地球を救うのはニッポンだ!
西暦20XX年、省エネだとかエコロジーだとか叫ばれ始めて数十年経っている。
石油ショックのあおりを受け、某総理大臣が省エネルックと称し、袖を切り落としたサファリルックと背広の中間のような妙ちくりんな格好を披露した時期が、始まりだったのかもしれない。ちなみに省エネルックは、ご存知の通りさっぱり普及しなかった。
その後、人類は石油等の化石燃料を惜しげもなく使い続け、太古の昔に地下に封印されたCO2を地表にぶちまけ続けた。その結果、地球は、異常気象や多種な生物の絶滅、地球温暖化等、人類の生存の根幹に関わるアラームを発し続けたが、人類は一向に生活を改めることをしなかった。
良識ある人々は、声を大にして環境問題を唱え続け、次世代への健康な地球のバトンタッチを試みたが、すべては経済至上主義の掌から外れることはなく、現在に至っている。
「今月もなんとかなったなあ」
会社の会計帳簿を閉じた山崎は、安堵のため息をついた。
不況が騒がれる中、山崎が勤めている「安藤工業」は、中小企業ながら不況の荒波をなんとか掻き分けながら沈没せずに進んでいた。
「安藤工業」は、主に小型発電機を製造している会社で、可搬型ガソリン発電機から昨今はやりの風力発電機まで扱っていて、それなりに業績を維持してきた。これも、時代の流れと、小さなものから大きなものまでひと通り何でも注文に応じて作り出せる技術力の高さが幸いしている。
「さて、帰るか」
山崎は、帰る前に最後の一服と思い、タバコに火をつけた。
最近は喫煙者にとって実に肩身の狭い世の中になってきた。ちょっと前までは、駅の構内や街角でも灰皿があるところならば、気軽にふかしていられた。ところが、今では、駅内は全面禁煙、街の中でさえ、市の条例によってすっかり禁煙になり灰皿も撤去されてしまった。
安藤工業もご多分に漏れず、それどころか社長が元々吸わないので、すでに建物内すべて禁煙になってしまい、吸うとしたら外にでて、敷地の端っこに申し訳なさそうに置いてある灰皿のところに行かなくてはならない。
もっとも、夜遅くなって事務室に誰もいなくなったり、喫煙者のみが残業して残っている場合など、自前の灰皿で吸う分には暗黙の了解で目をつぶってもらっている。
山崎は、誰もいない事務室の中で紫煙を鼻から燻らせながら、いすの背もたれに身をまかせ仕事の疲れを癒していた。
この会社に就職してから約10年。総務関係、特に経理を中心に仕事をしてきた。大学の専攻とは畑違いの分野だが、金の流れを管理しているため会社の動向はほぼ把握している。幾度か危ういことはあったが幸いつぶれもせず、中堅どころとして会社は運営されてきた。そんな山崎の会社でも最近の不況の風はかなりキツい。
しかし、世の中には、好・不況にかかわらず成長する会社というのは必ずあるものだ。
「何かヒット商品でも出ればなぁ」
安藤工業でも社長や営業の社員だけでなく、工場の職人をも含めた全社員が新しい仕事やアイディアがないかあちこちにあたりをつけていた。
一発ヒット商品が開発できれば、それが牽引力となって他の商品の売り上げも一気に上向くことができるはずだ。
そんなことをぼんやり考えていると、山崎の携帯が鳴った。
誰だろう、ディスプレイを見ても電話番号だけ表示されて人物名が判らない。
せっかく灯けたばかりのタバコをマイ灰皿で消して電話に出た。
「はい、もしもし・・」
間違い電話かもしれないので、とりあえず名乗らずに出た。
「山崎か?俺だよ。俺、久しぶりだから判らないか」
俺?オレオレ詐欺みたいなヤツだな。
「何年ぶりかな。俺だよ、大門だよ」
「・・・・!、大門先輩ですか。あぁ、お久しぶりですね」
大学時代のひとつ上の先輩『大門 正』だった。
「就職してから一回会ったきりだから、10年ぶりくらいですよ。先輩、お元気ですか」
「そうか、そんなに経つか。俺は元気だ。そっちはどうだ?」
「ええ、元気ですよ。もっとも最近は、メタボの恐怖におびえてますがね」
