたいに。人のことより自分のことでしょ。昔は……あんなにしっかりしてたじゃない)
聞き取れない声で何かを呟いたミレナに、アイリスはぽかんとする。
(ミーちゃん?)
「あらあら……。こら、アイリス。口を開けたままにするのはよくないわよ」
「まぁ、あの子も難しい時期なんだ。あまり構わないでいておやり」
「あ、はい。ごめんなさいお母様、お父様」
優しい母に叱られ、あわててアイリスはトーストにかぶりついた。父と母は気にせず談笑を続けている。これが、なんてことのないトゥール家の朝の風景だった。
◇
それから登校し、長い授業を受けて今は放課後。
「はぁ、今日はミーちゃん見られなかった」
構内で会えなかったことを残念に思いつつ、アイリスは教室を出る。彼女に友人はいない。人のいい生徒が二三言話しかけてくれることもあるが、それきりだ。
結構悪口も言われたりするが、慣れるとそれなりに耐性は付く。それより彼女の関心事はもっぱら妹の活躍だった。
「一学年のミレナ・トゥールさん、もう見習い役員として生徒会で働いてるんですって!」
「そりゃそうよねえ。あんだけ美人で頭もいいんだし、よりによって珍しい光魔法使いだなんて、囲っとくしかないでしょ。あ~、あたしも同じ学年だったら友達になりに行くのにな~」
(さすがミーちゃん、大人気! すごい! 天才!)
アイリスは鼻高々だ。今日もこれでいい日になったと校舎から出ようとしたところ、横合いから呼びかけられる。
「おい、あんた」
(誰か呼ばれてる)
「あんただよ、そこのお下げの人。アイリス・トゥールだろ」
お下げと呼ばれてようやく気付き、振り向くとそこには見知らぬ男子生徒がいる。滅多にみない美男子だ。ミレナと並ぶと画になりそうとは思うが、それはおそらく実現しない。彼女にはもう婚約者がいるのだから。
「あのう、本当に私に用ですか? 誰かと間違ってたりしませんか?」
「いいや、あんたに間違いない。少し時間を取らせてもらえるか? 人のいない所の方がいいだろうな」
人のいない所と聞いて、一応かろうじて存在するアイリスの警戒心がびっと反応する。しかし、次の言葉を聞いて、アイリスは彼に従わざるを得なかった。
彼は耳元でぼそっと囁いたのだ。
(バレてるよ、あんたの隠し事。ここで話していいか)
「……行きましょう。着いてきてください」
アイリスは内心動揺しながらも表情をそのままに、彼を裏庭へと連れて行く。視界内には誰もいないことを確認し、彼に視線を向けた。
「それで、ご用件はなんでしょう」
「その前に、なんであんた実力を隠してるんだ」
「何のことでしょう?」
アイリスは首をかしげて見せたが、少年は冷静な瞳で問い詰めた。
「あんたが、自分に自分で闇魔法を掛けて能力を制限し、それを人に知られないよう隠蔽してるのはわかってる。といっても、校内で分かる奴はほとんどいないだろうけどな」
その言葉に、アイリスは目を細めた。そう、彼女の秘密とは自らの力を隠していること。見破られたことに驚きつつ、アイリスは静かに聞いた。
「……それで、どうなさるおつもりなんです? 別にばらしても構いませんけど、誰も信じないと思いますよ。わざわざそんなことをする意味はありませんし」
「なら、なんであんたはこんなことを?」
「答えたくありません。話はそれだけですか?」
「待て!」
アイリスは背中を向けようとする。しかし少年の一言が彼女を止めた。
「これはあんたの妹に関係することかも知れないぞ」
「話してください」
くるっとターンしてそのまま帰ってくるアイリス。その姿に少年は溜息をついた。
「はぁ、噂は本当らしいな。校内一の鈍くさ女、アイリス・トゥール。妹をいつも見て興奮しているちょっとヤバい女だと聞いている。それ以外の情報は出なかった」
「……いいんです」
概ねその通りなので何も言い返せないアイリス。そんな彼女に少年は名乗る。
「俺はリックス・レイメール。あんたの妹と同じ一学年に在籍している」
「レイメールって……まさか」
その名前は聞き覚えがある。というか、この国に住んでいて覚えがないものもいないだろう。だってここ、レイメール王国立の魔法学校なのだから。
「王子様、なんですか?」
「二番目のな。ふふ……あんた面白いな。そういう反応も新鮮で悪くない」
「ごめんなさい」
第二とはいえ、王子様が入って来るのだから、当然入学式で噂になっていたはずなのだが、それよりも妹のことでアイリスは手一杯だった。おそらく、ミレナに関わること以外だったので、自動的に頭からシャットアウトしていたのだ。
苦笑する美男子に謝りつつ、アイリスはでもそれが自分と何の関係があるのかと疑問に思い、それを察したのかリックスは話してくれた。
「実は、ある事件の犯人がここに在籍している可能性がある。あんたの妹も、狙われてるかも知れ――」
「何ですって!」
て――て――て――……。
最後まで聞かずにアイリスが絶叫を木霊させ、傍に立っていた木からバサバサと何匹か鳥が飛び立っていった。