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01

 俺が入部を決めたのは、ある1枚のポスターに惹かれてしまったからだ。

 入学式の日、これから始まる新しい学校生活に特別な期待感もなく、新入生とは思えないほど冷めた気持ちで昇降口をくぐったとき、それは目に留まった。


 A4サイズの紙ぺら一枚。それなのに、なぜか引き込まれて視線を外せない。

 その面積の大半は真っ白で、中央に黒い文字で「君を待っていた」と、ただそれだけしか書かれていない。いや、よく見ると左下に小さくなにか書いてある。遠目に見ると蟻のような文字。

 近づいてみるとそこには「広告部」そして「部室棟2階 突き当りの部屋」とだけ。


 なぜ、こんなにも情報量の少ない小さなポスターに引き込まれるのか不思議で仕方なかった。

 そして、その不思議が段々と頭の中で増幅していき、気が付くと広告部の部室の前に立っていた。なぜか、気になって気になって、いつしかそれが好奇心になり、その好奇心が抑えきれなくなり――


 ドアノブを握った。


 * * *


「蜂谷くんが入部してもう3か月経つんだね」


 朱莉さんがスティック状のポテトスナックを食べながら言う。


「食品研究部のパンフレット作ってるときはあんなに辞めたそうだったのにな」


 栗江さんがそれに続ける。今は制作中じゃないので穏やか栗江だ。

 食品研究部のパンフレット。俺が何十枚もの写真に加工を施したそれは、無事、食品研究部へ納品されローカルグルメ展で配布された。その後、パンフレットの効果もあってか、食品研究部の知名度が上がり、地元のフリーペーパーに取材の依頼が来たりしているらしい。


「もう少し続けてみてもいいかなって思っただけですよ」

「それは良いこと。えらいえらい」


 朱莉さんが俺の頭をなでようと右手を伸ばしてくる。やぶさかではないのだが、できれば指についたお菓子の塩を拭いてからにしてほしい。


「今は私たちのフォローばかりだからつまんないかもしれないけど、自分がメインの案件をやればきっと楽しいよ」

「なるほど。でも、まだ先輩たちみたいには作れないので先の話ですかね」


 入部して間もない俺は、まだillustratorやPhotoshopといったクリエイティブ系アプリの初歩的な使い方を勉強している段階で、広告制作に必要なデザインの知識やノウハウが足りない。朱莉さんの言うように、自分がメインの案件をこなせば広告の楽しさもわかるのかもしれないが、それはまだ先のことになるだろう。


「そうでもないぞ」


 しかし、その考えは栗江さんに否定される。


「次の案件は蜂谷をメインにしようと思ってたからな」

「いや、まだ早くないですか? 経験も知識もないですし、先輩方のようなセンスも……」

「だからだよ」


 栗江さんは静かに言うと、俺に歩み寄ってくる。


「デザインの経験値は、クライアントワークで得るのが一番効率的だ。自分が好みとは関係なくクライアントの要望に沿ったデザインを作る。そして、その品質や広告効果に責任を持つ。それが上質な経験値を得る最短のルートだ」


「な、なるほど……でも、大丈夫かな。クライアントをがっかりさせないか不安です」


「そんなに難しく考えるな」


 俺の右肩に手を置くと、栗江さんは穏やかな声で言う。


「お前がメインだけど、広告部はチームだ。3人で作ればいいんだよ」

「そうだよ蜂谷くん。私も手伝うからバッチリ大丈夫だよ!」


 先輩方にここまで言ってもらってまだ怖気づいてたらさすがに情けない。俺は椅子からガバっと立ち上がり、拳を握りしめて天を仰ぐ。


「俺、がんばります!」


 今、俺は15年の人生の中で一番やる気に満ちているかもしれない。すぐそばで聞こえたほんの小さな「チョロいな」は聞こえなかったことにしよう。


 それからちょうど一週間後、部室にドアをノックする乾いた音が響いた。


 * * *


「廃部の危機を救ってください」


 来客用のソファの上で頭を下げるのは軽音楽部の部長で3年生の藤沢真琴(ふじさわまこと)さん。虫も殺さぬ顔をした、優しそうな男子生徒。俺よりも背が低くて童顔なので、年下と言われれば信じてしまいそうである。

 そんな彼は切実さの滲む声で願いを訴える。


「ちなみに、軽音楽部ってそんなに部員少ないんですか?」


 ほんの好奇心から聞いてみた。


「はい。3年生が3人いるだけなので、今年1年生が入部しないと僕ら3年生が引退すると同時に廃部なんですよ……」


 厳密に言えば、校則では部員が3人以上在籍していない部は部活から“クラブ”に降格するのだが、軽音楽部の場合、一気に部員が0になってしまうので、来年新入部員の募集をする人がいなくなってしまうわけだ。

 いや、それ以前に、自分たちが目をかけた後輩が1人もいないまま卒業してしまうのは寂しいだろう。


「4月からずっと勧誘は続けてきたんですけど、ひと月、またひと月と過ぎて気づけば7月。夏休みに入ったらもう手遅れだと思い――」

「ここに来たわけですね」


 語尾に向かい声量が下がっていく藤沢さんの言葉を途中で栗江さんが引き取った。


「広告部さんは、こういうプロモーションとか得意だって聞いて」

「ええ、得意です。お任せください」

「よかった! ありがとうございます! よろしくお願いします!」


 自信に溢れる声で栗江さんが言った。まだほんの数か月の付き合いだが、広告に対する真摯な態度と食品研究部パンフレットの実績を見たからわかる。この自信は、彼の経験に裏付けられている。


 藤沢さんはパアっと表情を明るくして栗江さんの手を取ろうと両手を伸ばした。

 「あれっ?」しかし、栗江さんはその両手をするりとかわし、代わりに横にいた俺の手首をつかんで藤沢さんに握らせた。


「軽音楽部さんのご依頼は、この広告部期待の新人、蜂谷が担当させていただきます」


 あ、そうだ。そういう話だった。

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