なろうバトルと俺TUEEE
のうきんを見てて思ったのは以前ストーリーについて触れたが、イマイチだから適当に作られると書いた。だが最も問題はバトルはもっと酷い。バトルもストーリーなので不可分なのだが、そうとも言えない部分もある。少年漫画にある過去回想など典型的なバトルと独立したものだろう。
ワンピースが有名だが私はあれ読んだ事が無い。ワンピを読んだ事が無い漫画語りってのは何か片手落ちな気もするが、テラフォーマズが欠点も良い点も良く似てるらしいのでそこから考えると、バトルと無関係ではない。ただ独立して捉えることも出来る。そこから考えると、やっぱりそのバトル部分が悪い。
適当どころじゃない作業になって何の刺激にもなってない。なんでこんなシーン必要なんだ?ぐらいどうでも良い。これらは他の作品でも現れる。ただ原作改変オリジナルが酷いのでその酷さがのうきんが際立ってるだけで。
じゃなろうのバトルは面白いのか?ならなろう外の価値観で見たらゴミだ…。ストーリーを含めてかなり上手く作られていたのが盾だったと思う。ただ同じ価値観のオバロと幼女戦記は中々面白いと思う。ただ幼女戦記はガンダムに似てて、本人は上からの命令で嫌々やってる部分があるのでその辺りはなろうの俺TUEEEからやや外れる。
ある意味軍隊らしいパワハラを楽しむもので、幼女戦記はコメディの部分が無いと何故受けたのか?かなりややこしい部分がある。なろう作品ではないが、ネット作品で求められてる上の階層の人達じゃない人がそれらをやり込めるザマァ的な部分と真逆なのだから。無能ではないが、上司に無茶振りを要求される部下と言う典型例になってる。
私は幼女戦記の面白さはコメディの面白さが強いと思ってる。主人公のボヤキを楽しみとしてみる部分が強い。もちろん無茶振りされた戦場でなんとかこなしてしまう俺TUEEEの面白さはある。ターニャのキャラクター性を支えてるのは俺TUEEEよりむしろこのボヤキの部分だと見ている。その点正統派はオバロだけだと思う。
オバロは酷いって言えるほど俺TUEEEだ。悪の主人公であるためマッチポンプの俺TUEEEをやってのける。自分の部下が起こした事件を正体を隠して退治して解決するという事をしてる。水戸黄門なら悪代官はグルだったってわけだ。目的が俺TUEEEではない、マキャベリズム的な戦略的な目的なのでそこは全く違う。根本的に住民をNPCっぽく見ててゴミ扱いしてる部分があり、賞賛にそれほど喜んで無いから。それにそのための要員は部下で間に合ってるので。その点は住民と距離の近い他のなろう作品とは違う。
オバロはその点ネット小説俺TUEEEの最高峰に位置づけられるかもしれない。同一価値観だが外でも受けるほどの完成度。ただそれでもオバロ嫌いな人にはこの舐めプとマッチポンポバトルが批判的に語られる。
何故オバロと他作品じゃ違うか?と言うと観客視点を刺激するほど強者の演出にある。そもそも悪役側なので北斗の拳のラオウと似た部分がある。ああいった独特の存在感がある。オバロに有るのは、逆転したピカレスクロマンとしてのラスボス感だろう。そのため主人公なのに、客観的視点での刺激を創りやすいと見ている。
レベルが高いから受けてるでもなく、やはりなろう独特の読んでる人が一体となった暴力の心地良さではなく映画を観客としてみる第3者視点の野次馬視点だと思う。野次馬的と言う意味ではボクシングやプロレスが良い例だろう。特にボクシングなどでは目当ての選手がかつより、あっけなく終わるほうが好まれない。ボクシングは大体拮抗してるのが好まれる。
1RワンパンKOはかなり物足りない。それはそれで強いのだが、ならなんでそんな弱い相手とのカードにしたんだと、これで金を払った人がいるならそりゃ怒りたくもなる。そういった観客視点なのに一方的な強さで魅せる面白さがある。逆に言えば方向性は似てるが、オバロはなろうの面白さを理解する上でややこしい立場にも居る。理解するうえでは悪い意味でなろう外で受ける刺激に溢れている。
なろうに置ける俺TUEEEの面白さとは何か?正直私は避けてきた。あんまり面白くないんだ…。その理由を話そう。かなりの量のなろう作品は長期間飽きさせず見せるために、俺TUEEE最強無双で実は作ってない。適度なバランス調整をして、スライムからスタートするDQのような部分がある。
常に苦労なく高い状態で戦えているが、もしラスト付近の敵が初期現れていたら多分負けて物語は終っていたとなる。登場する場合もあるが、そこは上手く作ってある。言う割に最強無双なんてのはそう無い。
で、そのままそれで片付けていたら、そうとは言えないバランスブレイカーな主人公がアニメで見ようと思って意図的に避けていた上位作品からもアニメ化によって大量に出てきた。これは私の捉え方の例外が多すぎt別のベクトルがあるとキチンと見たほうが良いと思い直した。それで語らなくちゃいけないがおいてきたものになる。
何故なら私は俺TUEEE楽しめてるが、明らかになろうの多数派とは温度差があって、むしろ外の人達に私は近い部分もあると思う点があるあからだ。
それでもわずかに感じる俺TUEEEの面白さから、のうきんは、強さがあるために不愉快な状況を打破する暴力に自由な気持ちに快感に溢れてない。不愉快な状況に心が抑圧されないって点。圧倒的な強さによるギャグにしかなって無いって部分も下手。笑いの方だけに眼を向けていて、根底の抑圧を撥ね退ける圧倒的暴力って部分を感じさせるのが上手くない。
根本的になろうのバトルの面白さが分かって無い。それはのうきんのスタッフだけじゃない。そもそもオバロが面白いのは同じなろう外の価値観で作れる部分があるからだ。それでもオバロは兼用してるだけで批判者が多いのは、外の価値観とは違うネット小説、なろう系ゆえのバトルの面白さがあるからだ。結果論的に付随して作れてるだけに過ぎない。
ただ、なろうは長く読んでいて飽きてるから個性的で魅力的な設定を伴ったファンタジー的強さがある。これが致命的に問題があるのもある。のうきんはそのタイプじゃないと思うが…。これ慣れてるから設定への理解度がなろう読者はレベルが高すぎるんだ。この点で大衆娯楽的じゃない部分がある。
読んでる読者は前提があるから理解への難易度が高くない。かつ、刺激自体がもうシンプルなものじゃやりつくされた弱さに繋がってるためだ。そして最大の問題は文字だからだ…。ただのうきんに限ってはその部分が失敗したわけじゃない。抑圧を撥ね退ける圧倒的暴力の開放感が分かって無いから、そのための努力が全く無いんだ。
オリジナルで創るのは良いんだけど、そういう部分削っちゃ駄目よ。それを自前で作者にたよらず用意し無いと。なろうなんてそこなくしたら原作としてアニメ化する価値が無いから…。かりにそうじゃなくて、他の魅力があるとしよう、そっちを伸ばしたんだと良いわけもあるだろう。私が見る限りなろうの上位作品に私の書いた部分の比重が極端に低いほかの魅力で一杯の作品なんて皆無だと書いておく。
多分他の魅力を伸ばしたのは嘘だ。比重の高い重要な魅力を感じ取れなかったので捨てたの間違いだ。俺SUGEEEも含めると結局ネット小説はマウントを取った状態の主人公に重ねる心地良さにあると思う。