「うん、うん。元気なら安心した。ところで、実はお願いがあるんだがそのうち時間取れないかな」
「どうしましたか。この不景気に借金なら無理ですよ」
大門先輩とは、同じ学部で親しくしていた気軽な冗談も通じる気のおけない先輩だったが、就職してからはほとんど行き来の無い間柄であった。
「いや、そうじゃない。人づてに聞いたんだが、お前の会社で新しい仕事を探しているらしいじゃないか。もしかしたら、それにも役に立つんじゃないかと思ってな」
「本当ですか。そりゃありがたい。そういうことでしたら、明日でもいいですよ」
「そうか、じゃあ、明日の夕方4時頃、俺の学校でどうかな」
「えっ、学校・・ああ、大門先輩は、確か金星学園高校の先生でしたねぇ。いいですよ。その時間は空いてますから、伺いますよ」
「んじゃまぁ、積もる話もその時にな」
懐かしい声を聞いて、一時会社の状況も、喫煙者の肩身の狭さも忘れたものの、マイ灰皿の中でまだくすぶっているメビウスを見つけると、(あぁ、もったいない)とシケモクをはじめる山崎だった。
翌日、山崎は指定の時間に私立金星学園高校を訪れた。
私立金星学園高校は、山崎の会社から電車で30分位の郊外にある学校で、比較的新しい学校法人だった。
特に進学校ということでもなく、かといって落ちこぼれ用の学校という訳でもなく、比較的中庸の私立学校のようだが、その経営母体は幼稚園から専門学校まで教育関係を手広く行っている法人事業体らしい。
4時の約束だったが、学校はまだ授業中で校内は意外なほど静かだった。
大門先輩は、この時間帯の授業がないのかなと思いながら受付で先輩の名前を告げると、すぐに大門が出てきて山崎の手を両手で握り大きく握手した。
「おぉ、山崎、久しぶり。元気そうでなによりだなぁ~」
先輩の風貌は、山崎の想像よりも幾分前髪が後退していたが、赤ら顔のエネルギッシュな表情は学生当時を思い出させた。
ひと通り旧交を暖めなおすと、山崎は会議室へ案内された。
会議室には誰もいない。
「実は、相談というのはこれなんだよ」
大門はそういうと、会議室の片隅に立っているホワイトボードを指差した。
ホワイトボードには、大判の模造紙が張ってあり、そこには何やら図形が描かれている。
「この図面を生徒たちと一緒に作ったんだが、実物にできないかねぇ」
その図形は、どうやら何の設計図らしい。見たことが無いような機械の設計図だが、非常に良くできている。とても高校生が作ったとは思えない。
「もちろん、図面はこれだけじゃない、もっと細かいものがここにある」
そう言うと大門は、ホワイトボードの前にある会議テーブルの上の1センチ位の厚さの書類に手を置いた。
「これは何の設計図ですか」
「この学校にはボート部があってな。俺はそこの顧問なんだよ。これは、ローイングエルゴメーターといってボート競技で使う練習用のトレーニング器機の設計図だ」
「はあ、ボートってあの湖や川に浮かべて漕ぐ、あれですか」
「ああ、あんまり日本じゃポピュラーじゃないけど、やってみるとかなりキツいスポーツでな。ボート競技っていうのは技術も必要なんだが、やはり筋力・体力の影響が大きいスポーツなもんだからこういう専用のトレーニングマシンがあるのさ。もっとも、俺もこの学校でボート部の顧問にならなきゃ知らなかったけどね」
大門先輩の説明によると、ボート競技というのは、日本人にはなじみが薄いスポーツだが、欧米、特に北欧あたりでは人気が高く盛んに行われているらしい。
レールをスライドするシートに腰掛け、全身を使ってオールを漕いで後ろ方向に進み、2000メートルのコースを競い合うというスポーツだ。勿論、コースは湖や川など屋外のため、天候など自然の影響が大きく、レースが中断されることも珍しくない。そこで、屋内での練習用機器としてローイングエルゴメーターが開発され、ボート競技の世界ではなくてはならないトレーニングマシンとなっている。
設計図を見るとその造りはボートとは似てもにつかぬ形だが、スライドするシートやオールの代わりに引っ張るワイヤーなど、使用者は実際水面をオールで漕ぐような動作が体感できる仕組みになっているようだ。
