001.お嬢様??
「引き受けてくださり、ありがとうございます」
「いいえ。すべての子に、愛と教育を。それが聖教師たちの務めです」
聖教師、という職業がある。
元々は、心意気ある聖職者たちが、神の教えを広めるべく、大陸の端々にまでその身を渡らせたのが発端であった。
だが、大陸のほぼ全土に教えが広がった今、聖教師の役割は変わりつつあった。
悪い方にではない。
多くの国か、大陸の約半分を治める大国の方針に賛同したことで、その役目は人々の生活水準を底上げをものに変わったのだった。
すなわち、教師の派遣。
「聖教師様は、基礎教育を専門になさっているのだとか。そんな方がちょうど、この北部にいらっしゃったのも、何かの縁でしょう」
「――すべては神のお導きです」
治水、土木、医学、農学、天文学――
聖教師として様々な専門家が派遣される中、最も数が多く、需要が高かったのが、子女向けの教育。
基本的な読み書きや数字の扱いを教え、はたまた聖書を教本とした道徳を解く。
場所は問わない。街の教会、村の一軒家、裕福な家庭の子供部屋。誰にでも、教えを請われれば、聖教師はそこへと向かう。
女子供向けに教えることが多いこの分野の聖教師は、概ね、心優しく寛容な人柄であることが多かった。
その一人が、ここに居る自分だった。
「そうですね、レオニール様のように位の高い聖教師様がこんな田舎にいらっしゃるなど、そうあるものではございません。神に感謝いたします」
執事の褒め言葉を控えめな頷きで受け取った。
教えを請われるがままに各地を巡って約十年。
今朝ちょうど、田舎の富豪の未亡人とその娘への教育を終え、旅立ったところだった。
それが、半日も経たずにさらに北部の、大陸最北人類居住地と言われる、ここワーレイ地方へと連れてこられた。
執事の向こう側、石の壁に覆われた薄暗い壁にはめられた窓からは、切り取った絵画のように、青い空とどこまでも続く緑の森が見える。
この土地についたのは、昨夕。
一晩世話になり、今朝、とうとう「生徒」と初めて顔を合わせることになっている。
だが、年老いた執事から顔を背け、素の表情で固く誓った。
――この依頼、短期間で終わらせる。
多分、今俺の顔は、目が据わったマジ顔だと思う。
仕事なんざクソっくらえだ。適当にやって、適当に豪遊するのがイチバン。
だがこの土地では遊ぶことも出来ん。
ここワーレイってのは、他に例えようもないほどのクッッッッソ田舎なんだ。
人類居住可能地域として最北なだけあって、あるのは
ハイ、幽霊城にしか見えない居城!
人少なすぎの街!
廃村かな? な寂れた村!
足を踏み入れたら二度と生きて出れない系の森!
――以上!!
北からの脅威を防ぐための城壁があるにはあるが、クソ古いし、街の商店なんて衣食の最低限の店しかない。居酒屋も数店。花街があっても名ばかりで、いるのはおばはんばっかり。
昨日夕方、街を進む馬車の中からチラ見したとき、愕然としたわ。
大店だろうな、って店構えの軒先から顔を覗かせた商売女。これが唇は厚いわ、顔はゴツいわ、腕毛はふっさふさだわ。熊に口紅塗ったんかな? って三度見した。
街を歩くのも、何やら目つきが不穏で顔色悪いのばっかりで。
…………心と身体の癒しに、綺麗なねーちゃんの提供を頼むマジで!!
え? 聖教師って聖職者じゃないのかって?
ハイ、聖職者です。ちゃんと教会発行の聖職者の身分証もある。
けど俺は、友人に言わせりゃ「見た目は儚い系で聖人顔、中身は正真正銘の生臭坊主」とのこと。
うるっさい。神に仕える心なんぞ、十五年前に捨てた。
最低限の読み書き教えて、人に崇められて、衣食住確保できるヒャッホイな仕事なんて他にあるか!
俺は、この身分証を、手放さない!!
この依頼は短期間で終わらせる!
こんな田舎からすぐに出てやる!
そして都会で遊ぶ!
