鱗の少女は夏を待つ
やっと仕上げました。
面白いかどうかは置いておいて、夏の終わりには少し遅れてしまいましたが、ひんやりとした空気をお届けできたらと思います。
キズモノ。玉に傷。気の毒な子。それが他人の私に対する評価。女の子なのにカワイソウとか。未だ子供なのにとか。
私には生まれつき傷がある。大腿の、付け根のところ。普段は隠れているけれど、どうしてかこの小さな村ではそんな些細な噂もまるで透けて見えるかのように皆知っているのだから、嫌になる。
私には生まれつき傷がある。それは、何も身体だけの話じゃない。生まれつき母親がいないのだ。父の話によれば、私を生む時に亡くなってしまったのだと言う。生まれつき身体の弱い女性だったと言うけれど、きっと私が呪われてしまっているのだろうと島の年寄り達が言っているのを聞いたことがある。
私には生まれつき傷がある。それは、とても大きく禍々しい。
こんもりとした雲。夏の雲は、きっと硬いのだと思う。だってあんなに空との境がハッキリしているから。風通しの良い村では空気がからりと乾いている。島は南の方なので暑いといわれるけれど、風が吹くと案外涼しい。――りりん、りりん。じいちゃんが造っている風鈴が鳴る。縁側は、涼しくて最高だ。
「真魚、スイカ食べなや」
父親は、平日なので仕事に行っている。こんな日には、私は祖母と家で留守番だ。父は私が一人で出かけるのを好まない。きっと、母もまた一人で出かけているときに陣痛が着て、そのまま亡くなってしまったから心配しているのだろう。縁側から立ち上がり、台所へ行くと球体が綺麗に16等分にされた真っ赤な二等辺三角形。元は球体なのに、何故三角形になるのかとても不思議だ。円は点の集まりだけど、円周は直線じゃないのに。そんなことをぼうっと考えていると、ドンと塩が置かれる。
「ほら、これかけて食べなさいね。夏は汗をかくから塩分補給」
そうか、スイカに塩をかけるのは、甘味をより感じやすくするためだけでなく塩分補給の意味もあったのか。そんなことを考えながら、スイカの皿を縁側に持って行く。我が家の夏の習慣だ。最初のしょっぱさに、じゅわっと甘くて水々しい果汁が口腔内を滑り落ちる。スイカは飲み物のように思う。調子に乗っていると時々種を飲み込んでしまう。けどそんなことはしょっちゅうだし、お腹を壊したことは無いので問題ない。小さい頃は、祖母にお尻から芽が生えると脅されたっけ。そんないつもの夏休みの午後。普段ならこの後は夕食までの間は宿題を片付けるのだけれど、今日ばかりは何故だかそんな毎年繰り返されてきた日常は訪れなかった。
非日常は、私が最後の一切れのスイカの種を今にも口の中から鉄砲のように発射しようとしたそのときに訪れた。めったに人の訪れないはずの我が家に人が来たのである。
「ごめんくださーい」
聞きなれない大人の女性の声とドンドン、と叩かれる玄関扉の音に驚いて発射されようとしていたスイカの種は咽頭の方に逆流。つるり、と喉の奥へ。咽る間もなく、何者かの存在はこちらに近づいてくる。私は思わず祖母の後ろに隠れようとしたけれど、玄関と縁側は近いのだ。女性が近づいてくる方が早かった。
「こんにちは。こちらのお嬢さん? 親御さんはいますか」
この女性他所者だ。何も知らないんだわ。だって私に話しかけてきたもの。上品なブラウスと短く切りそろえられた髪、嗅いだことの無い化粧品の香り。すぐに、村の外の者とわかった。下を向いて俯く私に祖母は、私に奥に入っていなさいと助け舟を出してくれる。
何も知らない女性は、私が背を向けると慌てたように声をかけてきた。
「あ、ちょっと待って。これお土産よ。お菓子、食べてね。あとこれうちの息子。同じ年くらいだろうから仲良くしてやって」
建前上お菓子を受け取るために振り向くと、俯いた視界の端に不機嫌そうな顔をした少年が佇んでいる。幸いにしてそっぽを向いているので目を合わせることはなさそうである。村の少年たちより幾分白い肌をしているようだ。先ほどは女性の背に隠れて姿が確認できなかった。女性は少年に挨拶しな、などと促すが祖母がそれをやんわりと止める。私は速足で台所へ戻った。
心臓が早鐘を打つ。呼吸が速い。父がいないときに他人に会うのは本当に久しぶりだった。床にボタボタと油汗が落ちる。――情けないな。大腿の傷が痛む気がする。女性は一通り挨拶を済ませると帰っていった。祖母が台所に戻ってくる。
