第六話 共通の話題
目の前にニコニコと笑顔で座る、ジェイコブ王太子殿下もとい婚約者様。
カップを持って口に運ぶその仕草でさえ麗しい。
今、私は彼と一緒にモーニングティーを取っている。
湯気を立てる紅茶に、美味しそうなマフィン。
私達婚約者同士、少しでも距離を縮めるための二人だけの時間。
うわー、言葉にすると、甘い、甘すぎるよ。
羞恥のあまり思わず身悶えしたくなる。
いや、私達、朝食もご一緒しましたよね?
ごゆるりと、と言いながら、全然ごゆるり出来ないのですが?
えーっと…
この間がね…持たない感じがね…、かなり緊張するんですけど…
「そういえば、アリシア王女は乗馬をなさるそうですね?
馬に乗るのは、お好きですか?」
何故か、情報が洩れている。
私、一度も馬に乗れる、とも、馬が好きなんて言ってないよね?
そんな思いはおくびも出さずに微笑む。
「えぇ、嗜む程度ですが、馬に乗るのは好きですわ。
ジェイコブ王太子殿下は、どうですか?」
必殺質問返し攻撃受けてみよ!
…何て言うか、もう世間一般で言う世間話、いわゆる天気・気候・健康面の事も全部話し終わってしまって何の話をしていいのか分かりません。
出会って2日目の婚約者様が何を考えているのかも、さっぱり分からない。
あぁ、つむじが2つあるのは昨日知ったっけね。
全くもってどうでもよい情報が頭の中を駆け回る。
「そうですね、僕はクロスカントリーが一番好きですね。
まぁ、訓練も兼ねれるので、というのも理由の一つですが」
クロスカントリー。
その言葉につい反応してしまった。
ついうっかり反応してしまった私に気が付かない王太子殿下ではない。
「嗜む程度、とは謙遜ですね、かなりの腕前と聞き及んでおりますよ?
もしクロスカントリーがお好きなら、今度一緒に行きましょう。
あぁ、もちろん結婚式後になりますが。
万が一ケガなどされては大変ですし。
僕から馬をプレゼントしますよ」
思わずジェイコブ王太子殿下の顔をマジマジと見てしまう。
だって、クロスカントリーだ。
自然の地形を生かした、垣根や倒木で作った障害、川や小さな池を跳んだり、突っ込んだりする、もちろん起伏もあり、の結構ハードな競技だ。
馬にも過酷だろうけど、人間だってそれは同じ。
だから当然、落馬の危険もかなり高い。
自分で言うのもなんだが、お上品な感じの乗馬ではない。
カンタベルに嫁いだのだから、クロスカントリー何て出来ないと思っていた。
ドレッサージュなら貴族女性でもする人がいることだし、カンタベルでも乗馬の許可がとれるかな?と算段はしていた。
だが、それも慣れた頃にお願いしようと思っていた。
それなのに、なにこのご褒美。
「ぜひ、お願いします。
とても嬉しいです、ありがとうございます」
余りの嬉しさに食い気味で答えてしまった。
ジェイコブ王太子殿下が嬉しそうに微笑む。
自然に私の口角も上がる。
馬の話なら自然に言葉が口から溢れる。
その後、ジェイコブ王太子殿下と私はクロスカントリーの魅力について話し合ったのだった。
ちょっとロマンティックとはかけ離れているけれど、カンタベルに来てから、初めて素の私で話せた瞬間だった。
それにしても一体、どんな情報が王太子殿下の耳に入っているのだろうか?
そんな疑問も、あっさりとご褒美のクロスカントリー同行プラスお馬さんプレゼントでどうでもいいか、とばかりに水に流してしまう私も大抵だが。
でも、なによりも、話をして楽しかった。
だって、想像もしていなかった。
クロスカントリーの話で盛り上がるなんて。
「ハンティングもクロスカントリーも同じようなものだから、自然にするようになりましたね。
さすがに王女殿下は女性ですから、ハンティングには参加されたことはないですよね?
なぜ、クロスカントリーを始められたのですか?