資金は潤沢にある。昨日まで教えてた金持ちからいただいた金が。
誤解なきよう。いただいたのはあくまで「喜捨」である。つまり寄付ね、寄付。
ありがたーく頂戴します。
神への供物は俺の物。
一応、今回の依頼も伯爵家からだし、短期間でたんまり頂いちゃおう。
「ところで」
欲にまみれた本性を隠した穏やかな笑みを浮かべ、目の前にいる執事に話かける。
「なんでしょうか、レオニール様」
執事が恭しく返事をした。掠れるような小さい声だが、その目は刃物のように鋭い。
この執事、四十年以上この伯爵家の執事をしているという老人で、名はドラキスと言った。
骨と皮の身体に、青白い顔。目は薄く小さいが、人を差すような視線を向ける。顔が青白いのは元からだと本人は言っていたが、どう見ても普通に生きてきた人物ではない。
背中が冷える感覚を覚えつつ、俺は一度唾を飲み込んでから、ゆっくりと訊ねた。
「お会いする前に、生徒となるご令嬢のことを教えていただきたいのですが」
だって、依頼内容も、生徒の情報も、期間についても何にも聞いてない。
昨日連れて来られて、伯爵に「頼む」と言われて、失神して、そのまま一晩眠って、今ここだ。
失神の理由? 単純なことだ。
伯爵、めっちゃ怖かった。
ドラキスより数百倍怖かった。落雷を背に「頼む」とか言われて、ちびるかと思った。実際は、ちびらずに即座に失神したけど。
あの伯爵に仕える執事。だから、ドラキスもなんとなく怖い。
高貴な志持ってそうな表情を作ってるけど、ぶっちゃけすぐにでも逃げ出したい。
けど怖すぎてできない。
「かの有名な『北の英雄』、マグシュタイン伯爵のご令嬢とは、どのようなお嬢様なのでしょう?」
ギン! とドラキスの瞳が鋭くなった。
あっ、ごめんなさい。
膝が勝手に折れそうになった。土下座一歩手前の俺。
「……御年は十歳。生まれてすぐにお母上と離れられ、私がお育て致しました。お母上がいらっしゃらないことで、大変苦労されていらっしゃいました」
わお。深刻案件な臭いがするぞー。
たまにあるんだ。こういうの。
病気、怪我、家族の喪失、そういった理由で心を閉ざした子供やご婦人方の心を開く手助け。聖教師ってのは、迷える子羊に寄り添い、神の教えをゆっくりと染み込ませていくことで、光の元へと人を導く。
だけどこれって、すごく面倒。ストレスすごいし、時間もかかる。「怖い」で保たれていた気持ちが、一瞬でマイナスに振り切った。
つまり、面倒事から逃げ出したい気持ちが、恐怖に勝ったのである。
あー、どうやって断ろうかなー、できたら会う前に逃げたいなー。
「……お嬢様のお部屋はこちらでございます」
だが神は我を見捨てたもうた。
あっという間に部屋に着き、あっという間に扉を開けられてしまった。
あ、え、ちょっと待って心の準備が。昨日の野獣みたいなお父様にそっくりで、さらに死んだ目してる子供だったら、絶対無理やで?
けど、俺の予想は思い切り裏切られた。
「こちらが、ララ・マグシュタイン様でございます」
広く明るい部屋の真ん中に座り込んでいたのは、ふわふわのドレスを着た、超絶美少女。
すっごい、意外。
正直一瞬見惚れた。
ふわふわとした明るい金髪に、ぱっちりとした碧眼。
人形みたい、という表現がぴったりの少女だ。
「――ん?」
けれどもすぐに違和感を持った。
あれは、なんだ?
頭の上に――――耳???
人にあるべき、顔の横についている耳はなく、小さな頭の上に、ふたつ、三角の耳が覗いていた。
一瞬、意識が飛んだ。
あはは、何だろアレ、飾りかな。今の流行り?
