ぼくの可愛いカピバラさん
ひとによっては不快に感じる内容かと思います
ご了承の上お読み下さいませ
丸い顔。丸い目。もちっとした身体。小さな手足。のんびり屋で、マイペース。
ぼくの奥さんは、カピバラに似ている。
「カピバラさん」
「んん?」
付き合っている時にそう呼んだらまんざらでもなさそうだったので、以来たまにそう呼んでいる。
「お散歩、行きませんか?」
読んでいた本から顔をあげた奥さんにそう言えば、ぱちりとまばたいたあとで、ちょっと名残惜しそうな目で手元を見た。
奥さんは今、ぼくとのお散歩より、本の続きに興味があるらしい。
「本、きりが良いところまで読み終わってからで良いですから。トイレットペーパー、終わりそうなんですよね」
「……」
カピバラさんは考えるのもゆっくりだから、ちょっと答えがなかったからって怒ってはいけない。これが彼女のペース。それが心地好くて側にいるんだから、潰すような行為は馬鹿だ。
奥さんが、手元に視線を戻す。
ぼくがしびれを切らす前、あるいは、買い物に行くタイムリミットまでに、どれくらい読めるかを考えている、のだと思う。
「……」
カピバラさんはマイペース。
だから、考える途中で考えることを忘れて、読書に熱中し始めても、それは怒らない方が得策だ。
無言でも、返事がなくても、聞いていなかったわけではないのだ。
ぼくはひとまず彼女とお散歩に行くことは諦めて、パソコンを開くことにした。
ちょんちょん、と、肩をつつかれて顔をあげる。
ちょっとショボショボした目をあげると、ちょっとショボっとした目の奥さんが、ぼくを見ていた。
「ごめん。読み終わった」
これは、読み終わったからお散歩に行けるよ、と言うことだろう。幸いにも、まだ明るい時間帯だ。
パソコンを閉じて、頷いた。
「ん。行きましょうか」
「うん」
彼女がぱたぱたと急いで準備するのを横目に、自分の仕度も調える。
「ん」
差し出した手を、彼女が握ってくれる。小さい手。細いけれど、握力はそれなり。
「買い物袋、持ったんですね」
「牛乳、終わったから」
奥さんは主成分が牛乳なんじゃないかと思うほど、牛乳を飲む。ぼくが奥さんを愛しているのと同じくらいに、奥さんは牛乳を愛しているんじゃないだろうか。豆乳も嫌いじゃないらしいが、やっぱりいちばんは牛乳だそうだ。ココアもコーヒーも紅茶も、牛乳を入れて飲んでいる。
たまに、ちょっと、嫉妬しそうになる。
動き出すと早いのも彼女の特徴で、いつもの歩く速度はだいたいぼくと同じくらい。ただ、今日はお散歩なので、ふたりとも少しのんびり歩く。
道端のいろいろなものに気を取られてよそ見をする奥さんがなにかにぶつかったりしないように、ぼくは周りに気を配る。
ふと、奥さんが足を留めた。
視線を辿れば、鳩がほてほてと歩いていた。
「はと」
「鳩ですね」
しばらく立ち止まって鳩を眺めたあとで、奥さんは後ろ髪を引かれながら歩き出した。牛乳を買うと言うミッションを、思い出したのだろう。
「晩御飯、どうしましょうか」
「なに、食べたい?」
「焼き魚が良いです」
「しゃけ?」
「あなたの好きなお魚で良いですよ」
言えば奥さんは困ったように目を泳がせて、
「……見て決める」
ぽそりと呟いた。
「はい。そうしましょう。美味しそうなお魚が売っていると良いですね」
魚の付け合わせはなんだろうと考えながら、繋いだ手を振る。
奥さんは思い付いたまま行動するひとなので、買い物先で面白いものがあったらそれをそのまま使うこともある。そのせいでとんでもないご飯になったり、冷蔵庫の不良在庫が増えたりすることもあるけれど、なんだかんだ楽しんでいるぼくがいる。不良在庫は、ぼくが処理すれば良い話だし。
「コモドオオトカゲって」
