33 永続する意識
研究室の一室、座り心地のよい高価なイスに身を任せながら、私は研究の日報に目をやる。
仮想現実として、投影されるスクリーン6枚に、それぞれの報告、資料をうつし、その内容に満足を得る。
私はもう70歳をこえ、体の多くを機械に代替えして生きている。
目、顔、腕、足、心臓、多くの肉体を機械にしており、カートリッジ式で取り換えられる点滴が栄養源だ。
ものを食べなくとも生きてゆけるのである。
そんな姿からもわかるように、私には生への執着は人一倍強い。
だからこそ、ここまで研究してきたし、これからがまさに正念場なのである。
報告では良い知らせが書いてあった。
人間の脳をコピーし再現したロボットが、人間のように悩んで人生を過ごしていることが書かれている。
素晴らしい成果だ。
本当に、そのロボットに人間同様の意識、魂があるかは推測のいきをでないが、観測できる範囲では十分な成果である。
コピーし再現した脳と、元の人間への脳の統合もできていることから、再現した脳にも意識はあるのだと考えられる。
つまり、脳を電子的に再現することはできる、のである。
このまま次の段階を目指したいところだ。
私は死を憎む。なぜ、ここまで生きて、技術を学び、地位をつかみ、たどり着いたというのに死なねばならないのか。
どうして、生命は死ぬようにできているのか、とても腹立たしく思う。
老い、腐敗し、衰え、寿命で死ぬということが本当に嫌いである。
死は、私の敵である。
だから、私は目や顔などを、機械に入れ替えてきたように、脳も、また機械に入れ替えたいのである。
そうして、パーツのメンテナンス、交換すれば、永遠と生きられるようになりたい。
老いて、衰えることもなく、現役の研究者として生きつづけたい。
しかしロボットへのコピー脳の実験では、意識が新たに生まれた、と解釈できる。
これは、そういう実験だったし、それでよいのだ。
だが、私が望むのは、今の私の意識が連続していながらに、生物的な脳から機械的な脳へ切り替えたいのだ。
今の私の意識、魂と連続性を持った意識のまま、機械の脳に切り替えたいのだ。
ただ、コピーの脳をつくっただけでは、連続性があるとは言えない。
なにせ、生物的な脳と、コピーの脳の二つが存在できるのだから、バトンタッチなのである。
私はそうはしたくないのだ。
今の私の意識を、魂を、永遠に生きさせ続けたいのである。
もう1つの報告書では、その試行錯誤が書かれている。
生物的な脳と、機械的な脳を接続したまま、すごし、ひとまず期間を置く。
そうして、しだいに機械的な脳だけで、すべての処理ができるようになれば、移行できるのではないか、といった試みだ。
だが、なかなかうまくいっていないようだ。
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昔からRAIDと呼ばれる、データを複数の媒体で、分散して保存するという技術がある。
A、B、C、Dと、4つの記憶媒体があったとしよう。
AとBには同じ記憶を、CとDには同じ記憶を保持し、そうしてAからDで1つの記憶媒体のように振る舞う、といったことができる。
4つあるのに2つ分の記憶しかできないので非効率であるが、AからDの記憶媒体の1つが破損しても正常に稼働し続けられるのだ。
Cが破損しても、Dによりシステムは稼働し続けることができる。
Dだけで稼働している間に、Cを正常な記憶媒体に取り換えてしまえばよい。
他にも、RAIDには、記録や読み取りの高速化といった側面もある。
ただ、今回の件で重要なのは、複数の装置をつかって1つとして見立てる、という点なのである。
そう、コピーにより再現したデジタル脳と、人体のオリジナルの脳をRAIDの例のように見立てられないだろうか。
その見立てた状態へ切り替えることも課題となる。
そうして、意識をスライドさせることができれば、私は永遠にスライドさせ続け、生き続けることができるのではないだろうか。
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私は死ぬことが嫌いだ。すべてを失うのだ。
今まで築き上げてきたものを、手放すなど、なんと恐ろしい。
腐敗し、屍になることを私は認めない。そんな姿を誰にさらせよう。
私は、誰かの思い出になればよいなどと思わない。
その思い出をいだく人がいなくなったら結局はどうなる。
墓など生きた証にはならぬ。
残ったとして50年が関の山だ。
歴史ですら人類が存続する範囲でしか残らぬ。
これまでの積み重ねを否定されているようで、滅びは本当に憎らしい。
意志が誰かに引き継がれるなどというのは幻想だ。
言葉も時代とともにゆがむように、引き継がれるものは歪む。文化も歪んできた。
そもそも、だれかが引き継いでくれるから良いなどとも思えん。
地球が滅んだらどうする?
結局は無価値だった、ということになるのか?
だから私は抗うのだ。
死から、滅びから、世界も含めて。
そのためにも、まずは私が生き続けなければならない。
そのために次に取り掛かるべきは、意識を移し替える技術の開発である。
さて、だれかちょうどよい被験者はおらんかね。




