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第7話 記者会見

 ロイヤル・ホテルの会議場を借りて、明人が所属する芸能事務所「カシオペア」の一連の騒動に関する記者会見が行われようとしていた。

 奥に白いクロスが掛けられたテーブルが置かれ、その真ん中に黒いマイクが複数設置されていた。テーブルの両脇には色とりどりの花で飾られた大きな花瓶が華やかさを演出している。

 テーブルと会議場の扉との間はパイプ椅子が整然と並べられ、席の半分ほどが記者で埋まっていた。壁際の開いているスペースにはカメラマンがカメラを会見の席に向けて、記者会見の主役の登場を今かと待ち構えていた。

 和服を着た清楚な女性が記者会見の場に進み出た。スーツ姿の明人がその後に続く。二人は記者達に向って一礼してから記者会見の席に座ると、一斉にカメラのフラッシュがたかれた。

 和服女性がマイクの一つを持ち、目の前にいる記者達をぐるりと見回すと、おもむろにマイクの電源を入れた。


「お待たせして申し訳ありませんでした。これから霧島明人の婚約発表記者会見を始めさせて頂きたいと思います」


 明人は姿勢を正して目の前のマイクを取った。心なしか緊張しているように見える。


「記者会見を開くのが遅くなってしまい、申し訳ありませんでした。彼女の周辺が慌ただしくなってしまって、その対処に今まで追われてしまい、なかなか時間が取れませんでした。この度、私、霧島明人は立山薫さんと婚約した事を、ここに発表させて頂きます」

「河野社長は、いつから霧島さんの交際をご存じだったのですか?」


 早速、飛んできた記者の質問に、明人の隣に座っていた和服美人は、口元に手を当ててコロコロと笑った。


「明人はプライベートを秘密にする主義なんですのよ。今までの数々の浮名を流したのも、私には一つも相談も報告もありませんでしたわ。今回も同じです」

「霧島さん、婚約者の立山さんとの出会いについて聞かせて下さい。彼女の周辺に取材しても、男性と付き合っていた様子はなかったと、皆さん口を揃えて言っているんですが……」


 別の記者が今度は明人に質問した。

 数か月おきに相手を変えて、数々の女優との交際の噂が流れていた人物がいきなり婚約すると発表しても、記者の大半は半信半疑に思っていた。

 不自然に遅れた記者会見に醜聞の匂いを感じ取った記者が何人かいた。彼らは独自に薫の大学内の友人や陸上部員たちに聞き込みをしていた。


「薫と出会ったのは、三か月ほど前です。俺の体調が急に悪くなり、公園で蹲っていたところを助けてくれたのが薫だった。最後まで俺が俳優の霧島明人だという事を薫が気づかなかったのには、些かプライドを傷つけられましたが……。薫が自主練習に使っている公園で数日待ち伏せて、助けてくれたお礼を言えた時、俺の正体を知っても、薫の態度は少しも変わらなかった。やっと俺自身を見てくれる人が現れたと運命を感じて、その場で口説き落としました。薫が周りに俺との交際を気づかせなかったのは、大事な大会の事で頭が一杯だったからではないでしょうか」


 当時の様子を思い出したのか、うっとりと語る明人を見て、誰もこれを演技だとは思わないだろうなと、会議場の隅で明人と記者のやり取りを見ていた聡は心の中で思った。

 芸能事務所のホームページに動画をアップさせる為に、この記者会見の一部始終を録画する役目を背負っていた。聡は右手に持つハンディカムで記者会見の記録を取りつつ、左手で数日前から痛み出した胃を押さえた。

 薫が明人の家に同居する事を薫の両親に納得させ、婚約を疑われないような状況を作り上げる事には成功した。あとは二人が実際は婚約をしていないのではないかと疑われないように、上手く立ち回ってくれる事を祈るのみである。

 頼むから、これ以上問題を増やさないでくれよ。映画の撮影が始まるまで、あと一週間ほどしかないのだから。

 祈るような思いで聡は記者会見の様子を見つめていた。また別の記者が質問の手を上げるのを、聡はハンディカムのレンズ越しに見た。


「立山さんが妊娠しているのではなかとの情報もあるのですが、この点については?」

「薫は妊娠していません」


 記者が予想外の答えに目を細めた。

 妊娠していたら、「未成年とできちゃった婚約。とうとう年貢の納め時か!?」という煽り文句を記事の見出しに使えたんだが……、と記者は周囲に悟られないように、こっそりと落胆する。

 それでも記者は気を取り直して、矢継ぎ早に質問を繰り出していった。


「立山さんは、どのような方ですか?」

「竹を割ったような性格で、人一倍努力家です。困っている人を見捨てられない思いやりもあります。本人は女らしくないと思っているようですが、意外に可愛いところもあるんですよ」


 公然と明人に惚気られて、質問している記者が顔に張り付けている営業用の笑みが引き攣った。

 振り撒かれている幸せの甘さに、恋人なし歴の長い記者は意地の悪い質問をしてみたくなった。


「出場する予定だった女子一万メートル走を霧島さんが強引に棄権させた事で、立山さんは在籍している大学のスポーツ特待生の資格を失ったそうですが、近日中に大学を退学されて結婚という運びになるのでしょうか?」

「結婚は大学卒業後にと考えています。薫が特待生の資格を失ったのは、俺の勘違いが全ての原因です。その、薫の生理が遅れていたものですから、妊娠したのではないかと思ってしまったんです。大学で学ぶのは薫の夢です。俺はその夢を叶えてあげたい」


 ざわざわと記者たちの驚きのざわめきが会議場に広がった。

 2年半以上も婚約期間を設けるというのは、あまり聞いたことがない。それだけ明人は婚約者の事を大切にしているという事なのかと、記者たちはお互いの顔を見合わせた。

 散々、女を食い散らかした奴が……。変わればこんなにも変わるものなのか?