「ん?」
不意に、奥さんがぼくを見上げた。
「食べられる?」
カピバラさんの話は、よく飛ぶ。
それはもう、タイガー・ウッズがフルスイングで飛ばしたゴルフボールみたいに。
本人のなかではちゃんとなにかしらの脈絡があって、転がった上でのことが多いらしいけれど、外から見ていると亜空間からボールが現れたようにしか見えない。
「どうでしょうねぇ」
最初は驚いたけれど、慣れてしまえばどうと言うことでもない。
携帯端末に指を走らせて、コモドオオトカゲについて検索する。
「うーん……食べられるのかはわかりませんが、保護されている動物なので、食べられるとしても食べてはいけないでしょうね」
「そうなんだ」
ふんふんと頷いて、奥さんは前に視線を戻した。
「蜥蜴はわからないですけど、蛇は食べられる施設があったと思いますよ。食べに行ってみますか?」
「うん」
おっとりしているようで動き出すと驚くほどフットワークの軽い奥さんだ。
「では、次の連休にでも。行き方や詳細を調べておきますね」
そう言えば、嬉しそうに微笑んで頷いた。家でのんびりするのも好きだけれど、遠出することも嫌いではない。そう言うところはお互い、相性が良いと言えるだろう。
それから、猫に出会って立ち止まったりしつつも辿り着いたスーパー。
鮮魚コーナーで眉を寄せる奥さんに、声を掛ける。
「ぐるっと回って来ますね。牛乳はいつもので良いですか」
「うん。ありがとう」
カピバラさんは熟考型。なにかを決めるにもひとの倍以上に時間が掛かるから、のんびり考えさせてあげる時間を作るのが優しさだ。
気持ちゆっくりとスーパーを回って、買い物を楽しむ。
トイレットペーパーと牛乳だけのつもりが色々増えるのは、ご愛敬だ。
奥さんの好物のひとつである、生のプルーンが並んでいたことに気を良くして戻ると、ちょうど奥さんがお魚に手を伸ばしたところだった。ジャストタイミングだ。
「決まりましたか?」
「うん」
奥さんが選び抜いた今日のメインディッシュをぼくの持つカゴに入れようとして、プルーンを見付けて顔を輝かせた。
「プルーン!」
「ええ。美味しそうだったのでつい」
幸せそうに笑う奥さんに、ぼくも嬉しくなる。そして、今日のメインはゴマサバのようだ。
脂っこいものが得意でない奥さんは、油の乗らない時期のサバを好む。
「ほかになにか、買っておきたいものはありますか?」
問い掛ければ、買い物カゴを覗き込んだ奥さんが、ふるふると首を横に振り……かけて止まった。
「なにか買い忘れですか?」
「ごま」
「あ、切れていましたね」
奥さん愛用のすりごまを昨日ぼくが使いきってしまっていたのを思い出して、頷く。
ごまはぼくの好物で、奥さんはなにかにつけて料理に添えてくれる。
ふたり並んで、ごまの棚に向かう途中、あら、と言う声。びくりと、奥さんの肩が震えた。
「坂入さん」
坂入は奥さんの旧姓だ。周知が面倒と言う理由で、奥さんは職場で旧姓のまま通している。
「小堀さん、こんにちは」
他人にはバレない程度だけれど、ぼくから見れば明らかに怯んだ様子で、奥さんが話し掛けて来た女性―小堀さんと言うらしい―に挨拶をした。
女性が歩み寄って来て、ぼくと奥さんを見比べる。
「坂入さんもこの辺なのね。そちらは、旦那さま?坂入さん、あまり自分のことを話さないから、結婚していたなんて初めて知った」
ああ、苦手だろうなと、納得する。
こうやって矢継ぎ早に話されると、奥さんは会話について行けない。
奥さんは、音のひとではなく、文字のひと。それも、手書き文字の速度のひとだ。ひとつひとつの言葉をゆっくり吟味して発するから、テンポの速い会話だと言葉が渋滞して出て来なくなってしまう。そうでなくても、自分の思考に言葉の選択が追い付かず、言葉を出せないときがあるくらいなのだ。
