10.優しいひと時
それから数日後の放課後。アイリスは図書室で過ごしていた。
いくつかの分厚い本を手に取ると、片隅でパラパラとめくり、情報を集めていく。今彼女は、魔紋について詳しく調べている。結局あの後エリーゼに話を聞いても、生徒会の人員の中に王太子襲撃事件の容疑者を見つけることができなかったのだ――。
――誓約の魔法を掛け概ねの事情を話した後、リックスはエリーゼにも襲撃者のものだという魔紋を見せた。しかし彼女は心当たりは無いという。
「私が見た限りでは、生徒会の人物にそのような魔紋の持ち主はおりませんわね。実力も会長と副会長を覗けば、私と似たり寄ったりかと。だから私、ミレナ様を警戒していたのですわ。会長も彼女にご興味がお有りみたいでしたし」
それはアイリスにとって非常に聞き捨てならないことで、つい顔をしかめる。妹は王太子と言う婚約者がいるのだ。変な虫がついては叶わない。
「エリーゼさん、お願いがあるんですが……ミレナのことを見ていて貰えませんか? もし、生徒会長が彼女に何かしようとしたら庇ってあげて欲しいんです」
するとエリーゼは顔を輝かせた。
「もちろんよろしくてよ! アイリス様の願いでしたら、生徒会長を殴り倒してでも止めてやりますとも! 何なら今から私と一緒に彼を亡き者にする算段でも……」
「そ、それは……やめておきましょう」
何かを突き刺すように腕を振るエリーゼにアイリスも正直ちょっとだけ心が揺らいだが、かろうじて残っている良心で自分の欲求をセーブする。
「まあ、ミレナ様の安全は保障して見せますわ! 大船に乗ったつもりで居てくださいませ!」
胸を叩き高らかに笑うエリーゼに、アイリスはよろしくと頭を下げた。まだ完全に信用はできないが、彼女も実力者だ。誓約の件もあるし、何かあったら抑止力にはなってくれるだろう。
「エリーゼさん、俺からもよろしく頼む。それはそうと、生徒会に容疑者がいないとなると、この学校の関係者ではないのかな」
「魔紋を偽装する方法って無いんですかね?」
アイリスはリックスに尋ねてみる。すると彼は簡潔に答えた。
「ううむ……その人固有の魔力に組み込まれている紋様だからな。普通に考れば隠しようがないと思う。だが万が一、二種類の魔力を使い分けられる人間がいるとしたら可能性はあるかもな」
「不可能だと思いますわよ? 二色の血を体の中で流せとか言われる様なものですわ」
「魔力を隠蔽している人間に心当たりはないですか?」
「う~ん。いないことは無いですが、知る限りではアイリス様やリックス様に比肩するほどの腕前の人なんて一人もおりませんわよ? 私もこれでもそこいらの教師よりは魔法に長けているとは思いますが、おふたりに比べたらてんで稚拙ですわ。あなた方が下手人がいないと判断した以上、それも無いと考えるのが妥当ではないでしょうか」
エリーゼの言葉ももっともで、そうして犯人捜しは行き詰ってしまった――。
魔紋をふたつ持つ者。二重人格のような線も考えたが、魔力は精神ではなく肉体に紐づくものと考えられているので、その線は薄い。手掛かりは見つからず、アイリスは疲れて背もたれに体を預けた。
(ふ~、ちょっと疲れた。なんか最近騒がしいから……)
思えばリックスの出現から、アイリスの生活が慌ただしくなって来た。自分の兄の身を案じているのは確かなのだろうけど、彼はそれ以外は得てして自分が楽しめそうな方向に物事の舵を切る傾向があるような気がする。こちらからしたらとんだトラブルメーカーだ。
だが彼の言ったように、学内でのアイリスの立場は最近若干改善されてきたように感じてもいる。傍にリックスがいるからか、あまり周囲の女生徒が積極的に攻撃してこないし、やっかみでの陰口は増えたが、面と向かって文句を言われることも少なくなった。
そしてエリーゼまで何故か自分に服従を誓うようになったし、何だかこれからはもっと賑やかになりそうな気がする。変に目立つことは避けたいのに……。
(でも、ちょっとだけ……安心してる。ずっとひとりで、隠してきたから)
リックスに出会ってから、誰かが傍にいてくれる、そんな心地よい安心感が少しだけアイリスの心を軽くしていた。
(眠たい……)
うとうとして、膝に置いていた本がするっと落ちそうになり、アイリスは慌てて掴もうとする。だがそれよりも早く誰かが拾って机に置き直してくれた。いつの間にか、隣の席に座っていたのは、リックスだ。気がつかなかった。
「すいません、ありがとうございます……リックス様」
「いやいや、中々可愛い寝顔だったよ」
瞼をこするアイリスはぼんやりとリックスを見上げる。てっきり先に帰ったものだと思っていたのに、どうしてここにいるのか。疑問が表情から漏れたのか、彼は普段とは違う優しい表情で笑う。
「わざわざ探しに来たんだよ、アイリスに会いたくて」
「なんでですか?」
「本当面白いな、あんたは。そろそろわかってくれよ」
リックスがすっと手を伸ばし、髪を触ってもいいかと聞いたので、アイリスは頷く。必要最低限の手入れしかしていないこんな髪、誰に触られても別に構わない。そんな髪をしばしもてあそぶと、彼は少し残念そうに言う。
「ちょっと痛んでるな。手入れはちゃんとしているか?」
「王族の方と比べられても困りますが……」
「そう言うな。今度髪にいい整髪料を持って来るから、毎日手入れするんだ」
「はあ、どうも……」
ぽんぽん頭を撫でられながらアイリスは、私ごときの髪が艶めいたって魔法を使う時の禍々しさがアップするだけで、誰が喜ぶのだと思うのだが……リックスは期待するようにこちらを見つめている。
一体この第二王子は私に何を求めているのだろうか。そんな想いでアイリスは彼をぼんやりと見つ返す。
「何か他に、私にして欲しいことがあるんですか?」
「あるけど……今はどちらかと言うと、俺がお前にしてやりたいことの方が多いかな。妹さんのことにはできるだけ協力する。だから、なるべく俺の言うことは聞いてくれないか」
「はぁ……わかりました」
「ありがとう。それじゃ今日は一緒に帰ろうか」
生返事をするアイリスに嬉しそうに笑うと……リックスは席を立ち、アイリスが動き出すのを待っていてくれるのだった。




