第九話 彼女の存在
オダリングス侯爵夫人の嫌味にもならない嫌味を軽く聞き流していた私が甘かった。
「そうですわ、アリシア王女殿下。
我が家にもジェシカという娘が居りますの。
まだこちらに来て日も浅いでしょうし、年が近い話し相手が必要でしたらお声かけなさってくださいませ。
もしご不安でしたら、ぜひジェイコブ王太子殿下ともご一緒に。
娘は、幼い頃から王太子殿下と一緒に育ったようなものですから、とても仲がよろしいのよ。
あら、いやだ、私ったら話が過ぎましたわね」
ジェシカ嬢。
その名前を聞いた瞬間、私とキャンベラ伯爵夫人の視線が合う。
ほんの一瞬だけ、場に緊張感が走る。
「そういえばアリシア王女と年が近い話し相手がいないわね。
レセプションパーティには若い方も来ることだし。
オダリングス侯爵令嬢は、あなたより一つだけ年が下だから、ちょうど良いかもしれないわ。
彼女はジェイコブの従妹になるのよ」
王妃様がのんびりと相槌を打つのを聞くや否や、オダリングス侯爵夫人は「いつ顔合わせをしましょうか?」と前のめりだ。
余りの前のめりっぷりに若干引いてしまう。
「オダリングス侯爵夫人。
アリシア王女殿下とお話したいのは、貴女だけではなくてよ。
それに、年が近い令嬢の話相手でよろしいのでしたら、我が家のマーガレットもおりますわ。
アリシア王女殿下とは2つほど年が違いますけど」
ブキャナン侯爵夫人が先を急ごうとするオダリングス侯爵夫人を制するように微笑んだ。
一体どうしてこうなったのか?
なぜか、あの後マーガレット侯爵令嬢とジェシカ侯爵令嬢と顔合わせすることになった。
一体なぜ?
いや、まぁレセプションパーティで年が近い女性陣との円滑な会話の為なんだろうけど。
でもなぁ。
私、会いたいなんて一言も言ってないんだけど。
しかし同年代を紹介って、普通そういうのって同年代の既婚者じゃない?
だって未婚だと、結婚して国内にいるかいないか分かんないじゃないか。
おまけにマーガレット侯爵令嬢って第2王子の婚約者だって聞いていたのだけど。
今は違うらしい。
元、婚約者だそうだ
…元?
婚約者、ではないんだよね?
どういう事?
普通に考えて王族との婚約が解消になった令嬢ってそう堂々と公の場には出てこないよね?
これってオタゴリアだけ?
この国は女性の地位が認められているの?
本当に、良く分からないのだけど!
一体何があったのーーーーー
疑問は疑問を呼ぶのだけど、これに関してはキャンベラ伯爵夫人も式後にお話しますね、と言葉を濁した。
婚約者とはいえ、私は他国の王女。
国内のごたごたに関しては、耳に入らないようにかん口令を引いているのだろうか。
改宗、お茶会と本日も一日、アリシアは王女モードでお仕事をしました。
頑張りました。
私は今、無性に馬に乗りたいです。
出来れば障害を跳びたいです。
何も考えたくありません。
あぁ、いけない、いけない。
現実逃避をしている自分に気が付いたので、思いっきり息を吸って、ゆっくりとはいた。
深呼吸をして新鮮な空気を体に送り込む。
ここは、オタゴリアと違って山が近くに見えない。
王城の外の、遠くに見える山々を見て、知らずため息が出た。
あぁ、私、疲れているなぁ。
しかし、まだ本日の仕事は終わっていない。
そう、麗しの婚約者殿との晩餐。
まだ、少し緊張はするけれど、私達はだいぶ打ち解けて話す様になってきた。
ほぼ食事が終わりかけの段になって、彼は口を開いた。
「母上のお茶会に参加したと聞きました。
まだカンタベルについてから日も浅いので大丈夫でしたか?
伯母上がかなり上機嫌だったので、アリシアの事を気に入ったと思い安心したのですが。
伯母はかなり個性的な人柄なので、初めて会う人少々は面食らうと思うのだけど」
探るような目で聞かれたので、私は無難に返すことにした。
「オダリングス侯爵夫人ですわよね?
過分にお褒め頂いて、恥ずかしい限りでした。
私に色々とお話をお聞かせくださって、とても楽しい方だと思いましたわ」
そう、私は確かに彼に惹かれているかれど、私だって一国の王女として育っているのだ。
早々口は軽くない。
思っていることを口に出す怖さは、身をもって知っている。
そして私はわざとらしく微笑む。
ジェイコブ王太子殿下も王族の笑みを浮かべて私を見た。
「それで、ブキャナン侯爵令嬢と、オダリングス侯爵令嬢とお会いすることになりました。レセプションパーティで私が心細くないようにご配慮頂きました。
私に年の近い友人を、とのことです」
彼は得心した、という顔をして頷いた。
「ジェス、いや、オダリングス侯爵令嬢と、ブキャナン侯爵令嬢と、ですか。
あぁ、確かにアリシアと年が近いし、良い気分転換になるやもしれないですね」
優雅な手つきでナプキンで口を拭うジェイコブ王太子殿下を見る。
続きの言葉をまってみたけど、彼は何も言いそうにない。
「ジェス」とジェシカの愛称で呼んでから、さり気なく侯爵令嬢と言い換えた。
ファーストネームどころか愛称で呼ぶなんて、それだけ仲が良いのだろう。
あぁ、幼い頃から一緒に遊んでいた、仲が良いと侯爵夫人が言っていたけど、あながち嘘ではないのだろう。
彼は、何も言わない。
彼女は従妹です、とも、小さい頃からの友人ですよ、とも、仲が良い、とも。
既に私が知っている、と思っているからか。
それとも。
それとも…?
私は、彼に、何を言ってもらいたかったのだろう?
良い気分転換…ね。
そうなるのなら、いいけど。
口には出さずに微笑んでグラスに口をつける。
口に広がるフルーティな味と、やや強めの酸味。
まだ、カンタベルのワインは、酸味が強すぎて私の口に合わない。
見上げた夜空は雲がかかり、月すら見えない。
月にすら拒まれている感じがして、ため息を一つだけついた。