「妻の、職場の方ですか?」
固くなった背をそっと撫でて、小堀さんとやらに話し掛ける。
ハキハキとした話し方をする、綺麗系の女性だ。
「ええ」
お世話になっている、とも、仲良くしている、とも言わず、小堀さんとやらは頷く。
なんだか高飛車な印象を与えるひとだ。ぼくは奥さんの圧倒的味方なので、好きになれないなと思ってしまう。
「それは、妻がお世話になっております」
「いえ。でも驚きました。彼女、あまり周りと雑談したりしないから、旦那さまがいたなんて知らなくて」
指輪が苦手な奥さんは、結婚指輪を鎖に掛けてネックレスにしている。
さすがに直属の上司・部下には伝わっているにしろ、それ以外は奥さんなりその上司・部下なりが言い触らさなければ、結婚の事実は伝わらないだろう。まだ、子供もいないし。
「妻は自分のことを話すことが苦手なので、申し訳ありません」
だが恐らく、この女性に伝わればたちまちに奥さんの結婚は触れ回られるのだろう。
べつに隠していたわけでもないのでどうと言うことでもないが、奥さんが趣味の悪い詮索にさらされるのは嫌だ。
「……大人し過ぎる奥さまも大変ですね。それとも、そこがお好きなのかしら?」
「、」
あんまりな言い様にカチンと来て言い返そうとしたぼくの袖が、くいと引かれる。
「アイス、溶けちゃう」
奥さんが、お財布と小物ポーチくらいしか入っていないであろう買い物袋を示して、言った。
小堀さんとやらに申し訳なさそうな笑みを向けて、口を開く。
「済みません、お買い物の途中ですのでこの辺で」
「……ええ。忙しいのに失礼したわ。また会社で」
小堀さんが頷いて立ち去る。
「……他チームのひとだから」
だから大丈夫だと、奥さんは言いたいのだろう。ぼくの袖を引いて、ごまの棚に向かう。
「すりごま、いっぱい買っておこうね」
下がった眉尻のまま、ふに、と笑うカピバラさんが、愛しくてたまらなかった。
カピバラさんは泰然自若に見えても草食動物で、そののんびりとした見た目の裏に臆病で怖がりな心を隠し持っている。だから、ひととの関わりも避けがちで、善意ですら、外に出すのを躊躇ってしまうほどで。
そんなカピバラさんが嘘を吐いてまでひとの行動を妨げるのにはどれだけ勇気が要ったか。
そして、そこまでして動いたのは、誰のためか。
苛っとした気持ちなど吹き飛んでしまって、袖を掴む奥さんの手を外させる。
本当は抱き締めたかったけれど、今は手を繋ぐだけで我慢した。
「たくさん買いましょうね」
微笑んで返せばほっとした様子で、こくり、と頷きを返された。
臆病なこの子は鈍感でマイペースなところもあるけれど、呆れるほどに優しい。それに何度、救われたかわからない。
奥さんが周りから、とろい、はっきりしない、協調性がないと、悪し様に言われることもあるのを、知っている。ぼくが嫌みのように大変ねなんて言われたことも、さっきの一度だけではない。けれど、大変なんて、感じたことはないのだ。
だって。
「ごっまづくし~」
カゴにごまを入れる奥さんが、無意識にか小さく口ずさむ。
ゴマサバにすりごま。奥さんは今日の食卓を、ごまで埋める気なのかもしれない。
のんびりと流れる空気に、ほうと息を吐いた。
「ごまごまご~」
浮かれても、落ち込んでも、楽しくても、悲しくても、嬉しくても、奥さんはこうして微笑んで歌う。
彼女が、ゆっくりなんじゃない。
周りが、速過ぎるんだ。
ぼくにはこの速度が心地好いのだから、大変なんて思うはずもない。
レジの店員さんに相変わらず仲良しねぇと笑われながらお会計を済ませ、暮れ時が近付いた空の下を、のんびり歩く。アイスは買っていないので、ゆっくりで構わない。