カンタベルでもドレッサージュをする女性は何人かいますが、クロスカントリーをする女性は聞きませんので」
流石に私は王女として、血なまぐさいハンティングの参加は許可されなかった。
なので、一度も行ったことがない。
兄や兄の側近が話しているのを羨ましく聞いてるだけだった。
ほぼほぼ男扱いをされていたが、実際に銃を持たされたことはないし、剣の扱いも出来ない。
血生臭い事からは、きちんと遠ざけられていたのだな、と今更ながらに改めて思う。
「そうですね、女性である私はハンティングに参加はしたことがありません。
ですが、あの時は、なぜ私だけ参加できないのだ、と、部屋にたてこもり、ハンティングに連れていってくれるまでご飯を食べないと言って侍女を困らせました。
そして結局、お腹をすかしてすぐに部屋から出てきてしまい、兄に大笑いされて。
今、その事を思い出しても、恥ずかしいです。
でも、そのおかげで、ハンティングは無理でもクロスカントリーなら、と許可が下りたので、立て籠もったのは無駄ではなかったのですが」
ジェイコブ王太子殿下は聞き上手なのか、私はそんな小さな頃の話まで自然にするようになっていた。
「あぁ、だから、こそのクロスカントリーなのですね。
僕はてっきりオタゴリアの離宮が、天然のクロスカントリーの場所になっているのかと思っていました。
なるほど、そんな理由だったのですね。
アリシア王女殿下が可愛らしい我儘を言ってフィリップス王太子殿下を困らせた所、見てみたかったですね。
さぞ可愛らしかったことでしょうね」
えぇぇ…
可愛らしい我儘、で流しちゃうような話ではなかったような気がしないでもないのだけど、
ジェイコブ王太子殿下にとっては、クロスカントリーをする女性は許容範囲なのだろう。
とりあえず、ホッとする。
「小さい頃、あぁ、そうだ、そういえば僕は、ハンティングの際に狩猟犬を管理するハンツマンになりたかったですね。
それにハンティングを管理するハンツマスターしか着れない赤いジャケットが格好良くて憧れて、無理を言ってハンティングの後に着せて貰った事があります、当然大きくて不格好なのですが、得意げな顔してたと思いますよ、その時の僕は」
そう言って苦笑するジェイコブ王太子殿下。
なんとなく、だけど彼も自然に話をしているような気がする。
なにせあまりにも話が盛り上がり過ぎて、彼が執務に赴く時間が遅くなってしまったくらいだから。
きっと、彼も私と話して楽しかったから、だといいのだけど。
去り際に、ジェイコブ王太子殿下は私に向かって言った。
「とても楽しくて、もう少しご一緒していたかったのですが、さすがに執務に戻らないといけないの時間になりました。
アリシア王女殿下、私達は婚約者同士ですので、出来ればジェイコブ、とお呼び下さい。
そして、王女殿下の事を、アリシアと呼ぶことを許して頂けますか?」
もっと話していたかった、と言われて喜ばない女はいないだろう。
しかも、言って欲しかった言葉を言われたのなら尚更だ。
有頂天になるなという方が無理だ。
しかも婚約者様の甘い笑み付きで言われた日には、どんな難しいお願いでも了承してしまうに違いない。
簡単な女だと思われても良い。だって嬉しいものは、嬉しいのだ。
自然に口元が上がる。笑みが零れた。
「喜んで」
「では、アリシア、また後程」
ジェイコブ王太子殿下は満足そうに頷くと、いつもと同じように私の瞳をみつめたまま手の甲にキスをして、驚いて固まってしまった私の返事を待たずに部屋から出て行った。
あっという間の出来事だった。
ジェイコブ王太子殿下は、さらりと私の名前を敬称なしで呼んで去っていった。
本当に、あっさりとスマートに。
私が戸惑う暇もないくらい。
でもでも。
敬称なしで呼ばれると、私と彼の距離が一気に縮まったような気がして嬉しくなった。
嬉しくなる自分を戒める様に何か考えようとしたけれど。
口元が緩むのを止められない。
だって、結婚するんだもん、距離を近くしないとね。
心の中で慌てて自分を正当化する。
正当化するも何も、結婚するのだ、仲が良くて困ることはないのに。
…。
うん、やっぱり私、単純すぎるかも。