「都会から遊びに来たんやって。真魚は疲れただろう、休んでええよ」
祖母の言葉に甘え、自室に戻る。ここから先はちょっと秘密だ。自室に戻った私は、こっそりと窓から抜け出す。お気に入りの場所に向かう。本当は一人で出歩いたらとても怒られるので絶対にバレてはいけないけれど、その場所はうちからも近いし村のヒトはめったにこの周辺には立ち寄らないので他人にも合わない。
裏山を登って少し開けた場所。何があるわけでもない。けれど、近くにある澤の音と木漏れ日が美しく夏でも涼しい。私のお気に入りだ。楽園に向かって傾斜のある山道を裸足で登っていく。足についた泥は、後でこっそり裏庭の水道で洗ってしまえばバレない。あの場所に行くのに、息が上がるのなんて気にならない。汗が気持ちいい。あと少しであの場所に着く。
開けた空間に、背の高い樹が一本。その脇に野花。木漏れ日。澤の音。匂いも、音もいつもと同じ。だけど、いつもと違うことが一つ。樹の下に少年が眠っている。片手には開かれた本が一冊。ここで読書をしているうちに眠ってしまったに違いない。私は驚いて身を隠した瞬間に、瓦礫で音を立ててしまう。少年が気がついてしまった。
「誰かいるの」
小藪からそっと様子を見ると、先ほど挨拶に来ていた少年のようだ。綺麗だった服は山に登るのに苦労したのか、あちこち汚れてしまっている。途中で靴が脱げたのか、脱いだのか定かではないけれど、裸足である。先ほどとは打って変わった印象だ。見かけに反して活動的だな、そう思っているとこちらに近づいてくる。私は慌ててポケットを探る。良かった、もしものときのためにアレはポケットに入っている。少年が近づいてくるので慌てて声を出す。
「ちょっとまって、そっちに行くわ。そこから動かないでね」
私はポケットのものを頭に巻きつけ、しっかりと結んだ。これで、彼の前に行っても大丈夫だ。ゆっくりと歩けば、視界が遮られていても山道を歩くことは可能だ。小藪かき分けて、少年の前へ。大丈夫、コレがあれば他人の前に出ても緊張しない。
「驚かせてごめんなさい。ここは滅多に人が来ないから驚いたの」
視界が遮られているけれど、少年が驚いているのがわかる。当たり前だ、他所から来た人には私のコレはとても奇妙に思えるだろう。初対面で、たいていの人は、コレを見れば私に必要以上に関わるのをやめようとする。少年もきっとそうだ。私にとってはその方が都合がいい。だけど、少年はこれまで私が見てきた他人たちとは違った反応を示した。
「アンタが蛇神様って言うのは本当だったんだ。布、何か意味があるの」
そう言うと、少年は興味深そうにこちらに近づいてきた。私は、戸惑いを隠せないでいると視界を遮っている布に触れられそうになってしまう。気がつくと私は、彼の手を振り払い大声で叫んでいた。
「これはだめ! 目が合うと死んでしまうわ!」
それは必死が故の力の入りようで、少年は尻餅を着いてしまった。声だって大きすぎるくらいだ。きっと、彼は私に驚いて逃げてしまうだろう。そう思ったけど、少年は少しうめき声を上げただけですぐに立ち上がった。逃げる様子も無い。
「ごめんなさい、あなたが危ないと思って。この布は、人前では付けていないといけないの。蛇神様の事知っているんでしょう」
蛇神様。私は村の人々からそう呼ばれていた。それは、代々蛇神を祭った神社の神主であるうちの家系に数~数十年に一度現れる存在で、身体の一部に傷があることが特徴なのだと言う。女性に多くその頻度は不定期だ。蛇神の力を持つものは、目が合うだけで人を殺すことができ、その身は生涯村と神社を守るために捧げなくてはならない定めとされている。そして、今回の蛇神は私だ。生まれつきある大腿の傷がその証である。誰も何も言わないけれど、母親が私を産んですぐに亡くなったのは私と目を合わせたためではないかと思っている。だから、私は人を傷つけてしまうのが一番怖い。誰よりも、私自身が自分の力を恐れているのだ。
「……」
少年は不思議そうな顔をして一瞬考えるとそっと距離を取った。そのまま何でもなかったかのように再び樹の根元に腰掛ける。
「蛇神の巫女のこと、アンタのお祖母さんから聞いたよ。正直他所者の俺からしてみれば本当かはわからない。それより、その布越しでこんな山登ってきて危なくないの」
少年は私と目を合わさないようにしながらも、恐れる様子はない。村の人は、私を恐れてすぐにどこかに行ってしまうので、その反応はとても新鮮だった。