「へえ、でも、私の会社は、発電機を作ってる会社ですから、スポーツトレーニング器機は専門外じゃないかなぁ」
「確かに、エルゴの有名メーカーはアメリカの方で、この設計図は、その外国のメーカーのものを参考にしているが、根本的に違う箇所がある。ここだ」
そう言うと、大門は設計図の中の丸い部品を指差した。それは、オールの代わりに引くワイヤーに負荷をかける装置だった。
「普通は、この部分は負荷をかけるために中にフィンがついていて、ワイヤーを引くとそのフィンが回り、空気抵抗が生じて絶妙な重さ加減になるものなんだけど、この設計図では、その回転するフィンの替わりにダイナモが付いている」
「ダイナモ?」
「ああ、ダイナモ・・つまり発電機だ。実は、うちのボート部にエルゴが5台あったんだけど、古くなったので更改しようという話になってな。普通に注文しようと思っていたんだが、部員にエコクラブを掛け持ちしているヤツがいて、エルゴの回転運動を発電に使えないかと前から思っていたと話し始めたんだよ。
今、世の中では太陽光発電や風力発電などエコ発電が注目されている。ところが、大概のものは天気や環境に左右される可能性が高くいまいち安定しない。なんかいい方法はないもんかなあ・・そいつはそんなことを考えながらエルゴを漕いでいてハッと思いついたんだそうだ。このエルゴを漕ぐ力ってすごく無駄にしてるんじゃないかって。
そうしたら、今度は科学研究会を掛け持ちのヤツがいて、構造的にそんなに難しくないと思うよとか言い出して、じゃあ設計図を作ってみようということになったんだよ。そうなれば俺もだまっちゃいられない」
確かに工学部出身の大門にしてみれば、設計図つくりは得意技のひとつである。
「知り合いからCADソフトを調達して、ボート部・エコクラブ・科学研究会の部員みんなであーでもないこーでもないとこの設計図を作り上げた訳だ」
「どうりで玄人はだしの設計図に仕上がってますよね」
「どうだろうか、この図面を基につくれるかなぁ」
「うーん、私は技術のほうじゃないんで即答はできませんが、経費的に結構高くつくかもしれませんよ」
「お金のほうは、既存品の倍くらいまでは大丈夫だと思う。ボート部だけじゃなくエコクラブ・科学研究会の合同企画だし、校長や理事会でも結構乗り気でね。うまくいけば学校のPRにもなると考えているみたいなんだな」
なるほど、今世の中は地球温暖化阻止に向けてすごい勢いで流れている。少子高齢化が進む中、環境に配慮した学校となればイメージアップ・生徒数アップに役立つと踏んだようだ。
山崎の会社にとっても悪い話ではない。うまくいけば、全国のボート競技関連団体への新商品販売という新しいマーケットに参入することができるかもしれない。
「わかりました。じゃあ設計図をお借りします。社内で相談してみますので、結果についてはまた連絡します」
そう言って山崎は設計図を携え、大門の学校を後にした。
早速、山崎は設計図を社内の技術部門に持ち込み、検討するように依頼した。実際に話が動き出せば、山崎は経理担当者なので直接担当することは無く、新たに営業担当者と技術担当者が張り付いて進めることになる。それでも、最初の取っ掛かりが山崎だったことからその後の状況を教えてもらっていた。
設計図の実物化については、意外とあっさりOKが出たらしい。基本的に最初の段階では既存のエルゴメーターを改造して性能を検証することになったようで、設計図もかなり完璧に出来ていたことから、1ヶ月後にはプロトタイプとして大門の学校に持ち込まれた。
大門やボート部の部員達の反応は上々だった。使用上特に問題もないどころか、利用者から見える位置に電力計を取り付けたので、トレーニングをする際のモチベーション向上にも一役買っているらしい。確かに、黙々と筋トレを行うより、少しでも環境問題に役立っているんだと思えば気合の入り方も違うかもしれない。
