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2018年/短編まとめ

八月の賢者は空よりも狭く海よりも浅く何処よりも鮮やかな世界を知っている

作者: 文崎 美生

「あぁぁ……クソッ」


ザバザバと海水を蹴って陸へ上がれば、パラソルの下に居た幼馴染みが本から顔を上げるのが見えた。

髪から滴り落ちる海水を絞り落として近付けば、静かに真っ白なタオルが差し出される。


「いちいち回収してたらキリがないわよ」


読み掛けの文庫本に栞を挟んだ(アヤ)は、深い紫色を含んだ黒目を揺らし、俺が先程回収した奴を見る。

俺も同じように視線を向ければ、回収した奴――(サク)がまたしても海に飛び込もうとしていた。

「さぁぁぁくぅぅ!!!!」叫べば、今まさに飛び込もうとしていた体がビクリと跳ね、緩慢な動作で俺の方を振り向く。

そうして近くに脱ぎ捨ててあったパーカーを拾い上げ、態とらしく大きく首を捻って見せた。


隣でその様子を見ていた文は、お互い諦めれば良いんじゃないかしら、と溜息を吐く。

海に行きたいと言い出したのが誰だったのか、俺は良く覚えていないが全員それなりに二つ返事で了承した事は覚えている。

しかし、作はと言えば泳げる事はなく沈んでいく一方で、それを有効活用だと言わんばかりに自殺未遂を繰り返していた。


「何であんなに沈むんだ……」


タオルでガシガシと頭を拭きながら呟けば、クーラーボックスからペットボトルを取り出す文が何事でもないように「泳げないからじゃないの」と言う。

事実、作は泳げない。

泳げないどころか一番最初の水に浮くが出来ない。


差し出されるペットボトルを受け取り、キャップを捻って開ける。

良く冷えたそれを傾けて喉奥へと流し込む。

若干甘みの強いスポーツドリンクで、眉を寄せながらラベルを確認するとカロリーオフではない。


「これ、カロリーオフは?」

「作が飲んだわよ」


その言葉と共に飲み掛けのペットボトルを揺らす文。

ちゃぷん、と水音が聞こえ、既に半分程減ったスポーツドリンクに視線を向ける。

それを奪い取ってから、中身を空にして返す。

「大人気ないわね」という呟きに言葉は返さずとも、そりゃあ大人じゃねぇしな、と内心思う。


空っぽになったペットボトルをゴミ袋に突っ込む文を尻目に、中身が残っている方のペットボトルを自分でクーラーボックスに戻す。

バタン、としっかりと閉じる音を聞き届け、海の方を振り返る。

夏らしい高い色鮮やかな水色の空に、深い碧の海が世界を二つに割っていた。


「……夏だな」

「夏でしょうよ」


すっかり海に飛び込むことを諦めたような作は、水色の日傘を差しており白い砂を蹴り上げるように歩いていた。

海の方ではMIO(ミオ)が泳いでおり、些か勢い任せで水柱が立っていて、赤い髪が青い海に良く映える。

文も泳げるが泳ぐ気配もなく、もう一人――崎代(サキシロ)の方も海岸沿いを歩き回っていた。

興味深そうにあちこちを見て回っている様子からして、風景画でも描き起こすつもりなのだろう。


全員の様子を一通り眺めてから、海ってこんなんだったか、と疑問に思った。

方や自殺未遂に方や読書に観察。

アウトドアに不向きだろう、と思う。


「そう言えば」

「あ?」

「今日は乗らなくて良いの?」


本を開き直している文の問い掛けに、俺は僅かな間を挟み「……あぁ」と頷く。

遠目で海を見れば、白波が立っていた。

海の家も絶賛営業中で、この海自体も遊泳可能で、よくよく見てみればポツリポツリと波に乗っている姿が確認出来る。

サーフボード自体は持って来ていないが、海の家に行けば貸出が出ているだろう。


しかし、俺はそのまま海を見て「そういう気分ではねぇよな」と告げる。

現に、海に到着してからパラソルなどの準備をしていた文を尻目に、いの一番に海に飛び込んで行ったのは作だった。

「自殺日和!」とか何とか言っていたが、事ある毎に自殺して良い理由をこじ付けてくるので今更だ。

そうしてそんなこじ付けた理由と共に、日傘もパーカーも放り投げて海に飛び込み、それはそれは大きな水柱を立てたのだった。


それからかれこれ既に十数回、作は俺の目を盗んでは海に飛び込んでいる。

一発目はギョッとした様子で作を呼んでいた崎代も、回数を重ねると「オミくんがいるから、作ちゃんも海に飛び込めるんだね」と信じ難い台詞を吐いた。

最早現実逃避だ。


そうして今、砂を蹴り上げている作と辺りを見て回っていた崎代が合流する。

些か良好とも言えないが、決して不良とも言い難い関係性の二人を遠目で見ながら息を吐く。

何事かを話している二人に、今度は海から上がって来たMIOが声を掛けている。


赤に花柄が目立つパンツタイプのビキニ水着を着込んでいるMIOに対して、作は濃紺のワンピース水着に白いパーカーを着込んでおり、崎代も白とグレーの細身のボーダーが入ったサーフパンツにTシャツを着込んでいる為、酷くMIOが浮き立つ。

