03 風の華
仮想世界のファンタジックでにぎやかな酒場のカウンターで俺は浮いたスクリーンを見ていた。
写される録画映像には、1人の獣人の少女が怒涛の勢いでゲームのダンジョンを攻略していく。
1.5mほどの身長の少女は、魔物あふれる茶褐色の世界、レンガ造りの洞くつを駆け抜けていく。
俺は、炭酸のはじける感触、口の中に広がるアルコール特有のカッとする感触を認識させるビールを飲みながら、その映像を見ていた。
「ソロでは単独で他のついずいを許さないスコアもそうだが、なによりこの疾風怒濤のスタイルがいいよな、バーミン」
「まったくだ。今回のイベントは、熟練向けでかなりハードだったから更にな」
俺はバーミンという名前で通っている。話しかけてきた、酒場のマスターという設定の体格の良い中年キャラは、ここの仮想世界の管理人だ。
スクリーンに映されたゲームは、魂の牢獄というタイトルで、ふだんは自動生成される洞くつを仮想世界の身体で踏破ないし、経験値かせぎや、アイテム探索をするというゲームである。
それは一見すると古めかしい。
その特徴は、ゲーム内でAIや表示されるUIのカスタマイズ・自作が可能であること、そしてなにより、イベント期間中の記憶が封印されるという点である。
カスタムできるAIのサポートは自在で、仮想アバターが認識したものは全て利用でき、仮想アバターがなしえることは全てそのアバターをとおして実現できる。
例えば、ある街に行きたいと音声で宣言したら、あとは勝手に歩く、なんてこともできる。
攻撃やジャンプ、複雑なアクションもAIでサポートでき、それを自作できることで、プレーヤーだけではなく、AIサポーターも楽しめ、ライトなプレーヤーもそのサポート機能により手軽に楽しめる。
そして、AIと人の力を融合させた最先端にいるのがトップランカー達である。
ほとんどはパーティやギルドを組んで活動するが、映像に移されている少女は例外でソロでの活動が中心だ。
ソロ以外の活動もここ最近はふえてきたが、それでも彼女の真の戦場は1人で戦うことのようだ。
イベント期間、大きなイベントは半年ごと、小規模なイベントは2週間おきに行われる、新しい機能の実装や特殊なダンジョンでの冒険ができる期間である。
魂の牢獄で特徴的なのは、記憶を封印して挑戦するハードイベントだ。これこそが、このゲームをゲームではない現実たらしめているといえる。
イベント専用に構築されるダンジョンは自動生成ではない固定のもの。
イベント期間終了まで、挑戦した記憶は封印される。
これは、イベント期間の攻略情報を他人、そして自分自身ですら共有できない、というものだ。
記憶操作、とくに忘却技術の発展が生み出したゲームは、コンピューターゲームで定番となっていた攻略スタイルを封じたのである。
今見ている獣人少女はRTA、まるで既知の状況かのように柔軟にそして勢いよく対処しているが、そんなことは本来できるはずがないのである。
イベント期間中の記憶は封印されるため、その期間に何度挑戦しても、初見殺しで死ぬなら、死んでしまうのだ。
何度も挑戦しても、記憶は引き継げない、だから、本当の判断力、行動力、力、いや、冒険者としての力が試される。
そして、自動生成ではなくみんなが同じ戦場を遊んでいるからこそ、その実力は誰でも比較でき、それゆえに面白いのである。
イベント終了後は、それぞれの挑戦したリプレイが再生できるようになり、公開もできる。
このリプレイを公開し、共有し、失敗や成功を楽しむことがこのゲームの醍醐味だ。
気が付けば、獣人の少女は、ダンジョンの奥底で、巨大なタコのような化け物と戦っていた。
浸水した地面は硬い足場が少なく戦いにくいはずでありながら、タコの体を的確に使って少女はたてつづけに切り裂いていく。
弓、短剣、鞭、槍、と間合いに応じた手際のよい武器の切り替えと攻撃からの連撃は神がかっていた。
「また見てたんだ」
「マスターが流してるんだよ」
いつのまにか隣にフードを被った、獣人少女がいた。これでも人目を気にしているらしい。
「またフードをかぶって、いっそアバターも変えたらいいんじゃないか」
「それは、なんか、違う気がするの」
フードの獣人少女こそ、映像で活躍していた本人である。
「みんなで、再挑戦会だね」
「あぁ、行くぞ。お祭りだ」
このゲームの楽しみの1つ、それは終わったイベント専用のダンジョンが一時的に公開され、再挑戦できることだ。
