07 もっと赤く赤く 2
私は気がつくと、人通りの多い交差点にいた。
信号は赤、赤、赤、どれも赤かった。
何かを持っている右手に、軽いという妙な違和感を感じて見てみると、それは諸刃ののこぎりだった。
そのとき視界に入った私の服の、白い袖なしのシャツで、黒いズボンにも不思議さ、不自然さを感じて、ここはどこだろうと周囲を見渡した。
そのとき、スーツを着たキリッとした男性がこちらを見ていることに気がついた。
こんな人の往来する街中で、丸裸ののこぎりを持っていれば奇妙に思われる。
そう感じた人は他にもいたようで何人かの視線が私に集まる。
そうして、周囲の状況を理解した私は衝動的に、反射的に右手ののこぎりを振り上げた。
それは体に染み込んだ、魂に染み込んだ、最適な行為である。
キリッとした男性が驚いた顔に、私の口元が歪んで、だから、私は彼に向かってのこぎりを振り下ろした。
ほんの少しの時間がとても引き伸ばされているように感じる。
彼を切り裂いていくのこぎりがつっかえるような手応え
彼の血がゆっくりとふきだし、私の顔に、服に、露出した肌にピタピタと付着する感覚が非常にきめ細かく、それらの感覚が場違いなものではないかと疑った。
私はなにか重大な勘違いをしているのではないだろうか?
血の一滴一滴が、重力にひかれて顔をつたっていく。
服に染み込む赤い血がみょうにベタついて温かい。
「あーーーーー!」
男性の叫びは私が浸っていた何かを霧散させ、周囲は悲鳴と混乱が伝播していく。
その何かを私は躊躇せずにおいもとめた。
動けずに声もださずにこちらを見ていた人にのこぎりを下から上へと切り上げる。
深々とえぐった傷から、手に血がしたたる。
したたる?
何かおかしい。
溢れ出る欲求が、そんな疑問を圧倒し、突き動かした。1人、また1人、そうして、少しして私は立ち止まる。
手についた血をなんとなしに舐めてみる。
充満していた血の匂い、その味を感じて、疑問はますます膨れ上がった。
私、こんな世界、知らない。
気がつくと、3D空間上にスクリーンが表示されていた。見たことがあるようなニュース番組の緊急速報だ。
交差点で白シャツの女性がのこぎりを振り回して暴れているので避難しろと呼びかけている。
あれ?
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それは私のちょっとした好奇心だった。
お気に入りのゲームの最新作、その開発版が有料とはいえ公開された。
それは、とてもデータ量が多く、私は私生活に支障をきたすくらいに頭がいっぱいになりながら待つことになった。
医療系の最新シミュレーションエンジンを搭載したことによって、劇的にリアリティをましたという
仮想世界で殺人鬼になって暴れるゲームである。
残念なことに、遊ぼうとしたところで、旧作のデータを引き継げないので、白いワンピースやアバターの容姿やなにより重要な電動ノコギリで遊ぶことはできないと知った。
それならばいっそ、もっといつもと違うことをしてみようと好奇心で私は1つのことを試してしまったのである。
ゲーム開始を告げるカウント0の直後に、私は、仮想世界にいる、ゲーム中である、という記憶を消したのだ。
どうせ失敗するだろうと思っていた。
何もせずに、ぼーっと帰ってきてしまうのだろうと考えていた。
仮想世界だと気づいても、ゲームの目的がわからない。
でも、そうならなかった。
私は今、現実のベットの上で仰向けになって、混沌とした衝撃、感動、恐怖、後悔、喜びで涙を流していた。
今まで以上の臨場感は、旧作のつたなさを熟知しているがゆえに驚嘆した。
それと同時に、そんな現実とも区別のつかない状況下で、やってしまったことを恐ろしいとも感じている。
不思議と罪悪感はない。
もし、現実でぼーっとして我に返ったとき、白い服を着て、凶器として使えるものを持っていたら、私は殺人鬼になってしまうのではないだろうか。
白い服は全て捨てよう。
凶器になりそうなものはあるだろうか。鞄は大丈夫だと思う。
傘は、刃物ではない……と思う。
考えるだけで恐ろしい。現実で殺人鬼になってしまうかもしれないということが。
もうこのゲームはやらないほうがいいのだろうか。
それとも、もう手遅れなのだろうか。
でも、私はこのゲームが実感させてくれる感覚を手放したくない。
どうしよう。
どうしたらいいだろう。
そうか、そうだった。
今日のことは、忘れたらいいじゃないか。