02
…最悪だ。
「…人、多」
「まあ、週末だからねぇ」
折原くんと歌の確認をしていたら、気づけば20時を過ぎていた。レッスンが終わったのが19時だから、1時間も歌い続けていたことになる。流石にやり過ぎだということで近くの駅まで一緒に帰ることになったのだが、羽目を外した会社員や顔を赤くした大学生のような人たちで溢れていて、改札口までの距離が遠く感じる。これはどの電車に乗っても満員だろう。東京の街で電車の本数に困らないことだけが救いではあるけれど。
都会に住んでいるが、人混みは苦手だ。だいぶ慣れはしたけれど、やはり嫌な気持ちは変わらない。ただでさえ踊り疲れているのにという気持ちが全面的に顔に出ている。それに気づいた折原くんは笑っていた。
「ファンが見たらどう思うだろ。今の空野ちゃんの顔」
「…さぁ。アイドルも人間なんだな〜くらいじゃない?」
「え、めっちゃポジティブじゃん(笑)」
逆にニコニコしながら街を歩いていたら怖くない?そう返す気力も無かったので何も言わなかった。外に映し出されているスクリーンのCMの天気予報も私の地域以外の所も覚えてしまいそうだ。
「明日雨だって」
「うわぁ〜最悪。洗濯物干せないじゃん」
「…あれ、折原くんって一人暮らしだっけ?東京の人じゃなかった?」
「一人暮らしだよ。実家郊外だから遠いんだよ。車で2時間とか普通にかかるし」
「え、遠っ」
東京にもそんな場所があるのか。ほぼ県外みたいなものではないのか。
「……っ!?」
一瞬、時が止まったかのような感覚に陥った。
足を止めたのか、ただ止めそうになったのかは分からない。ただ、隣を歩く折原くんは私の異変に気づいていなかった。
本当に僅かな時間だったけど、私の目に映ったものがずっと頭に残った。天気予報が終わって次に流れたCM。きっと誰もが素通りしてしまうだろうただの広告。だけどそれは、私にとってはあまりにも暴力的で。
それは、過去に話題になった映画。
私は、その中の出演者と過去に出会っていた。
その時の映像が頭の中で一気に再生される。海の見えるバス停。家族連れが集まるショッピングモール。若者の街。夜の東京を見渡せるタワー。そして駅。ここに決めたと笑う女の子。
決して忘れていたわけではない。だけど、あまりに突然過ぎた。
どうして?どうして『彼女』が現れたの?もう、3年も前の話だ。思い出したくない記憶というわけではない。むしろ私は決して忘れてはいけない側の人間だ。
「……痛っ!」
次の瞬間、背中に衝撃が走った。急なことに驚いて振り返ると、後ろを歩いているサラリーマンの鞄がぶつかっただけだった。そこで、私がいかにゆっくり歩いていたのかを気づかされた。折原くんがもうかなり前を歩いていた。
あの映画は、今夜地上波初放送になるらしい。だから流れたのだということを少し後で知った。
『彼女』…ゆかりが出演していた映画『メンヘラジオ』。私は見に行かなかった。というか、見に行くのが怖かった。
あの時はあまり考えないようにしていたけど、私はゆかりを殺した。直接手を加えなくても、確かに突き放した。あの時ゆかりは死ぬことを望んでいたけれど、本当にこれで良かったのかと今でも考えてしまう。
あの映画の反響はかなり良かった。SNSの反応を見ただけだが、それだけでも心が痛かった。未来ある少女の道を奪ってしまったのだと突きつけられているような感覚に身体中が支配されていたから。
この話は、メンバーにも家族にも、誰にも相談できなかった。ゆかりの同級生を名乗る人がテレビのインタビューに答えたり、ワイドショーで大々的に取り上げられているのを見たが、ゆかりが最期にどこに行ったか、誰と会ったかまでは調べていなかったらしい。だから、私に連絡が来ることは無かった。色々な場所に彼女と行ったし、私も一応芸能活動をしていから、ネットで特定されていてもおかしくないとは思ったが、本当に何も出て来なかった。
家に着くと映画が始まる5分前だった。さっきまで身体がふわふわした感覚のまま電車に乗っていたが、「空野ちゃんマジで疲れてるじゃん」と、折原くんから心配された。「早く寝なよ」と言われたが、頭の中がいっぱいで寝られそうもない。とりあえずテレビを点けた。辛くなったら消せばいい。そんな権利が私にあるのか分からないけど、見ないまま終わった方がモヤモヤが残ると思った。
…女の子、そういえば2人出てたんだっけ。
映画が始まるとすぐに、知らない女性が出てきた。この人は女優さんだろうか。見たことが無かった。だけど、有名なネット活動者相手にこんな自然に芝居ができるのは純粋にすごいと思った。ところどころきになるイントネーションがあったが、方言だろうか。それとも、私の東北弁がまだ残っているだけだろうか。答えは出なかった。
タイトルの割に、中身が重たいな。最初聞いたときはゆかりや、今画面に映っている『花』という人がメンヘラになってストーカー紛いな行為をするのかと思っていたが、タイトルはほぼ何も関係無かった。
学校と部活、そしてネット活動の両立で疲弊した主人公の様子は、確かに人の涙を誘うものだった。映画館で見ていたら泣いていたかもしれない。
そして、場面が切り替わった。
「……ぁ」
まっすぐとこちらを睨みつけている。動くことも、息をすることも許されないような気がした。私が出会った時よりも大分痩せている。それは役作りなのか、ストレスなのかは分からない。だけど、画面の中で暴力を受けるゆかりは、演技とは思えないほど自然体で。
もう見ていられなかった。今すぐチャンネルを変えたかった。だけど、最後まで見届けなければいけないような気がした。私にできるのはそれくらいだと思った。私は暴力に加担した。ゆかりの周りにいた人たちが彼女を殺すために暴力やいじめを行っていたのなら、私がその目標を達成させてしまった。人に笑顔を届ける仕事をしていながら、泣いている人を見放した。
本当に彼女は、最期の一瞬まで満足していたのだろうか。
少しでも、止めて欲しいという気持ちは無かったのだろうか。
あの時、一度だけ止めて無責任だと怒られたけれど、もっと強く言っていれば…そうも考えてしまう。もう遅いことも分かっているけれど。