12 犯罪
記憶を消すという技術が発達しても犯罪の被害者の傷を癒やしきることは難しい。
それは、とりかえしようもない不可逆の現実の変異があるからだ。
ナイフで刺されたことを忘れることはできる。
しかし、それによって失われた命はかえってはこない。
たとえ記憶を消したところで、現実は変わらないのだから、消しても消しても、現実がつきささるだけだ。
トラウマのような、感覚として覚えてしまったものも消すことが難しい。
それは表面的な記憶ではなく、計算力として根付いてしまっているからだ。
ただ、理性的な判断の抽出によって、感情的な判断を抑止することで社会生活をおくりやすくはできる。
とはいえ、そういった処置は対処療法である。
状態が悪い場合に限って、治療目的で理性を優先するような信号を脳におくるのだ。
だから、この高度に発達した社会でも人間は犯罪を犯す。
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警察の仕事も、記憶操作技術の発展により大きく変わった。
それは、物的証拠が要らなくなったからだ。
犯人とおぼしき人物に装置を取り付け、確認を取れば白か黒かわかる。
脳の健康診断などと呼ばれた欺瞞の行政サービスにより、犯罪を行ったかどうかもチェックしている。
そうした理由で、刑事事件における証拠を固めるという必要性がほとんどなくなったのが今の社会である。
それは警察の捜査能力が低下して良い、という理由にはならない。
そもそも装置に犯人をとりつけなければならないので、逃げられ、雲隠れされて追いきれないでは話にならない。
だが、どんなことにも抜け道は存在する。
そう、機械、コンピューター、仮想世界があたりまえになった社会で、機械やコンピューターから開放されたいという人々が現れるのは必然だった。
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私は、舗装されていない山道を登っている。
電灯もない、人の手が入ったとしても、木や旧世代のガードレール、捨てられたバスステーションくらいなものしか見かけない道を1時間ほど歩いている。
しばらくすると木造の喫茶店が見えてきた。
そこは、私のお気に入りの場所で、小さい頃に祖父につれられてやってきた思い出の場所である。
「いらっしゃい」
ドアをあけると、カランコロンという音とともに歓迎のことばがかけられる。
慣れたもので、私はいつもの席へと向かった。
荷物をおいて少しして、白髪交じりの人の良さそうな中年の男の人が水をもってやってきた。
「注文はいかがいたしますか?」
「アイスティー」
ここは、高度な人工知能とは無縁の、旧時代のちょっと機械が発展したノスタルジックなお店である。
ゆったりとした時間がながれ、それにならうように、注文のアイスティーも街中のようにインスタントにでてくることはない。
他のお客さんは2人、どちらも顔は知っている。
私はここでしばらく読書をして、日が落ちない頃に帰るのだ。
さすがに時計はあるが、それは円状の長針や短針のあるアナログなものである。
鳥の鳴き声を背景に、本を読み始める。
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交差点でもないまっすぐな道の途中で、俺は車から降りた。
そこには、ぞんざいに作られた看板めいたものが道の脇に立てかけられている。
道から、看板の方に体をむけ、俺はゆっくりと平原を歩き始めた。
置いてきた車は勝手に帰るので問題ない。帰りはまた違う道順で帰る。
しばらく道のない平原を歩いて、林を超えた先、オンボロな小屋へと到着する。
きしむ扉をひらけると、中には1人の男がタバコをすっていた。
「よぉ、あんちゃん、こんな小屋になんのようだ?」
古臭い慣例というか、決まり文句だ。
「肉屋を探してたんだ」
「あいにくここは、魚屋だ」
「ウナギはあるかい」
「あぁ、奥に行け」
そうして、通された奥から地下へとつながる階段をおりる。
しだいに騒音がおおきくなっていき、扉まで進むと、それを開け放つ。
そこには、3階ぶんほどの空間に、麻雀、スロット、トランプ、ルーレットをはじめとしたあらゆる賭博がそろっていた。
ここは地下賭博場、機械を嫌った人々が作った騙しあり、手品あり、デジタルなしの真剣勝負をする場所である。
「にいさん飲む?」
「いや、酒はあとでいい」
仮想という嘘の世界にはない、真実の賭博がここにあるのだ。
ここは、街のコンピューターから感知されないよう、様々な工夫がなされている。
そうして作った楽園で、俺達はギャンブルと酒、薬にあけくれるのだ。
ここは犯罪の匂いのする怪しい店も揃っている。
だいたいは、社会の窮屈さをきらってここで住んでいる連中がほとんどだ。
「おにいさん、私と遊ばない?」
「焦るな、ギャンブルで勝ったら相手してやるよ」
ほんとうにここはひどい場所だ。だが、俺はここが大好きだ。