けれど目をこすってみても、美少女の頭、濃い黄金の髪の隙間から白い毛に覆われた耳が生えていた。
しかも、こちらを伺うように、横になったり正面を向いたりと、耳はぴくぴく忙しなく動いている。
あかん、あれ、生耳じゃん。
どういうこと? と疑問一杯の強張った顔でドラキス氏を見たら、彼は心得ている様子で頷いた。
そして、絨毯に座り込む猫耳美少女の傍に寄り、膝をついた。
猫娘は俺から隠れるように、慌ててドラキスの陰に入った。だがすぐに興味しんしん、といった表情でこちらへ顔だけを覗かせる。
ドラキスはそんな猫娘に、優しく語り掛けた。
「こちら、レオニール様とおっしゃいます。これからお世話になる聖教師様です。さあ、ご挨拶を――」
猫耳お嬢様は、大きな金の瞳をこぼれんばかりに開いて、ぱち、ぱちと瞬いた。
そして、小さな口を開き、ひとこと言った。
「――――にゃあ」
唖然とした。
お聞きになりましたか。
人 語 で す ら な い。
声は可愛い。が、内容を理解することはできない。
無言で固まっている俺に向かい、ドラキスは粛々と首を垂れた。
「このように、お嬢様は人の言葉を話せません。当然、文字も書くこともできないのです。レオニール教師には、お嬢様が人らしく生きるため、人としての全てを教えていただきたいのです。どうか、どうか、よろしくお願い致します」
「てか、猫、ですよね?」
「お嬢様は人間です。いや、半獣、と言った方がよろしいでしょうか。しかし、人らしく生きることは可能なのです! よろしくお願い致します!」
「私が教育できるのは、人間だけです!」
「ですが、お嬢様は人間です……!」
「人間に耳はありません!」
だってほら、今もまだぴくぴく動いてるじゃん?
「人間には、尻尾もありません」
お嬢様のスカートからぴょっこりとはみ出ている真っ白な長い尻尾。現実逃避も兼ね、目を逸らして尻尾の存在を告げた。
重ねて申す。人間には、動く獣耳も、ふさふさ尻尾もついてない。
「お嬢様は人間です! ただ、片親が獣人なだけです!」
「はいアウト、アウトー!」
大声で叫ばないように! 大陸の神様、人間以外の存在を認めてませんからね!? 下手したら迫害を受けますよ!
「見なかったことにしますから、大人しくこの城で『お嬢様』と静かにお暮しください。あと改めて、この仕事、辞退させていただきます」
「そんな! お嬢様に、人らしく生きて欲しいと思うのは贅沢なことなのですか!? 後生ですからこのじいの願いを聞いていただけませぬか!」
「無理です」
無理です!
心で二度目の拒否を叫び、ブルブルと首を振った。顔がブレるくらいの勢いで振った。だが、ドラキスは俺の脚にしがみつき、必死に訴える。青白い顔で、くわっと三白眼を見開いてバケモノな形相で訴えてくる。
「これまで幾人もの有識者、聖教師に依頼しましたが、皆旦那様に会った瞬間逃げ出し、この部屋までこれたのはレオニール様だけなのです! お嬢様を立派な淑女にするため、このドラキス、了承の返事をいただくまで諦めませぬ!」
逃げられなかったのは気絶したからです!
回れ右をしても、ドラキスは脚から離れない。
逃げるため必死に力を込めながらも、できるだけ冷静に、俺は語り掛ける。
「申し訳ありませんが私には荷が重く」
「離しませぬぞ!」
「故郷に残した母が心配で」
「この城を離れたら呪いますぞ!」
「持病の癪が」
「呪いますぞおおお! 離しませぬぞおおおおお!」
ドラキスは白髪を振り乱し、最後にはどこからかカソックを着た藁人形を取り出し、壁に向かって釘を打ち始めた。え、それ俺? まさか一晩で準備したの?
執事の背後には、いつの間にか暖炉の上に座っている少女がいた。
シャンデリアに虫でもついていたらしい、尻尾をぶんぶん振り回し、興奮した様子で天井に向かって叫んでいた。
「にゃあああ―――!」
鬼気迫る顔で釘を打つ老執事。その向こうには瞳孔をかっ開いて叫ぶ猫娘。
カオスである。
ほら無理でしょ。無理だよね。こちとら、これまで人間に教える方法しか習ってこなかったよ。
文字? そろばん? 数の概念あるのかな、あの猫娘。
俺は遠い目になった。
マジで何なのこの家。帰りたい。
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