「カピバラさん」
ふんふんと歌いながら歩く奥さんを呼べば、なあに?と言う目で振り仰がれる。
「ぼくは、不幸なんです」
唐突な言葉に奥さんは、きょとんとしたあとで、しょぼんと眉を下げた。
意味を誤解したであろう奥さんに、繰り返す。
自己評価の低い奥さんに、伝わるように。
「あなたがいないとぼくは、とても、不幸なんです」
「…………?」
しょんぼりしていた奥さんが、あれ?と言う顔になった。
「あなたがもしいなければ、ぼくは生きるのが楽しいなんて思えなかったでしょう。あなたといるから、世界は輝かしく、素晴らしい」
「……れいちゃん?」
「ぼくの幸せは、あなたと共にあるんです。譲月さん」
客観的にぼくらを見る多くのひとが、奥さんが僕に依存していると思うらしい。でも、親しい友人には嗜められる。あまり、奥さんに依存するなと。
ふたりとも、完全に足が止まっていた。
「いきなり、どうしたの?」
「なんだか伝えたくなって。あなたに出会えて良かったです」
「大袈裟」
奥さんは困ったように笑って言うが、少しも大袈裟ではない。
奥さんがいない世界のぼくは、きっと活きられないから。
今日みたいな場面を見るたびに思う。譲月さんの人生は、決して楽ではなかっただろうと。
彼女の速度は決して、現代社会で褒められるものではない。個性と取るか怠惰と取るか。引っ込み思案と取るか無愛想と取るか。受け止め方で、いかようにも悪く取れてしまうのは、いくら痘痕も靨のぼくにでもわかる。
彼女は優しく、彼女の周りの世界も優しかったから、譲月さんはカピバラさんのままぼくの隣にいて、奥さんになってくれたのだ。そんな彼女を守ってくれた彼女の周りのひとびとと彼女自身には、感謝してもしきれない。
奥さんの手を引いて歩き出しながら、どうすれば感謝を伝えられるだろうと考える。そんなぼくを、奥さんが呼んだ。
「れいちゃん」
「はい」
見下ろせば、困ったように、目を泳がせたあと、
「わたしは、幸せです」
視線を落として小さな声で呟いた。
返事はせず、続く言葉を待つ。
「れいちゃんに、大切にして貰って、幸せ」
ぽつ、ぽつ、と、ゆっくり、言葉が落とされる。
「だから、ね」
顔を上げたカピバラさんの目は、にじんだ涙できらきらしていた。
必死に言葉を紡いでいるとき、奥さんは涙まで溢れさせそうになってしまうことがある。
「わたしも、れいちゃんと、出会えて、良かったです」
ぱっと、捕食者から逃げるような俊敏さでうつむくと、奥さんは早口に付け加えた。
「きっと、れいちゃんに出会えなかったらわたし、ひとりぼっちだったし、わたしみたいな愚図に、呆れずずっと付き合ってくれるの、れいちゃんくらい、」
ぱしん、と、止まらない口を塞ぐ。驚いた顔で、奥さんが足を止める。
奥さんはひとより劣っていると、自分を評価している。
欠点ばかりの、嫌われものだと。
「……あなたのとこの部長、結婚前に挨拶に来てくれたじゃないですか」
「……」
口を塞がれて喋れない奥さんが、黙って頷く。
「そのときに言われたんですよね」
「?」
「坂入さんはうちの部署に必要な子なので、寿退社は勘弁して下さいって」
奥さんがぱちくりと、目をまたたく。
「譲月さんのお仕事、お客さまからの評価が高いんですって。指名で発注して来るお客さまもいるから、なんとしても手放したくないって」
「そ、むぐ」
「譲月さんはね」
否定の言葉を遮って、艶々とした瞳を覗き込む。
「愚図なんじゃなくて、丁寧なんですよ」
仕事が正確で的確なのだと、奥さんの上司は語っていた。客先の意向もきちんと読み取れるので、やり直しも少ないと。
「それがわかっているひとは、あなたを評価してくれるでしょう。だから、会社にあなたの席があるんでしょう。ぼくがいなくてもあなたは、ひとりぼっちになったりしません」
