イリスの可能性
なんとか馬車からの脱出を図るアリエ。
しかしそんな努力も虚しく、馬車の扉が開かれてしまう。
入口に立つのは、先ほど話題に出していた御者の男。
小刀を両手に手にしている。
職種は、狩人だろうか。
その強さの見立ては、正しかったようだ。
先ほどとは打って変わり、殺気を身にまとった姿は、アリエよりも強者であるように見えた。
『ここまでか…』
イリスと共に臨戦態勢を取るも、勝つことはおろか、逃げることすらかなわないのは理解していた。
『それでも…!!』
最後のあがきとして、剣に力をこめ、御者の男に向かって切りかかる。
しかし、御者の男はそれを上回るスピードでアリエの剣戟を躱す。
避けられるとは思っていなかったため、アリエは一瞬戸惑ったものの、次の瞬間には正気に戻る。
「いけないっ! イリス! 逃げてっ!」
後ろに構えていたイリスの目の前に、御者の男は立ちはだかる。
イリスは、恐怖で体が固まってしまっている。
再びアリエは男に向かって剣をふるうが、とても間に合わない。
その間に、無情にも男の両太刀は、
クリセルの頭に振り下ろされた。
「いい加減にしなさい、クリセル様!」
スコンッ!と小気味よい音が馬車の中に響く。
「いっったあああ~~~!!」
「え…???」
瞬間、アリエの思考回路は停止した。
「ちょっと、何するんですかヘンリー、主人を殴るなんて!!」
「ふざけるのも大概にしてください、私まで悪者になっちゃうとこだったでしょ。」
「だからっていきなり殴りますか!? ほら、ちょっと腫れてきたじゃないですか!」
二人の言い争いを聞いて、現実に引き戻されるアリエ、だが…
「どういうことか、説明してもらえませんかね…」
若干の混乱、そしてとてつもない怒りの感情がこみあげてくる。
「ひぃっ! ほら、ヘンリー、あなたから説明してあげてください!」
クリセルは御者の男に説明を促したが、すでにその場にいなかった。
アリエの怒りの感情を察知した瞬間に、とっとと退散したようだ。
「ちょっと、ヘンリー! この薄情者!」
再び馬車が動き出す。
イリスは、何が何だかという表情だ。
恐怖はとれたものの、体はまだ固まっている。
そしてアリエは、、、
「誰でもいいから、早く説明しなさいっ!!」
激情の真っただ中であった。
「わっわかりましたっ! 不肖ながらこのクリセルが説明させていただきますっ!!」
クリセルは話し始めた、一連の出来事を。
「まあ、軽いいたずら心です、ハイ。なんだかアリエさんにすべて見抜かれて悔しくて、それで少しでも騙せたらと思って演技をしてみたのですが…だんだん楽しくなってきちゃって!」
アリエの眼光が鋭くなる。
これだけで人を殺せそうな勢いである。
「い、いやそれだけじゃなくって! 確かめたかったんです! こういう時、アリエさんはどういう行動をとるのかを!」
「どういう行動をとるか?」
「はい、絶体絶命の時に、身を挺してでも娘を守ろうとする覚悟があるか、ということです。」
先ほどの出来事の中で、クリセルは何の行動も起こさなかった。
じっくりと、アリエを観察していたのかもしれない。
御者の男が入ってくるのも、想定の内だったのだろう。
「先ほどの場面で、あなたはイリスさんをおいて逃げることも可能だったはずです、イリスさんをおとりにすることによって。しかしながら、ヘンリーに剣戟を躱された後、あなたはもう一度戻ってきてイリスさんを守ろうとした。」
確かに、御者の男の集中は、自分の目の前、つまりイリス(実際はその奥のクリセルだったのだが)に向いていた。
逃げようと思えば逃げられたのかもしれない。
しかしながら、その考えはアリエの頭の中には塵ほどもなかった。
ただひたすらに、イリスを守りたいと思っていた。
「それは、どんな言葉よりも確かな証拠、親子の絆に他なりません。」
その説明を聞き、アリエはようやく納得がいった。
「なるほど、私が本当にイリスのそばにいるにふさわしい人間なのか試した、というわけですか。」
「はい! 犯罪を見逃すのですから、それくらいの保証はあってしかるべきでしょう?」
イリスの運命を変える人たりえる保証のため、クリセルはあんなことをしたのであった。
「それで、試験は合格ということでよいですか?」
「それはもちろん! やはりあなたはイリスさんと共にいるべきです。もしあなたがあの時逃げていれば、責任をもって私がイリスさんを育てていたのですが…まあ、これも運命です、甘んじて受け入れます。」
クリセルは、少し名残惜しそうにする。
本当に、イリスを連れて帰りたいと思っていたようだ。
「もうひとつだけ聞かせてください、あなたの見えるイリスの可能性とはどんなものなのですか?」
クリセルは一瞬逡巡するも、話し始めた。
「先ほど、アリエさんの推理をほぼ正解と言いましたが、ひとつだけ間違っていたことがあるんです。私は、かつてイリスさんのことを目の前で見たことはありません、ジャッジメント・アイの有効範囲の中で見たのは、昨日が初めてでした。」
「となると、なぜイリスに目をつけていたのでしょう?」
やはり、ジャッジメント・アイには有効範囲があるようだ。
よく観察をしなければその人の未来の可能性は分からない。
しかし、
「イリスさんの可能性が、桁違いに大きかったのです、今まで出会った誰よりも。ジャッジメント・アイは、その人の可能性の大きさを、その人が放つ光の輝き具合で判断します。イリスさんの光は、近くで見る誰よりも輝いていた。そして同時に、横に立つ者の姿もうつしだしていた。」
「それが、アリエさんだったのです。」




