ギルドのドアとキンキンのユキ
ドアは嫌いだ。
一旦開けてしまったら、どんな奴がいるのか分からない。何が起こるか分からない。
さながら、今と未来の世界とを繋ぐ恐ろしい境界線。幾千もの可能性を選び出す高圧的な選定者。
…今俺の目の前には、ギルドハウスのドアがある。
ギルドの建物自体はロッジ風の小さなものだが、ドアだけは分不相応に大きく、威圧感を感じる。
人の目玉を連想させる、黒ずんだ木目も。
一体幾人が回して来たのか、真鍮の剥げかけた古びた取っ手も。
まるで城を長年護ってきた厳格な門番のように、鋭い視線で俺を査定する分厚い板切れ。
「どうしたの、はやく開けなさいよ。」
そんな俺の気持ちを少しも意に介さず、髪を針のように逆立てたトゲトゲが不満そうに鼻を鳴らす。
だが、俺はドアを見つめたまま固まったように動かない。いや、動けない。
…ギルドマスターに存在を忘れられていたらどうしよう…。
十分にありえることだ。
もう1年も来てないし、あの人は研究一筋で他のことなんてどうでもよさそうだからな。
…いや、もう忘れられていても構わん。めんどくさいが、名乗ってもう一度思い出してもらえばいいだけだ。さすがに冬限定とはいえ5年もここに通ってるんだし、完全に忘れられてはいないだろう。
…いないよな?
それより問題は、中途半端に顔見知りの魔導士たちに出くわした場合だ。
あれ、お前どうしてたの?何かやつれたんじゃね?お前の姉さんどうしてるんだ?みたいなお節介な詮索は、俺には耐えられそうもない。おまけに何か答えようとしたら、十中八九聞き返される。
…声が小さくて悪かったな!
ドアよ、ああ、偉大なる選定者よ。
どうか、どうか、俺に輝かしい未来を!静かなる安息を!
平たく言えばギルドマスター以外は誰もいませんよーに!
ガチャリ。
「マスター!!!」
ドアノブをひねった瞬間、耳元で甲高い声が炸裂した。
びっくりしすぎて少し涙目になりながら振り返ると、銀の髪を二つのお下げに結った快活そうなユキが指輪をかかえて浮いていた。
「う、うるさい!お前…、お前…。」
そう言っている間にも、耳の奥でコイツのこえがキンキン反響し続ける。
「お前じゃないよ!!ちゃんと名前つけてよう。ほら、忘れ物届けに追いかけてあげたのに~!」
「へ?忘れ物…。」
よくよく見ると、奴が持っている指輪は魔力を高める効果のあるもので、仕事の時はマストなシロモノだ。
「ああ、うん…。ありがとう。でもよくわかったな。これ使うって。」
「へへへ~。あたしよく気が付く精霊で通ってますから!ほら、お礼はいいから早く名前つけて!かわいいやつ!」
そのユキはにこにこと笑って、指輪を俺に押し付けた。
かわいいやつって言われてもなぁ。
腕を組んで目をつぶり、かわいい名前とやらをちょっと考えてみた。
…キンキン…。
うん、何か声がキンキンしてるし。いいんじゃあないか。かわいくないこともないだろう。
トゲトゲにキンキン。うんうん。覚えやすいし。
ばんっ!!
そこまで考えた時、いきなり顔面にすごい衝撃が走った。
一瞬呆けて眼前を見れば、…それはまさしくドアだった。
「こんにちは!」
そこから顔を出したのは、この辺では珍しいパサついた黒髪の見知らぬ男。
俺のささやかな願いがもろくも崩れ去った瞬間である。
…やっぱりドアは、ろくなもんじゃない。
ドアはキンキンに冷えていて、張り付いた頬がヒリヒリ痛む。
皮膚をもってかれないように悪戦苦闘しながら頬をはがす俺を見て、キンキンがゲラゲラ笑い転げた。