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メモリーリーク ~記憶の封印と仮想世界~  作者: 物ノ草 八幻
第二部
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05 赤と肉

これは手に入れてしまってよかったのだろうか。私はほんの少し悩みつつ、罪悪感もありつつも、興奮がそれを圧倒した。


仮想空間の一室で、血白あかねは、白い丈の長いシャツにナイフを持って、拘束した少年を目の前にもだえていた。


ここは仮想空間である。だから、この状況にも、これから行うことにも、何ら違法性はないのである。


ゲームで登場する敵キャラクターを、剣で切り裂くことに、一体何の文句が付けられるだろう?


少年は拘束され、目隠しされ、口も塞がれていた。きっと状況はわからないが、耳はふさいでいない。声はきっと届くだろう。


とするなら、私はいったい彼にどう言葉をかけたらいいだろう。


今、私は無限の可能性を手にしたのである。


少し気になった噂が本当にあった。


いつも相手をしている痛がり好きの彼女にお願いをして、その噂を調べてもらい、そしてついに手に入れてしまった。


私は興奮が抑えられず、持っていたナイフを彼の脇腹に突き立てた。


少年は拘束を逃れようともがき、苦しそうに呻く。あぁ、あぁ、温かい血の滴りがなんとも言えない匂いで、興奮はますばかりだ。


これだけで私はもう十二分の幸せを感じていた。


たった一回、彼にナイフを刺したというだけなのに、これからのことを思うと、そして、この反応を思うと。


現実の肉体を持った誰かが傷ついているわけではない。殺戮鬼のゲームと同じで、仮想の肉体をもった誰かが傷ついているにすぎない。そう、だから、許される?


許されるかどうかは、もはやどうでも良いのかもしれない。


だって、それが楽しいのだから。嬉しいのだから。


ただのNPCをいたぶって楽しんでいる危ない人と思われても、個人の趣味でしょ、というていどではないか、本来は。そう、本来は。


でも、NPCはただのNPCではないのだ。


だからこそ、反応はよりリアルであり、そして、積み重ねることもできる。


そう、彼はバーチャルベイビィの成れの果て、途中で売られた少年、ということにされている、が……実は現実の少年のコピー脳をもったコピーなのだそうだ。


バーチャルベイビィの成れの果てという皮を被って、本物が売られている。


そして、手に入れてしまった。


コピー脳であるがゆえに、ちゃんと記憶は蓄積できるし、記憶の消去もでき、記録をとっておけば最初の状態にも戻せる。とても便利だ。


コピー脳というものが本当にありうるのか、それは半信半疑であったが、コピー元の調査も行い、振る舞いなどから相違なさそうだと言うことも確認している。


世の中は、悪い人ばかりなのかもしれない。


誰かの脳を、いつの間にかコピーして、売りさばいている人がいるのだ。なんと危うい時代だろう。


まだ、コピー脳は公にされていない技術であるが、むしろ公にできない技術と言っていいだろう。


誰だって、一方的に他者の尊厳を踏みにじるのは楽しいじゃないか。


「キャッハハハ」


つい、笑い声が漏れてしまい、少年がビクついた。


あぁ、悪いお姉さんだと思われただろう。


でも、もう我慢の限界だった、だから精一杯笑った。楽しい。嬉しい。こんなに幸せなことは果たしてあるだろうか。


「私ね、わりと君のような子のこと、好きだったりするの」


#


現実のランチ、血白あかねはブラウンと黒の服で、ある男性と会っていた。


堅苦しくもラフともいえない塩梅の黒を主体としつつも、すこし白いシャツがのぞいている短髪の彼は仕事上の知り合いで少し歳上である。


これで何度目のランチに誘われたのだろう。


「ここのステーキ美味しいでしょ、脂身もすくなくって女性ウケが良いらしいんだ」


「はい、とても食べやすいです」


と受け答えしたものの、私の手は微妙に震えていた。ナイフを持っている。ステーキ、だからナイフとフォークを持っている。


それは、簡単に人を傷つけて、血を……あぁ、危ない、危ないものなのだ。


「なんだか最近、いいことでもあったんですか?」


「えぇ、仕事も順調ですし」


それはそうだ、いいことはあった。もう、あのコピー脳の少年をいたぶるのが楽しくってしょうがない、なんて話には絶対にできない。


表では、わりと大人しそうで、真面目で、おしとやかな風を装っているのである。


裏を見せるのは仮想世界の、痛がり好きの彼女くらいだ。


「そうかな、特別なことが会ったように感じるんだけど……僕の予想は外れているかい?」


目線を宙に回しながら……私は答える。


「どうしてそう思われるんですか?」


「周りの人に対して丸くなったと言うか……余裕、優しさがあるようになったというか、素敵になったように感じるんだ。

 前は、どこか近寄って欲しくなさそうな、そんな雰囲気をまとってたよ」


これは困ったが、少し気になる表現があったので、つい食いついてしまった。


「私、近寄って欲しくなさそうな感じ……あったんですか?」


「誰しもそういうところはあるけれど、君は物理的にも余計に距離をとっていたかな。とはいえ、今の君が素敵なのは事実さ」


「はいはい、いいことがあったんでしょうねー」


「なぜ隠す?」


「プライベートなことなので」


頼むからこれ以上は、踏み込まないでほしい。でないと、ナイフとフォークの連撃で、彼をみじん切りにしてしまいかねない。


はぁ、現実と折り合いをつけるのは難しいなぁ。


#


塔道とうどう 地竜ちりゅう、私は肉が好きだ。


秘密を教えてくれない、血白あかねとのランチも、なかなかに楽しかった。


よくよく見ていれば彼女の手が震えていた。何故だろう?


たぶん、私を怖がっているわけではない。以前の食事ではここまであからさまでなかったのだ。


なんというか、あふれんばかりの何かを私は感じているのだ。


男女問わず、食事に誘うのだが、彼女は距離のとり方が特別だ。


いつも暗めの服を着ていて、それはランチでも変わらない。彼女が明るい服を、白い服を着ていたことがあっただろうか。


昔は来ていたように思う。いつの頃からか、全く見なくなった。


でも、喪に付しているような雰囲気でもない、むしろ心に余裕が生まれているように感じて、いつも不思議に思っていた。


そしてやはり思う。彼女は肉を本当にきれいにさばく。


ちょっとした脂身だろうと、お店のナイフがすこし鈍かろうと、彼女はいつもお肉をきれいに食べる。


もしかすると、彼女もお肉が好きなのだろうか。

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