うれしい
次に二人が向かったのは、雑貨屋だ。ここでは水筒や毛布など、道中で必要になるものを買う予定だ。
「イリス、ちょっと外で待っててね、すぐ戻ってくるから。」
「分かりました。行ってらっしゃいませ。」
「ませなんて言わないの! 行ってらっしゃいにしなさい!」
「はい・・・行ってらっしゃい・・・。」
「よろしい!」
店主がアリエのことを知っていてかつ独身のことも知っているとめんどくさいことが起きるので、イリスを外に待たせ、アリエは一人で店に入っていった。
「いらっしゃい、あれ、あんたは確かギルド嬢の。今日はギルドの仕事は休みなのかい?」
「まあそんなところよ。」
アリエと対立していない店を探すのも一苦労で、やっと見つけたと思ったがやはり店主はアリエのことを知っていた。詮索をされるのも嫌なのでできるだけ早く会話を終わらせて品選びを始めた。
小さな店だったがわりと品ぞろえはよく、素早く目的のものを見つけることができた。
「じゃあ、これを買うわ。」
「はいよ、って水筒やら毛布やらまるでどこかに旅する用意だな。仕事辞めて旅でもするつもりかい?」
「あなたには関係ないでしょ、でいくらなの?」
「まあそうだけどよ・・・しめて12000リンだな!」
ほんの2時間ほど前に人生で一番大きな買い物をしてしまい、残金も少なくなっている。イリスの服も6000リンほどかかっており、残りはだいたい18万リンだ。
『あと必要なものは食料とわたし用の剣か・・・。何とかなりそうかな・・・。』
食料はもちろん、剣も鉄製ものにすればそれほど費用は掛からない。鉄製は、ほかの金属に比べるとさびやすく、折れやすいという欠点はあるものの、アリエがいつも使っていたギルドの剣も鉄製だったので大きな問題はない。
道中でも食料は買い足さなければいけないし、宿にも止まらなければならず、少なく見積もっても5万リンはかかってしまう。次の町で必要なお金を考えるとかなりギリギリだが、致し方ない。
その後、食料や剣を買い、旅に必要なものをすべてそろえたアリエは、最後にイリスとある場所へ向かった。そこは・・・
「はい、着いたよ。」
かなり廃れてしまっている鍛冶屋だった。装備をそろえたはずのアリエがここに来たのはイリスのためだった。
「こんちはー、ジョシュおじさーん、いるー?」
まるで近所の知り合いのおじさんのうちに来たような口調で呼ぶと、一人の恰幅のよい老人が奥から出てきた。
「なんや、アリエじゃねーか! 久しぶりだなあ、元気にしとったか? で今日は何の用だ?」
ジョシュ・バッカス、かつてはダーケルスいちとも言われた伝説の鍛冶師である。しかし商売には全く興味がなく、商売の競争にも敗れるどころか最初から参加していなかったため、今では街の片隅に追いやられ、お得意様だけを相手に商売をしている。そのお得意様も、ジョシュ自身の性格のせいか、かなり少ない。
しかし、ジョシュはアリエの数少ない味方の一人だった。昔は休みの日にはジョシュの鍛冶工房に入りびたり、まるでジョシュのことをわが親のように慕っていた。最近では顔を見せる機会はかなり少なくなったが、アリエはジョシュのことを慕っている。
「今日は一つお願いがあってきたんだけど・・・」
そういうとアリエはイリスの足元を見た。すると・・・
「なんだ、そんなことか! アリエもまたやっかいなことにまきこまれたなあ・・・まあいい、ちょっとこっち来い!ああ、お嬢ちゃんもついてこい!」
いままで蚊帳の外だったイリスは急に呼ばれてびくりとしてしまった。
『なんで私も何だろう・・・?』
そう思うと、まるでイリスの心を読んだかのように、アリエはイリスに話し始めた。
「これからのことは、イリスにとって必要なことなの! だからついてきて!」
謎はさらに深まったが、ご主人様に逆らうことなどできるはずもなく、アリエについていった。
すると、そこはジョシュの工房だった。外に比べてかなり蒸し暑く、少し立っているだけでくらくらする。何本も試作品の武器が置かれ、中にはとても高級そうなものもある。イリスは初めてだったので興味津々で周りを見ながら歩いていると・・・どんっ! アリエにぶつかった。