本来ならば、MIOの格好の方が海にいる人間らしいものだろうに。


三人が何度か言葉を交わした後、MIOだけが大きく頷いて二人に手を振って俺達の方へ向かって来る。

砂浜だと言うのにその足取りは軽い。

濡れた赤い髪を掻き上げながらやって来ると、文が顔を上げてタオルとヘアゴムを押し付けた。

確かに背中まで伸びた髪が海水に浸って重そうに揺れるのは見苦しいのだが、当の本人は大して気にした様子もなくいつも通り目尻と眉尻をまとめて下げる笑みを見せる。


「何味がいい?」

「はぁ?」


俺と文の声が重なり合う。

タオルで乱雑に髪を拭うMIOは「かき氷!」と、虫歯一つない真っ白な歯を見せた。

若干コミュニケーションに難がある対話だが、俺達は適当に頷く。

恐らく波打ち際でしゃがみ込んでいる作と崎代にも同じ事を聞いてきたのだろう。

「作ちゃんはいちごで、崎代くんはブルーハワイだって」と言った。


MIOからタオルを奪い取った文が「レモン」とその赤い髪を労わるようにタオルで包み込んで拭う。

えへへ、と笑うMIOは実年齢より幼げだ。

タオルと赤い髪の隙間から、薄茶の瞳が覗き「オミくんは?」と問い掛けるので「……メロン」短く答える。

すると、タオルからするりと抜き出たMIOが、パラソルの下に置いていた鞄から財布だけを抜き取り「じゃあ、買ってくる!」とヘアゴムを投げ捨てて走り出した。


マジか、と思うのと同時に言葉が出る。

溜息を吐いたのは文で、横に流された前髪の下で瞳を伏せさせているが、眉間にはシワが刻まれていた。

俺の名前を短く呼ぶので、渋々仕方ないという心情で立ち上がり、シンプルな黒いヘアゴムを受け取ってから海の家へ滑り込んで行くMIOを追い掛ける。


クロックスを履いて追い掛け海の家に入ると、既にMIOが注文をしていた。

カウンターに腕を乗せ、カップに砕かれた氷が注がれる様子を眺めている。


「お前、髪しばっとけ」


赤い毛先に手を伸ばして軽く引けば「いいよ〜」と弾んだ声が投げられる。

いいよ、と言うのは髪をしばるのが良いという事ではなく、勝手にしばって良いという事だ。


未だ氷は砕かれており、時間があるのならばと赤い髪をまとめていく。

耳元から指を差し込み、段差が出来ないように髪を集めていくと、新しいカップを出していた海の家に雇われているような二十代の男が、微笑ましいものでも見るように目を細めた。


