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メモリーリーク ~記憶の封印と仮想世界~  作者: 物ノ草 八幻
第一章
10/71

10 幸せ注入器

 私がいるのは、現実の世界の、脳科学にまつわる実験施設である。

 私はそこの研究用の人間モルモットである。

 好きでそうなったのだ。


 半球状の装置が頭を覆うようにアームで固定され、私は座っている。


 数名の研究員が、実験の調整をしている。

 被験者である私が女性ということもあり、研究員も全員女性である。


「それでは、実験を始めます」


 実験の開始と同時に、私の脳は信号を受け、変異し、変異した記憶は予定された感情を生み出していく。私は、ただ感動し、幸福感につつまれ、涙を流していた。


 この研究施設では、記憶操作の応用、感情の創造を研究している。

 心地よい実験ばかりではないが、私はこの溢れんばかりの幸福感を得たいがためにモルモットを続けている。


「もう一度」


 再び先程の感情があふれてくる、なんと幸せなのだろうか。


 私は装置によって擬似的に記憶を操作され、それによって感情が引き起こされた。

 そして今回の実験ではもう1つの感情が埋め込まれている。

 その感情と、私は戦うことになった。


 研究員は私を見守っている。きっと、私の答えを待っているに違いない。


 私は、今受けた感動、幸福を、もう一度あじわいたくて仕方がなかった。

 これが、先に説明されていた渇きの感情だ。

 その渇きに自分は抗おうとしていた。


 一言、こぼしてしまえば、きっと私は帰ってこられないほどに堕落してしまう。


「今日はもうやめますか?」


 研究員のリーダーが私に告げる。

 その言葉の真意は、やめたくないんじゃないですか? と聞かれているようなものだ。


「では続けましょう」


 そうして私は幸せを感じ、また渇望してしまったのである。


 この実験は1時間ほど続いた。


#


 私は自室のベットに横たわり、実験を思い出していた。

 何の苦労もなく、幸せを全身でひたれるこの実験に病みつきになっていた。


 もちろん、苦痛、恐怖、イライラ、怒り、悲しみ、といった感情を注入されることもある。

 被験者が失踪しないように、必ず最後には幸福にひたらせてくれる。

 あまりに状態が悪いときは、実験の記憶を消すこともあった。


 10年後には、幸せが100円で買える未来がくるのかもしれない。


 そうなると、私達人間は一体何のために存在しているのだろう。

 ほとんどのことは機械、コンピューター、AIがやってくれる。

 創造的、人間性ゆえにできることといわれていた仕事でさえ人工知能で対処できるようになってしまった。

 絵を描く、文章を書く、教育をする、文化的な創作や演劇から企画とおよそ人ならではの価値を失った。


 さらに、何かをなしとげずとも、感情を直接注入できるようになったとき、

 人は何を手がかりに生きたらいいのだろう。

 幸せに過ごしたければ、不幸を忘れ、幸せを注入して過ごせば良い。

 はたして、そんな生活はいったい何のためになるのだろうか。

 どういう意義があるのだろうか。

 ただ、在り続けるだけでよいのだろうか。


 私は苦痛が嫌いでとても怠惰な人間だ。

 部屋に閉じこもり、ぐーたらと幸せを注入して過ごせるなら、それで良いような気がする。

 何も生み出さないし、何も残さないし、何の維持にも貢献しない。


 人でしかなしえないことは産業からも、学術、研究からもなくなってきている。

 人が原動力となる研究もあるが、ランダムな探索はコンピューターの方が得意であろう。

 直感や大局観というものですら、コンピューターのほうが安定している。


 感情を創出する媒体として人があるとすれば、感情を捏造できるようになったとき、人間はその媒体としての役割を放棄するのではないだろうか。


 苦労して達成感を得る必要はない。

 今でも、仕事も勉強もゲーミフィケーションという娯楽的なものになっている。

 その行動さえ不要で感情がえられるなら、人は行動するのだろうか。

 もしかすると行動するのかもしれない。


 無駄だからやらないのではない。

 価値があるからやるのではない。

 ただ、やりたいから、やるのだと思う。


 合理的な判断は機械にまかせ、人はやっと愚かに人生をおくることができるようになるのかもしれない。


 人の歴史は、愚かな行いを人間社会から他へと移し、広げていく歴史だったとも言えるのではないだろうか。

 暴力や犯罪を物語に閉じ込めた。

 暴力や犯罪をゲームに閉じ込めた。

 現実の人間社会とは別の場所だから許されるだろうという理論によって、愚かな行為を仮想の世界で享受できるようにしてきた。

 そうして、現実世界をクリーンにしながら、人間の欲求を最大化してきたのかもしれない。


 技術が発展することで本当に人は賢くなったのだろうか。

 愚かでも生きられるようになったのではないだろうか。


 賢く生きるのは面倒なので、私は愚かでも生きていける世界でよいような気がする。


 感情を注入できるということは、

 ようやく、誰でも幸せに包まれて死ねるようになる。


#


 実験が次の段階に進んだ。

 私は、これから仮想世界で、殺戮ゲームの被害者となる。


 この実験では、被害を受ければ受けるほど喜びや幸せの感情が注入される。

 まずはそれを繰り返す。

 その後、喜びや幸せの注入なしに、被害を受けたときに同様の感情がめばえるかを検証する。

 もし、めばえるのであれば、今度は現実で検証する。


 私はどうなってしまうのだろう。

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