「私が怖くは無いの」
「俺はあんまり、そういう蛇神様の恐ろしさとかよくわからないから」
少年はそのまま読みかけの本に目を落とす。彼は私を怖がっていない。傍にいることを許された。私はそれが酷く心地よかった。
それからと言うものの、夏休みの間は昼寝と言っては部屋から抜け出し、目隠し布を片手に裏手の小山に通う日々が続いた。山にはいつも少年がいた。少年の名前は翔太と言うのだと、ある日ボソリと彼が教えてくれた。互いのことについてあまり深入りはせず、樹をはさんで向かい側にそれぞれスペースを持ち、それぞれ過ごす。心地の良い空間だった。
それは、夏休みも終わりに差し掛かるころのことだった。私がいつものように山に入って、木の根元に腰掛けて、背中合わせに翔太がいる。翔太はドストエフスキーを読む。そんなことが日常となりつつあった。夕方になり、私たちは何も言わずそれぞれ帰る。私は家に、翔太は帰省先の祖父の家に。今日もそうして終わっていくはずだった。立ち上がった私に翔太が話しかけてきた。
「俺、明日帰るんだ」
夏休みが終わる前に、早めに戻ることになったのだと言う。いつかはやってくる瞬間であることは、よくわかっていた。私は、何と言っているのかよく覚えていないくらい、矢継ぎ早に言葉を放った気がする。ああそうだよね、とかそういう時期か、とか気をつけてねとか。他人が離れていくのには慣れているつもりだった。だから、別段寂しいとは感じないと思っていた。けれど、出てきた言葉はどれも中身が無くて、心臓に氷が滑り落ちたようなそんなゾクリとした感覚だった。
「今日の夜、岬の神社で待ってる」
最後に翔太がそう言ったことだけが、はっきりと鼓膜に焼き付いていた。
翔太が言う岬の神社と言うのは、蛇神の祭られる神社のことだ。うちの家が代々神主を務める神社でもある。境内が連なった岩の先端にあるので、ちょっとした島のようにも見える美しい神社だ。私は夕食後、家族が寝静まったのを確認しまどから脱出用の紐を垂らす。何度か家を抜け出したことはあるけれども、深夜は初めてだ。あたりが静まり返っているので、かえって音が響きそうで動作はより慎重になった。
境内までの道は舗装されておらず足元が危うい。目隠しをした目ではとても長い距離のように感じた。岬の神社に着いたのは0時を廻った頃だった。翔太は鳥居の右側にもたれかかるようにして立っていた。噛み合わない視線、半径一メートルくらいの距離感。近いようで、遠い、私が踏み込めない領域だ。
「来てくれないかもしれないと思った」
「ごめんなさい、私は一人では外出禁止なの。だから、家族が寝るまで待ってた」
それから、暫くの沈黙。私たちはもとより会話が少なかったけれど、このときだけはそれが何故か空しく感じた。互いについて、知らなすぎたのだ。それは、私にとっても翔太にとっても踏み込めない領域だったように思う。この夏休みきりで島を去り行く翔太に私は何も聞けなかったし、翔太もまたどこまで私の領域に踏み込んでよいのかわからなかったのだろう。長いような短いような沈黙を破ったのは翔太の方だった。
「お願いがあるんだ」
翔太は意を決したように鳥居に凭れかかるのをやめ、私に近づいてきた。私は何故か逃げられなかった。勝田は私と視線が合うように正面に立つ。布越しにも翔太が私の瞳を真っ直ぐに見つめているのがわかった。
「アンタの瞳を見せてくれないか」
はじめは、自分の耳を疑った。彼は今何と言っただろう。私は危うく、この非現実な空気に飲まれて幻聴を聞いてしまったのではないだろうか? しかしそれは、翔太の真剣なまなざしにより否定された。何か彼を説得してその要求には応えられないと言うことを理解してもらわなくては。そう思い口を開くけれど、思いのほか口腔内は乾燥していて、潮風と小波の音に勝てるほどの音を紡ぐことすらできないほど動揺していた。
「……め」
この瞳に掛けられた布を人前で取り去り、視線を合わせること。それを自分がいかに恐怖しているか思い知る。鳩尾を氷が滑るような緊張感。ひやりと冷たい空気なのに、じっとりとしたそれは潮風なのか、脂汗なのか最早分からない。
翔太は、依然として視線を外さない。まるで、目隠し布を外すまで視線を外さないと決めているかのようだ。私はその強い生ざしから目を逸らした。
「死んでしまうわ。私は殺したくないもの」