心底困った顔をする奥さんに、どう言えば信じて貰えるのだろう。
自己評価の低い奥さんは、褒め言葉を受け入れられない。持て余して、苦しくなってしまうのだ。
ぼくはそれが、少し悔しい。
確かに処理速度は遅いのだろう。コミュニケーションは苦手だろう。けれど、遅いからと切って捨てられないものがあるから、奥さんは所属チームで必要とされているのだろう。
嫌うひとも、疎むひともいる。けれど、決してそれだけではないのだ。
だから、ぼくは奥さんを結婚と言う形で縛ったし、奥さんがぼくから離れてしまわないよう、必死に繋ぎ止め続けようとしている。
そんなぼくの嫉妬や焦燥を、奥さんは理解出来ない。
譲月さんは素晴らしいんだと世界中に言い触らしてしまいたいくらい譲月さんは素晴らしいと思っているけれど、だからこそ、誰にも教えず隠してしまいたい。
奥さんの上司はそれを理解していて、ぼくに釘を挿したのだろう。
「でも」
彼女を支えてくれている上司や仕事仲間には、感謝している。でも、やっぱり隠しておきたい気持ちや、仕事中の彼女を占有していることへの嫉妬も強くて、今は繋げている手をぎゅうっと握る。
「あなたがひとりぼっちになってくれたら、ぼくがひとりじめ出来るので、それはそれで嬉しいですね」
ねぇカピバラさん。
奥さんは涙できらきらした目でぼくを見上げて、首を傾げた。
「あなたが僕のカピバラさんで、檻に入れて捕まえておけたら良いのに」
カピバラさんは目を見開いた後で、視線を戻して歩き出した。
「あのね。それでも、わたし、幸せだと思う」
優しい奥さんは、そんなぼくを認める言葉をくれた。
「きっと幸せで、幸せで、不幸なんて一個もない」
穏やかに語られる声が、ぼくの耳を、心を、満たして行く。
「でも」
そんな満たされた心を傷付けないようにそっと、奥さんは否定を口にした。
「わたし、馬鹿だから、幸せしかなかったら、鈍くなっちゃう。甘いだけじゃ、甘みがわからなくなる、みたいに」
大丈夫だよと囁くみたいに、奥さんの手がぼくの手を握り返す。
「スイカに、塩かけたらいっそう甘く感じるみたく、不幸があるから、幸せがいっそう嬉しく感じる。苦しいことがあるから、知ってるから、れいちゃんの隣がいっそう大事」
違う?と訊かれて、そうですねと答えた。奥さんが、微笑んで頷く。
「だから」
ずるっこの奥さんが、甘えるみたいにぼくの腕に頬を擦り寄せた。
「もうちょっと、お塩、振らせて」
独特の例えで話すのは、ぼくがそれで理解出来ると言う信頼から。
甘えるのは、甘えても突き放されないと信じているから。
「……」
黙ったぼくを、カピバラさんのまぁるい目が見上げる。
言葉を出せないぼくと、ぼくが言葉を見付けるのを待つカピバラさん。普段とは、逆の立場だ。
「あなたはずるい」
「うん」
惚れた弱みで断れないのを知っていて、言葉を待つのだから。
「嫌い?」
「大好きです」
喰い気味に答えれば、驚いたように目を丸くした後で笑われた。
「わたしも」
やっぱりずるっこの奥さんが、そうやって飴を投げたあとで鞭を出す。
「だから、大丈夫。ね?」
やっぱり、回転が早くないだけで働かないわけじゃない。
改めて痛感したあとで、ぼくは大人しく観念した。
「今は、良いですよ」
「ありがとう」
頷くと、なにごともなかったように、カピバラさんは鼻唄を再開した。
優しくて、臆病で、でも、のんびり屋で、マイペース。
そこにいて、生きているだけで、誰かを救ってしまう。
ぼくの譲月さんは、カピバラに似ている。
拙いお話をお読み頂きありがとうございます
こんなひとも居るのだと、知って欲しかった
お目汚し失礼致しました