「す、すみません! 悪気はないんです、どうか許してください!」
「いいのよ、急に止まったわたしも悪いんだから。それより着いたよ!」
そういって到着したのが、巨大な鉄ののこぎりが置いてある場所だ。しかも、刃の部分は高温のため赤くなっている。
「さあイリス、左足を出してちょうだい。」
「痛くはしないからよ、一瞬で終わらしてやるよ。」
イリスは二人が何を言っているのかは分からなかったが、これだけは分かった。ここで殺されるのだと。考えてみればわたしはご主人様にとって何もプラスになる存在ではない。戦闘はできるかもしれないが、会話の中でご主人様はBクラスの冒険者と同じくらいと言っていたので、戦いの中でわたしができることはいざというときの捨て駒くらいしかない。そんな捨て駒のために120万リンもつかうなんて馬鹿げている。
『きっと最初から、こうやって殺すのを楽しみにしていたんだ・・・。』
恐怖はなかった。それもそのはず、彼女のこれまでの人生はいいことなど一つもなかった。
『生きてても、いいことなんてなにもないんだろうな・・・ただ・・・』
イリスはいまから2時間前のことを走馬灯のように思い出していた。
『ご主人様に服を選んでもらったとき、初めてちょっといい気持ちになれた、あの気持ちは何だったんだろう・・・? あれが喜びなのかな・・・? まあいいか、もう・・・。」
「はい、終わったよ。」
アリエのさっぱりとした声がイリスの脳に響いた。まだ死んでいないのか? それとも死後の世界か? そんな風なことを思いながら目を開けようとすると、簡単に開いた。まだ死んでいないようだ。
「お嬢ちゃん、大丈夫だったか? ちょっと熱いのが当たっちまったが・・・。」
イリスは、自分の足元を見てみると、あるはずのものがなかった。奴隷の足枷だ。
「あれ・・・足枷は・・・もしかして、足枷を切ってくれたんですか・・・?」
「あったりまえじゃねえか、ってかアリエ、お前説明してなかったのか?」
「ごめんごめん、イリスにサプライズしたくって! これでイリスは今日から正真正銘奴隷じゃなくなるんだよ! 自由に生きていいんだよ!」
少しずつ、思考が追い付いてゆく。なぜ、この人はわたしに服をを買ってくれたのだろう。なぜ、この人はわたしの悩みを聞いてくれたのだろう。なぜ、この人はわたしを助けてくれたのだろう。
そんなことを考えていると、なぜか目から水が出てきた。おかしい、この水はいつもつらい時にしか出ていなかった。それもずいぶん前に出なくなったのに・・・
『なんでうれしくて出てくるんだろう・・・。』
イリスは初めて、「うれしい」という感情が分かった。うれしいと、胸が熱くなる。うれしいと、目が熱くなる。そして、うれしいと・・・・・目の前の人、アリエに抱き着きたくなる。
「ご主、いやアリエさん! 本当にありがとうございました! こんなわたしを、生きている価値もないわたしを助けてくれて! これからもずっと一緒にいさせてください! わたしに、もっといっぱいいろんなことを教えてください!」
突然、イリスが泣き出したかと思えば、急に抱き着いてきてそして感謝を伝えられた。一瞬の出来事だったのでアリエは少し驚いたが、今度はイリスを抱きしめてあげた。
「これからはもっと辛いこと、苦しいこともあるかもしれない。それでもついてきてくれる?」
「わたしにとって、アリエさんから離れることほど辛いことはありません! あなたは、わたしに心を教えてくれたひとですから! 命の恩人ですから!」
「うん、ありがと。これからもよろしくね、イリス!」
「はい、よろしくお願いします!!!」
蚊帳の外にされたジョシュだったが、目の前のやり取りに感動を感じずにはいられなかった。涙が頬を伝う。もう年なのだろうか。いや違う、若いころでも感動したに違いない。なぜなら、
自分の娘が母親になった、そう感じたからだ。この感情はもうこれからさきには訪れないだろう。
そのため、少しでも長くこの時が続けば・・・そう思って目を閉じ、うだるような暑さの中、その場に立ち尽くしていた。