去り行く者を引き止めはしない。今までだって、仲良くなる振りをして騙そうとしてくる輩は沢山いた。瞳の持つ殺傷能力は何だかんだで狙われやすい。私を使って自殺しようと試みた者までいる。騙されるのに慣れているからと言って、自ら死にに行く者の協力者にはなりたくない。何よりも、自分の瞳の力をそうやって利用されるのはたまらない。
「どんな言葉で説得しようと試みても、無駄だよ。私の瞳は神の力なの。一人の人間の欲望ために使うことなんてできない」
「……」
翔太の決意は固いようだ。けれど、無理強いはしてこないだろうとわかった。彼は私が自ら目隠し布を取ることを望んでいると言うのか。翔太は、私を真っ直ぐに見つめたまま黙っている。まるでこちらから何か言い出すのを待っているかのように。そうやって、一時の沈黙が流れたとき、翔太がふいに口を開いた。
「本当に無慈悲に死ぬのか、それを確かめてみたい」
嘘を付いている感じはしないな。そう思った。どうやら翔太は私を利用するとかそういったことは微塵も考えていないようだった。だけど、思い切った発想に驚く。言っていることの理屈は分かるけれど、リスクが大きすぎる。だけどその強い眼差しに信じてみてもいいのかしら、とそんな気分にすらなってしまう。
私は考える。これまでのこと、話せば翔太はわかってくれるだろうか。お母さんの話をしたら、信じてくれるだろうか。
「翔太。これはね、昔話よ」
ある所に力ないまま朽ち果てた蛇がいた。やがてその亡骸をを身体の一回り大きな蛇が喰った。するとその蛇は何かに乗り移られたかのように、次々と共食いを繰り返すようになった。そうして出来がたったのがこの島の蛇神様らしいの。
それで、共食いを繰り返した大蛇はそのうちに邪な力をつけて妖怪のようになった。そんな大蛇を島の人々はとても恐れた。だけど、ある女性だけは恐れずに立ち向かった。それがこの島の岬にある神社の巫女だったらしいわ。巫女と大蛇の戦いは七日七晩続き、巫女が勝利。だけど、その代償に大蛇の呪いを受けた。それがこの瞳の秘密。だけどね、秘密はこれだけじゃないわ。
そこまで話して、私は一呼吸。これは、知られたくない秘密だったのだけど瞳を見られて翔太を殺してしまうよりは幾分もマシだろう。翔太は黙って話を聞いてくれている。
「巫女の血筋に生まれた娘には生まれつき傷があるの」
私は、履いているワンピースをたくし上げる。翔太は、少し驚きを見せるが気にしない。だけどやっぱり少し恥ずかしいので、速度がゆっくりになってしまう。
左足の代替の付け根。まるで蛇の鱗の跡のような傷。ぐるぐると三週している。これが呪いを受けた証拠なのだという。
「瞳は見せてあげられないけれど、私の秘密をあげる。どうかこれで勘弁して」
「……だ」
翔太は、驚いてしまうだろうか。もうこれまでのように、接してくれないかもしれない。同情されるのは好きではないけれど、翔太を失うよりは幾分ましだ。そんなことを考えていた。翔太の小さいつぶやきが、はじめは聞き取れなかった。
「すごく、綺麗だ」
そうハッキリ聞き取れたのは、気が付くと翔太がとても近くにいたからだ。先ほどまで1メートルは空いていた距離が、触れ合いそうな距離まで近づいていた。私は、恐ろしくなかった。普段なら恐ろしい距離だった。だけどそれは、不思議と恐ろしくない空間だった。
「触れてみてもいい?」
普通なら触れられたくないその場所に、触れられること。それが不思議といやではなかった。私は、小さくうなずいていた。冷たくて、細い指が触れる。さりさり、さらりと撫でられる。奇妙な光景。シュールで、厭らしいのかもしれなかった。
「俺にも同じものがあるんだ」
そうして、シャツを脱ぐ。背を向けると、そこには同じような跡があった。鱗のような、傷跡だ。
「驚いた、どうして?」
「生まれつき。だけど、俺の目は普通だよ。なにも力は持ってない。本当は、傷のこと知ってたんだ。あの日にお祖母さんから全部聴いたよ。同じ傷があるのに、なんで違うのかなって思っただけだ」
それから翔太は、日の出とともに戻っていった。私は、本土に向かう船をいつまでも見つめていた。そうして今年の夏が終わった。私は、来年の夏を待つだけだ。少年が大人になるまで、待つだけだ。
読了ありがとうございました。
もう、最後の10行ぐらいから面白くねーと思ってしまって書くのがつらかった。
果たして面白いのかは別として、シチュエーションは割と気に入っています。
よかったら感想ください。1行でいいので。
これを他人がどう思うか知りたい。