17 気楽な生き方
僕と彼女は分かれることになった。
いったい僕が何をしたというのだろう。喧嘩したときのことを覚えていないという、それだけで非常識扱いされ、別れを突きつけられた。
そんな、めんどうな女だとは思っていなかったが、僕が理解していなかっただけなのだろう。
だいたい、嫌なことがあったら忘れて何が悪いと言うんだ。
わざわざ心を悪い状態にしておくなんて不健康極まりない。
そうすることで、喧嘩をした後だってすんなり仲直りできたんだ。喧嘩した記憶を消すことでね。
いちいち、なんでもかんでも覚えていなければならないというのは、今の時代では愚かなことだと思うんだよ。
ただ、今回のことはちょっと面倒だな、今日のことを忘れただけだとつじつまが合わなくなる。
振られてしまったからな。
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私は彼と別れた。
たまに彼が、嫌なときの記憶を消していたことは気づいていた。知っていた。
話が噛み合わない時があったのだ。
だけど、ここまでひどいとは思わなかったのだ。
なんだろう、つきあっている、といっても結局はそのていどということなんだろうか?
私は、辛いことがあっても、なんでも忘れていいとは思わない。
良いことも悪いこともふくめて、記憶を積み重ねて人は成長していくんだと思う。
記憶を消すことを悪いとも言い切らないが、それでも限度というものがある。
記憶の削除は計算力まではおよばない。
とはいえ、記憶が積み重なるからこそ、計算力とか感情につながっていくんだと思う。
仮にも今後、ずっと付き合っていく相手との記憶をポンスカ消すというのは、どういうことだろう。
そうした、いきさつと不満を友達にぶつけた。
「2人の思い出を消してるとかありえない」
「でしょう」
「もうさ、そんなヤツのこと早く忘れたほうがいいんじゃない?
記憶を消してでもさ」
「あー、そっか、でも、いいのかな?」
「いいんだって、どうせあいつとはもう関わらないんでしょ?」
「うーん、そうかなー」
たしかに、もう関わらない。
なら、彼に関わるものはすべて捨てるか。記憶もろとも。
「うん、そうする」
「そうそう、それがいいって」
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俺は酒は飲まない。そのかわり、嫌なことがあったら記憶を封印してパーッっと遊ぶ。
酒を使って気分を良くしたところで、記憶が残っていては一時しのぎなのだ。
だから、仕事に失敗したり、日常で嫌なことがあっても、だいたい忘れて生きていくことができる。
とはいえ、大事な人間関係での記憶を消してしまうと上手くいかない。
人間関係の構築というのは、つまるところは話をしたり、一緒に行動した記憶が柱になっているからだ。
どうすればいいかというと、嫌な記憶は、必要ではないときは封印しておくのが良い。
場所や時間帯など、自分自身にモードのようなものを設定してもいい。
そうやって、どの記憶を開放しているか、選択ができるようにすると人生は生きやすくなる。
もちろん、仕事一筋で一人暮らしみたいなのはダメだ。
モードの変更が難しいからな。
最低でも3つのモードは欲しい。
俺の場合は、家庭のモード、仕事のモード、趣味のモードの3つだ。
いっそ3人に分裂したほうがいいんじゃないかって思う人もいるだろう。
だが、それでは人間は上手く回らない。
モードを切り替えるというのは非常に重要なことだ。
1つのモードで頭をずっと働かせ続けると、心が腐って鬱になる。
ほどよいバランスで3つほどのモードを切り替えて人生をおくるくらいがちょうどいい。
どんなことも順調で幸せが続くばかりじゃない。
いくつものモードを持っておくことで、安息できる時間を確保するわけだ。
だから、仕事しかしてないやつには趣味や家庭を無理にでも作らせる。
勉強しかしていないやつは遊びに誘う。
遊んでばかりのやつには仕事を押し付ける。
ただ、最近はそんなことを言う必要もなくなってきた。不思議なものだ。