第六話「愚者の戦い」
共感覚とも呼ばれる、朝陽のそれと同じ類の能力には、視え方や聴こえ方に個人差がある。同じ「感情が視える」能力でも、それがどのような形として視えるのかは人によって様々だ。
朝陽の場合、光る星の色と明るさだった。
今、見上げる夜月が自分へ向けて瞬かせているのは、不信感の黒。それも、眩むくらいの一等星だ。
先ほどと同じような汗が溢れ出てくる。朝陽は思わず、地に視線を落とした。
「朝、電柱の後ろに隠れてたのもあなたですか」
「……バレてたのか」
深くため息をつく朝陽に、夜月は鼻を鳴らす。逆にどうしたらそこまでの観察力や直感が身につくのか、教えて欲しいくらいだ。
完全に失敗した。ここから信頼を得るのは、限りなく難しいだろう。
彼女のことを一番近くで十三年間も見てきたはずなのに、こうも接触の仕方を間違えるとは。とんだバカ兄貴だと、朝陽は心の中で自嘲する。
「ていうかなんで裸足? 明らかに部屋着だし、財布も携帯も持ってないみたいだけど。そんな格好でコソコソして、不審者って思われても仕方ないですよね」
「ああ……全くだ」
容赦なくまくし立てられるが、返す言葉も見つからない。ただ、同調するくらいしかできなかった。
「あら、意外と素直なんですね。何か言いたいこととかないんですか? それに眼を合わせてくれないと、何も伝わりませんよ」
夜月はしゃがみ込み、額が触れそうになるほど顔を近づけてくる。彼女の行動は、何かしらの弁明を促す慈悲のようにすら思えてくる。
「通報だけは勘弁してくれ。頼む」
気づけば口を開いていた。本心からの懇願だろう。
しかし、事態は思っていたよりも深刻だったようだ。
「えっ……通報なら、とっくにしちゃいましたけど」
咄嗟に眼を見開き、眼前の夜月を見る。顔の前でスリープ状態の携帯電話を掲げていて、先ほどよりは薄くなった不信感の向こうに彼女の苦笑と若干の罪悪感が見えた。
ちょうどその時、視界の奥からふたりの若い警官が近づいてくるのに気がついた。充分怪しまれているのだろうが、変なアクションはせず、要求には素直に応じた方が良さそうだ。朝陽は土管から重い身体を引きずり出すと、俯きながら立ち上がった。
「いくつかお伺いしたいことがありますが、よろしいですか?」
ひとりが尋ねてくる。もちろんここは頷くしかないが、その前に。
「俺からもひとつ訊きたいことがあるんだが、先にいいか?」
警官たちは一瞬顔を見合わせると、「どうぞ」と続きを促した。
「今日は何月何日だ? 変な質問なのは分かるが……気になるんだ」
「え?」
それはこの世界に来てから、一番知りたかったことだ。にも関わらず一切の情報がなく、人と会える格好でもないのでどうにも知り得ず、立ち往生する他なかった。
しかしこの状況なら、むしろいい機会だろう。一層の疑心を煽るが、そう待たずして返答はやってきた。
「七月二七日の金曜日ですよ。それがどうかしたんですか?」
「は……?」
朝陽の顔から血の気が引いていく。確かにそう答えた夜月の肩を掴み、「本当なのか!?」と思わず迫ってしまう。
「ちょっ……何よ、いきなり? い、一応今朝も確認したんだけど……間違いない、ですよね?」
豹変した青年を前にひとつ息を呑むと、なんとか平静を保ちながら夜月は傍観していたふたりの警官に同意を求めた。
「ええ、間違いありませんが……」
「ほら! 分かったら、離して……痛いですから」
夜月はいよいよ恐怖で泣きだしそうになるが、声が届いていないのか朝陽は手を離そうとはせず、むしろ力を強めていく一方だった。
不穏な空気の中、警官たちも止めに入ろうとしたその時、喉の奥から絞り出すように朝陽は呟き始めた。
「今すぐ帰るんだ夜月……まっすぐにな、寄り道なんかせずに、走って帰れ。まだ明るいうちにだ……」
「ま、待って! なんで私の名前を?」
彼女の名を口にしたのは、もはや警察など気にする必要がなくなったからだ。このパラレル・ワールドでの〝今日〟は七月二七日、夜月が事件に巻き込まれた日付だ。
結果的に彼女と接触できたのは幸運だったと言うべきか、とにかくここはなんとか説得して、せめて最悪の事態だけは防ぐべきだ。
今回も約束を果たすことはできない。失敗に終わる。それでも第一の目的だけは、なんとしても遂行したい。
つまり、夜月の死を回避する。そのためには、なりふり構ってなどいられない。
「俺は未来から来たお前の兄だよ、夜月。時間がないんだ……このままでは今日、お前は死ぬ……!」




