第二話「小さな決意」
「ん。ここまででいいよ、ありがとう」
辺りはすっかり紺色の闇に包まれ、頼りない街灯とささやかな月明りだけが足元を照らす。
滅多に自動車も通ることのないこの道で二人は横に広がって歩いていたが、やがて少し先に癒鞠がしばらくの間泊まるというホテルを見つけると、彼女は最初にそう切り出した。
「朝陽。私からはもう、言うことはないけれど……そうね、無理はしちゃだめよ」
半分振り返りながら癒鞠はそう言い、たちまち頭ひとつ分ほど背の高い朝陽の広い胸腹部に自分の耳と控えめな胸を押し当てた。まるで、お互いの存在を再確認するかのように。
「死なないでね。そう言うことしかできないわ」
しばらくの間、癒鞠はそのまま体重を預けていた。
そんな彼女の姿に朝陽は思わず口角を上げ、右手で幾度となく後頭部を撫で下ろしていた。
「癒鞠……お前、大人っぽくなったな」
別れ際、朝陽がそう口にすると、年の変わらない目の前の彼女は「そうかな?」と笑った。
その笑顔がやけに大人びて、どこか切なげで、儚げで、今にも消えてしまいそうだったから。
その真意も分からないまま、朝陽はレンズ越しに見据えた彼女のそんな顔をしっかり眼に焼き付けた。
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パラレルワールドに行く方法があるらしい。条件はいくつかあり、それらを満たした者に稀に扉は開くという。
まず大前提として、『この噂を何らかの形で耳に入れていること』。
これに関しては言うまでもなく、この日朝陽が癒鞠から話を聞いたことでクリアしている。
他にも細かい条件はあるのだが、そもそも都市伝説を認知してさえなければ仮にそれらを全てクリアしていたとしても、扉が現れることはないらしい────まあ、この前提の話に関してはもはや必要ないだろう。
と、言うことで朝陽は早速数々の〝パラレルワールドへ行くための条件〟をひとつひとつ潰していくことにしてみた。
就寝時刻や十分な睡眠時間。また寝台の配置や身体の向き、枕の位置なども細かい指定があるらしい────この辺りは風水的な意味合いもあり、噂が広まっていくうちについた尾ヒレの可能性も高いらしいが────。
さて、メモ帳に綴ったそれらの〝条件〟をクリアしていく度に横線一本で次々と消していき、ついに残りひとつとなった。
『いつに戻り、何をどうやり直したいか明確に思い浮かべながら、強く祈りを込めて就寝につく』。これが最後の〝条件〟だと言う。
それがいつ現れるかは本人次第。今日いきなり成功するかもしれないし、一ヶ月、一年、十年と、時間がかかるかもしれない。
しかし諦めずに願い続けていれば、いつかは必ず現れると言う。途中で諦めてしまえば、最初からその程度の執念であったのだろうと片付けられてしまうものだ。
『そうね、神様は信じる方だわ。時に人の想いは、能力や科学の範疇を超える。これってどこかで、神様が私たちのことを見てくれているってことでもあると思うのよ。
朝陽、あなたには強い意志と覚悟がある。きっと大丈夫よ』
癒鞠の言葉を思い出す。困った時の神頼み、とも少し違うのかもしれない。ただ朝陽にはひとつ、このセリフだけが気にかかった。
これまで自分が真っ当に生きてきた自信はある。その上で自分は、周りの人間よりも不幸だと思う。
両親を亡くし、最愛の妹までも喪った。何かの因果でもあるのだろうか、それを疑いでもしないとここまでの悲劇は納得できない。
神様は信じない方だ、と言うより、信じたくないと言う方が正確かもしれない。
自分が人生を悲観的に考えるようになったのは、運命のせいにする他ないからだ。
想いの力でどうにかなる問題なら、あの日、妹が帰って来てくれさえすれば良かったのだ。それから約束通りに誕生日の夜を過ごして、いつも通りの日常に戻る。それだけで良かったのだ。
この事件には明確に犯人が存在する。それでも朝陽は何度も嘆いた。なぜ夜月が、と。
重なった偶然による不運なのか、犯人の意思による必然なのか。
どちらにせよ、もう妹は帰ってこない。この現実でどう足掻こうとも、それは揺るがないのだ。
それでも朝陽は強く胸に秘める。それが決められた運命だとしても、神の指で描かれたひとつの物語の終末なのだとしても、この手で捻じ曲げてしまおうと。
この悲劇を創り上げた非情なる神様を、一度だけでも出し抜いてみせようと。朝陽はそんな、ちっぽけな反逆心を確かに燃やした。