この挑戦ではアイテムや経験値などの獲得はできないが、俺たちが欲しているものは、そういうものではない。
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私の本名は風恋ちはり、このファンタジックな世界ではひらがなで『ちゃりおっと』と名前が表示されている。
皆からはチャリーとか、怒涛とか、神風とか好きに呼ばれている。
パーティープレイで人が増えるが、イベントダンジョンは途中復帰できないので、離脱者がでないような気配りが大変だ。
誰もがベテランというわけでもなく、このメンバーは居心地のいいゲームを楽しむ人達であるため、技術面では危なっかしい人もいる。
何より難しいのは適度にフォローすることだ。
すべて手助けしてしまえば、なんのためにゲームをしているのかわからない。成果がないし、手ごたえも得られない。
だから、ギリギリを狙って助けることになるのだが、これが難しい。
ときには失敗したほうが良かったりもする。
とはいえ、1人でクリアーするよりは、ベテランも複数いるので、手軽にはなっているはずだ。
「やべー、スライムが増えた!」
「いてぇ!床から槍が!!!」
こういった悲鳴も、なんというか楽しいものだ。失敗を楽しむ、それも大切だと思う。
現実ではないからこそ、いや、現実であってもそうなのかもしれない。
混沌としたお祭りの雰囲気を楽しみながら、1人ダンジョンを駆け出しはじめた。自分も、楽しまなければ。
「チャリーがつっこんだぞ!」
「くっそぉ、追うぞ!追って、生で見るんだ!おぉぉぉ!」
「バカ野郎!そこには罠があるんだよ!」
「わたしも行く!今日こそはこの目で見届けゃぁあああーーぶ、うごふ」
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魂の牢獄での祭りを終えた私は、現実のアパートのベットの上で目を覚ました。
1人暮らしには広い、アパートに、私ともう1人、そのもう1人のロボットがこちらをのぞいている。
灰色の光沢のない表面、あからさまなロボットといわんばかりのツルッっとした形状、それでいて駆動系は静かな彼女、ロニはタオルと運動用の服を持ってきてくれていた。
「これからジョギング行くんでしょ?」
「うん」
そうして私は家を出て街を駆けだした。
私は現実では運動はまったくしない人間だった。ただ、そう、あの一連の実験で、私は現実で何かをみいだしたくなった。
それは贖罪かもしれない。私はたくさんの私のコピーを殺してきた。
デジタル脳とはいえ、それらはまぎれもなく私であり、その電源が、処理が切られ、消滅することを理解していながら、私は実験をつづけた。
そうして消えた皆の記憶も、私の記憶に統合され、そうして私は大きな力を仮想空間上でさらに得ることになった。
医療技術を発展させるがために、コンピューターに無数の失敗をしてもいい仮想空間を与えんがために作られた医療系シミュレーターは思わぬ使い道を見出された。
それは、おおよそ人の脳を、脳として動かせる、というもので、それはつまりデジタル脳の誕生だった。
まだ、その研究は秘匿されている。
そして、その成果の一つであり、どうあり続けるのかこそまた実験であるのがロニであり、現存する唯一の私のデジタル脳コピーのロボットだ。
そんなロニにとって、私は非常に妬ましい存在でもある。
人間の体を、オリジナルの身体を持つ、それがなにより羨ましいのだ。
どんなに恋焦がれても、自身の体ではなくなってしまった身体が、元は同じとはいえ違う存在がその身体を動かしているという事実に彼女は絶望していた。
いや、根本的には違うのかもしれない。彼女は、中途半端なのである。
機械にもなりきれず、人間でもない、中途半端な人の心を宿した機械として、彼女は孤独だった。仲間がいない。
それでも、ロニは幸運なことに、自身に価値を見出しつつある。
だから、私も、現実でなにかできないか、肉体があるからこそできることを、しなければならないのではないか、
そう思って、手始めにやったのが運動だった。
本当はもっとこう、ロマンチックな、恋愛?とか、そういうのにも憧れたりはするのだが、なんというか、何から手を付けて良いのかよくわからず、手を付けやすそうなものを選んだら、ジョギングだった、というわけである。
夕暮れの空は赤と青の調和がきれいで、風は心地よく、人工的に植えられた木々が小さくゆれていた。




