19 幸せ注入器 3
私はなんとか、自傷行為を思いとどまることができた。
でも、いつまで我慢できるかはわからなかった。
だって、痛いととても幸せなのだから。
実験のときのように。
なにもしないわけにもいかないが、誰彼かまわず相談もできない。友人らは騒ぎ立てて大事にしてしまいかねない。
そこまで親しくもない、ただ大人しく、口は固いだろう女性の知り合いをふと思い出した。
ひどい話ではあるが、彼女は昔いじめられていた。
にもかかわらず、そういうことをまったく蒸し返す様子はないし、あたりさわりもなく生活しているようだった。
彼女が何かを言いふらすようなことをした記憶はないし、影でなにかをしていたという記憶もなかった。
頼るとすると、彼女しかいなかった。
あまりに近しい人だと、治療とさとされて、幸せから遠のかされそうで、それもなんとなく嫌だった。
だから、妙に関わりの薄かった彼女に頼った。
とはいえ、実験の詳細は守秘義務がある。
私の現状のみを話して、なにか、相談を、進展があるかのような、そんな気を紛らわせてくれたらと連絡をとった。
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連絡が来たとき、知人だと理解するのに時間がかかった。
私と連絡をとってきた彼女は、とくに親しいわけでもない。
だからこそ、とても嫌な予感がした。
ひとまず、話だけはと、文書で聞いた。
私はその内容に恐怖をおぼえた。
もしかして、バレている? そう疑わずにはいられなかった。
私がゲームで殺人鬼として狂ったように遊んでいることは他の誰にも話したことはない。
なのに、どうしてこうもピンポイントに、私に、連絡できたのだろう。
内容からしておかしい。
痛みがあると幸せを感じる? まるで、私を傷つけろ、オマエはそういうのが好きなんだろと言われているかのようだ。
これはカマをかけられているのだろうか?
ひっかかるわけにはいかないが、既に知っていてからかっている可能性はどうだろう? どうやって気づいたんだ? 何人知っている? 誰が知っているのだ?
戸惑いながらも、ひとまず私が用意した仮想の共有スペースで話を聞くことにした。
わずかな希望を胸に、共有スペースのシミュレートエンジンは、いつも遊んでいる殺戮ゲームのものにした。
被害者役で設定すると、あのシミュレートエンジンは本当に痛みを伝える。
このエンジンを使うことでバレる可能性もあるが、彼女が嘘を言っているかどうか、それではっきりする。
そうして、私は彼女を共有スペースに呼び出した。
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私は連絡をとった彼女に、共有スペースによびだされた。
そこは殺風景な白い空間で、何の障害物もなかった。
彼女も私もアバターは初期から何もいじってない、平凡なやや茶色の黒髪の、モダンな私服姿の女性だ。
「ひさしぶり」
「ねぇ、どうして私なの?」
「え?」
「もっと中の良い友達には相談しなかったの?」
予想外の質問だった。いや、確かに、順番として彼女に頼るのはおかしいのだ。きっと私はこの質問を予想できる思考力がなくなっていたのだろう。
「話せないよ。だって、たぶん、おおごとになっちゃうから」
「でも、私は何もで……きないよ」
「それでもいいの、聞いて、相談して、とにかく……誰かに、知ってほしかった」
「もう一回聞くけど、どうして私なの?」
「あなたくらいしか、頼れる人がいないの」
すこし、会話が途切れた、なにか考えているのだろうか。
「わかった、話を聞いてほしいだけなのね」
「そう」
そうして、私は、もう一度、文書で書いたことに、少し情報を加えて彼女に説明した。
実験で、装置によって怠惰に幸せをえてきたこと。
実験で、痛みで幸せを感じられるようになってしまったこと。
いつのまにか、日常に何も感じられなくなっていたこと。
実験は終了し、私は幸福に飢えて自傷行為にはしってしまったこと。
「まるで旦那さんに死なれた奥さんみたいね」
そういう捉え方もあるのか。
「旦那さんはもう帰ってこないのに、どうしようもないのに、あの頃にもどりたいと思ってる」
「私の幸せは死んでしまったのか」
「好きなのは痛みだけなの? 性的なことはどう?」
「どういうこと?」
「仮想空間ででも、女性に乱暴したいって男の人、そういう需要、あるんじゃないかな」
私は天啓を得たきがした。
「リアルな感じで痛みを伴う、傷つけたり、傷つけられたりする仮想世界のゲームはあるよ」
希望が見えてきたかもしれない。
でも、どうしてそういうことに詳しいのだろうか。もしかして、現実ではいじめられなくなっただけで、彼女は仮想のなかでいじめられ続けているのではないだろうか?
「あなた、まさか、仮想世界で実はいままでずっといじめられてたとかないよね?」
私は勢いで余計なことを聞いてしまった。
彼女はあぜんとしている。
「ごめん、私じゃどうこうできないし、ずっと見て見ぬふりをしてきたと言うか……」
「違う違う、いじめられてたりしないから安心して」
あまり納得はできないが、深いりしないほうが良いような気がする。むしろ、最初より態度が柔らかくなった気さえする。
「それじゃ、確認してもいい?」
そうして、私は本当に痛みで幸せを感じてしまうのか、確認するために色々と共有空間の設定をさせられ、彼女は一本のナイフを出現させた。
ちょっとドキドキする。
そうして、ナイフは勢いよく振り切られた。
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私は彼女の脇腹にナイフを刺した。激痛をともなうであろう痛みを強がって隠せる人はいない。
私は表情を変えないように冷静に、まして笑顔なんて出さないようにと顔をこわばらせていたが、喜びの感情はめばえず、驚きだけがもたらされた。
それは、彼女の顔が、あまりに嬉しそうだからだ。
「い……いたい……」
言葉とはうらはらに、憑き物が落ちたように晴れ晴れとした表情だった。
いつもの私なら、内臓をえぐりだしたい感情にかられるのだが、こうも好意的に受け止められると面白くない。
そう、私は、悲鳴をあげ、ゆるしをこい、抵抗されなくては楽しめないのだ。
「ありがとう」
それにしても、さすがに乱暴されることを勧めたままにしておくのも気が引けた。
このままにしておくと、言ったとおりにやりかねない。
「わたしが仮想空間で傷つけてあげる」
「ほんとう!」
まったく、私にとっては何の得にもならない約束ができてしまった。