簡単にポニーテールにした頃には、氷も砕き終わっており、その上にカラフルなかき氷シロップが掛けられる。

赤と言うには明る過ぎるショッキングピンクに、空に近い色味の水色、蛍光色な黄色、絵の具チューブからそのまま出したような緑、最後には白。

「何だこれ」白い氷に白い液体が掛けられたそれを指し示せば、ポニーテールを左右に振ったMIOが「練乳」と笑う。


白に白は決して食欲をそそる色味ではなく、あぁ、そう、と口の中で呟き目を逸らす。

二人で五人分を持つのは大変だろう、なんて言葉と共に簡素なお盆を差し出され、それにかき氷が盛り付けられたカップを置いて持ち上げる。

その間にMIOが支払いを済ませた。

MIOの手が練乳掛けのかき氷のカップを取り、突き刺さっていたストロー兼スプーンを抜く。


ジャクジャク、音を立てて氷と練乳を混ぜる。

大きく口を開き、スプーンいっぱいに盛り上げた練乳塗れのかき氷を頬張るMIO。

じっと見ていれば、口の中でもしっかりと氷を噛み砕いているようでバリボリ音が聞こえる。

目尻も眉尻も下がったところで、それに満足していることが分かった。


「オミくんも食べる?」

「いや、要らん」

「あーん」

「人の話を聞けよ、お前」


横からにゅっと出てきたかき氷山盛りのスプーン。

それを尻目に溜息混じりに言葉を吐き出したが、それを押し込めるようにスプーンが突っ込まれる。

どろりとした甘さに眉が寄ったが、MIOはその反応を予想していたようでケラケラと声を立てて笑う。

楽しそうで何よりだな、俺は良くないが。


そうしてパラソルの元へ戻れば、文が「お帰り」と出迎え、MIOに小銭を握らせた。

作や崎代には後で徴収するように告げているのを尻目に、お盆を砂浜に広げているシートの上に置いて、俺も財布から小銭を取り出す。


MIOの財布の中に小銭を流し込んでいる間に文がレモンのかき氷を取り、残されたイチゴとブルーハワイを俺が作と崎代に持って行けと言う。

「お前、海来てから動いてねぇだろ」財布を仕舞いながら、三角座りをしながらかき氷を突っつく文を見下ろす。

いつもは胸元まで下ろされている黒髪がハーフアップにされており、いつもよりは涼しげだ。


白く首の後ろで結ぶタイプのビキニを着ているが、しっかりとラッシュガードを羽織っている。

前髪の隙間から、紫混じりの瞳を細めて俺を見上げる文は、そのラッシュガードを胸元へと引き寄せながら「早く行ってくれば」なんて口にする。

薄い唇の隙間から覗く舌は薄黄色に染まっていた。


コイツら、海に来て楽しいのか、と頭が痛い思いを抱く。

しかし、MIOも文も既に座り込んでかき氷を咀嚼している。

海の方を見れば、打ち付ける波に足を沈めている作と、それに付き合っている崎代が居て、こちら側へ来る様子も見られない。


仕方なく溜息と共にイチゴとブルーハワイのかき氷と立ち上がる。

「行ってらっしゃ〜い」と間延びした声で送り出したのはMIOで、緩く手を振ったのが文だった。


砂に沈んでいく足を、深く沈む前に引き上げるように早歩きで二人の元へ向かえば、話し声が聞こえてくる。

「海は好きだよ」「泳げないのに」「泳げないから」「……あー」と、何とも言い難い会話に頭が痛い。

かき氷を一気に食べた時の頭痛の方が健全だ。


いつも通り横に流したようにまとめられた癖の強い黒髪が、海水でぺったりと萎れて見える。

「スキューバダイビングだって沈めれば十分でしょう」と抑揚のない声で言っている作は、生まれながらの金槌で泳げず浮かず、何なら水の中で目を開けることすらままならない。


「土に埋まるよりも、海の方が広いしね」

「そっかぁ……」

「そうだよ。崎代くんは、山の方が好きなの?」

「うん?うーん、どっちも描きたいとは思うけど、山登りはなぁ」


パシャッ、軽い水音と共に海水を蹴り上げる作。

細身の爪先が青空に良く映え、崎代がそれに合わせて背を仰け反らせる。

会話の内容は僅かな毒気のような危うさを含ませているにも関わらず、酷く穏やかな空気がそこにはあった。


「オイ、かき氷……」


穏やかな空気を割るように声を掛ければ、崎代は振り返り、作はゆるりと視線を上げる。

前髪の隙間から淀みない黒目が覗く。

俺の方に向けられる黒目は鏡のように静かな水面のようで、しかし崎代はそれに気付くことなく「わぁ、ありがとう」と笑う。


崎代の笑い方はMIOの笑い方と酷似している。

目尻も眉尻も下げた人好きのする笑みで、悪意も他意もない純然たる好意を含んでいる。

幼馴染みの中に置かれた幼馴染みとは違う関係で、別段俺にとって毒にも薬にもならない相手。

良くも悪くも今後次第、と頭の片隅でMIO当たりが聞けば不満そうに声を大にする事を考えながら「おー」とかき氷のカップを手渡す。


ジリジリと全てを焼き付くさんとする夏の太陽に負けてしまうようで、カップには水滴が多く浮かんでいる。

それに「冷たいね」と笑う崎代だが、作は瞬きを一つすると「オミくんは」と口を開く。

崎代が作の方を振り向くのと同時に「あ?」片眉を上げて答える。


「海は好き?」


差し出したかき氷を受け取ることなく、投げ掛けられる問。

上がった眉は元の位置に戻った後、中央に寄りシワを生み出した。


「……嫌いじゃねぇけど」


どういうつもりだ。

怪訝そうな顔を崩すことなく答えれば、珍しく作がにっこりと効果音の付きそうな笑みを見せた。

決して人好きのするものではないが、魅せられるような、つまりは貴重な笑みの一つだろう。

俺としては、その奥に何かが隠されている気がしてならないのだが。


崎代の方から僅かな息が漏れるのを聞いた時、作はその笑みを浮かべたまま、俺の腕を掴む。

太陽の光が眩しく熱い、空が青い、海も青い。

作はその全てを飲み込むような笑みで俺と、それからいつの間に掴んだのか、崎代の腕を引いた。

波打ち際、迫った波が引いていくのとほぼ同時だった衝撃に、俺は「は……?」間の抜けた声と共にバランスを崩す。


作がたたらを踏むように後退った為に、そこそこ海水の溜まっている位置に――バシャァンッ――波打つ海に落ちた。

三人揃って、かき氷ごと落ちた。

背中から落ちた作に対して、俺も崎代も顔面から海水に浸かった訳で、勢い良く顔を上げて海水を飛ばす。


「それなら、皆で沈めるよね」


パーカーも海水に浸した作が、尻餅を付いたまま言う。

伊達眼鏡が吹っ飛んだらしい崎代が眼鏡を拾い上げ、あーあ、と呟くのを聞いた。

俺としては、あーあ、で済まされる問題じゃない。


「俺は沈みたくはないなぁ」


笑う作に、呑気な崎代の言葉に、青筋を立てた俺は、やはり「作ッ!!!」夏空に良く通る怒鳴り声を上げる。

視界の隅では海水に溶けたかき氷のシロップが、頼りなさげに揺らめいた。

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