検証の結果、発電した電気を溜めておく蓄電システムもあったほうがより便利だということになり、こちらの方は、我社の得意分野であることから、すでに製品化されている風力発電用のバッテリーシステムとコントローラを流用することにし、半年後には改造型ではないエルゴメーター5台と蓄電システムを納品することができた。
経費的にも、参考になる既存の製品が明確だったことから、ほぼ予定通りで収まったらしい。
特筆すべきは、その発電能力だった。人力による発電なので、動かす人の能力に100%依存するわけだが、ボート競技に青春をかける若い力の発電能力はすさまじく、当初納品した蓄電システムではすぐにオーバーフローしてしまうことが判明し、急遽バッテリーの容量を追加するほどだった。
ボート部員が発電する電気量は、部員達が使用する体育館の照明や音響等の、約半分近くをまかなうことができた。しかも、この新エルゴメーターのおかげなのか、万年最下位争いだったチームがなんと地区大会優勝、30年ぶりにインターハイ出場を成し得たのだった。
学校側は、ここぞとばかり地元の新聞社やテレビ局などに、このたびの快挙は選手達の努力と、環境に配慮した独自トレーニングマシンの効果と報道発表を行ったところ、世間の地球環境問題に対する意識の変化の追い風に乗って各マスコミはこぞって取り上げ、学校の株を大きく押し上げた。
勿論、開発元である山崎の会社、安藤工業の社長もこの好機を逃さず、学校と申し合わせ、報道機関が学校に取材に来るときは必ず呼んでもらい、校長と社長が一緒にインタビューを受けたりして一躍地元の有名人に祭り上げられた。
山崎は、社長が出ているテレビニュースを見ながら、これで、新エルゴメーターに注文が殺到し、会社の工場もフルラインを新エルゴメーターに移行し生産するといううれしい悲鳴を上げることになってくれるといいなぁと心を弾ませていたが、いかんせん、ボート部という競技人口が少ないスポーツが対象であったため、他校から数件の注文は来たものの悲鳴を上げるまではならなかった。
一ヶ月もすると、マスコミの熱もすっかり冷め、もともとマイナーな感がいなめないボート競技のことは人々の脳裏からすっかり消えてしまい、残ったものといえば社員が持っている名刺の裏に書かれた主な製品欄に「自己発電型ローイングエルゴメーター」と追加されたぐらいだった。
安藤工業の社長は、うつろな目をしてこう言ったものだった。
「流行っていうのは、こわいもんだねぇ。あんなにちやほやされたのに、あっという間に話題にもでない。エレベーターより速いなあ」
社長も今回の件では、踊りすぎたと反省しているようだった。 ボートの件から数ヶ月後、会社の帰り支度をしていると山崎の携帯が鳴った。大門先輩からだった。
「山崎か。この間はどうもな~!エルゴメーターも調子よくちゃんと動いているし、インターハイにも行けたしすごく助かったよ」
「そりゃ良かったですよ。でもインターハイは残念でしたね」
大門のボート部は、30年ぶりにインターハイに出場したものの予選で敗退、入賞に届かなかったらしい。
「いやいや、あれだけできれば大したもんだよ。ところで、うちの学校がある金星市で市民体育館をリニューアルするって話、知っているか」
最近、新聞かなにかでチラッと見た記憶はあるが、気にも止めていなかった。
「市の関係者から聞いたんだが、あの市民体育館には、結構大きなトレーニングルームがあってな。トレーニング器機がわんさかあるんだよ。で、今回その機器もみんな古くなっているんでまとめて更改するらしいんだな。そこでお前の顔を思い出したわけよ。発電と組み合わせができるトレーニング機器があれば、例のエルゴマシーンのようにお前の会社も潤うんじゃないかと思ったんだけどさぁ」
なるほど、エルゴマシーンの時は、どちらかというとマイナーなスポーツだったためあんまり商売に結びつかなかったが、一般的なトレーニングマシンだったら需要が多いはずだ。
「もし、よければ市の担当者を紹介してやるよ。実はその担当者って金星高校ボート部OBなんだよ。だからこの話、意外とうまくいくかもしれないぞ」