「なるほど。それほど大切にされている立山さんは幸せ者ですね。先週の金曜日から立山さんは霧島さんの自宅にいらっしゃるようですが、今後も同棲されるという事なのでしょうか?」


 先ほど質問した記者がしつこく明人に食い下がった。


「そうなります。薫は運悪く数日前に住んでいたアパートを火事で失っています。契約更新の時期まではと言って、なかなか俺との同居に同意してもらえませんでしたが……。これを機に一緒に住めるようになって、薫には悪いけれど、俺は嬉しいんです。あ、もちろん、薫のご両親の許可は取ってあります」


 満面の笑みを浮かべて質問に答える明人を羨ましそうに見て、独身の記者たちが小声でぼそっと呟いた。

 リア充、もげろ。禿げろ。爆発してしまえ。

 もっとも、隣に座っている人に聞こえるか聞こえないかという呟きは、カメラマンが頻繁に切るシャッター音でかき消されていたが……。

 同じ記者が質問を出し続けたため、司会が手を挙げていた別の記者を指名した。今度は女性の記者だった。


「プロポーズの言葉をお聞かせ下さい」

「『俺と一緒に家族を作っていかないか』です。他にもプロポーズの言葉を薫に捧げたのですが、承諾してくれた時の言葉がそれなんです」


 頬の輪郭を指で何度かなぞって、照れたような仕草を見せた。

 実際には、明人は薫にプロポーズはしていない。アドリブで、よくそこまで演技ができるものだ。だが、そのおかげで、今のところ記者の中に疑いを持つ者はいないようだった。

 撮影している動画を薫さんが見たら、顔を真っ赤にして事実と違うと怒るだろうなと聡は思った。もっとも、今後の口裏を合わせる為にも、是非、彼女には見てもらわなければならないのだが――。

 怒れる薫を宥める役目は、おそらく聡になるのだろう。

 今から胃薬を用意しておくか。

 明人のマネージャーになってから胃が痛むようなトラブルに巻き込まれるのは慣れていると聡は思っていたが、今回は格別に長引きそうだ。聡はこれから暫く続くであろう胃の不調に付き合う覚悟を決めた。



* * * * * * * * * *



 河野社長が1時間にも及んだ記者会見を終えて、聡のもとにやって来た。

 社長はいつも和服姿で人前に出ていて、和服を着なれているせいか、着くずれを起こすこともなく清楚な姿を保っていた。


「聡、撮影ご苦労様。何とか記者会見も無事に乗り切れたみたいね。記者達の反応も概ね好感触だったし、明人の想いが溢れてくるような話し方に、遊びではなく真剣な交際だと印象づける事ができて良かったわ」


 緊張がほぐれて息を一つ吐き出した社長は、まだコメントを求める記者に囲まれている明人を見遣った。社長は時間の許す限り記者の相手をするように明人に言い含めていた。


「ええ、見事な記者会見でした。母さん、これで事務所も安泰ですね」


 母さんと聡から呼ばれた社長が、聡の腕を折りたたまれた扇子で軽く叩いた。


「聡、家の中以外では、社長と呼びなさいと言ったでしょ。聡が私の事務所で働く以上、そうしないと従業員達に示しがつきません」

「申し訳ありません、社長。気をつけます」


 素直に謝る聡に、社長はすぐにご機嫌を取り戻して、綻ぶ口元を隠すために扇子を広げて顔の下半分を覆った。


「明人が主演する映画の監督から、お祝いのメッセージが届いていたわ。昨日、私が出向いて今回の騒動の経緯を説明させて頂いたら、いい人生経験が多いほど、良い演技に繋がるって喜んでもらえた。これで、明人が主役を降ろされる線は消えたわね」


 聡はほっとした表情を見せた。

 芸能事務所へ向かう時間が迫った明人が記者達の輪を振り切って聡と社長のもとへと合流した。ホテル側の配慮で一般とは隔てられた通路へと続く扉を開けて、三人は地下駐車場へと向かった。

 聡は車の後部座席のドアを開けて社長と明人を先に乗せた後、運転手席に座った。社長と明人がシートベルトを着用したのを確認すると、聡は車を芸能事務所へと走らせ始めた。


「立山さんとは上手くやっていけそう?」


 社長が明人に探るように問いかけた。

 第一関門である記者会見は無事に突破できた。次は、薫の協力がこの騒動のほとぼりが冷めるまで得られるかどうかが問題となってくる。

 もし、薫が明人との同居に耐えられなくなって、裏の事情を暴露してしまえば、芸能事務所の都合で立場の弱い未成年に望まない明人との生活を無理意地したとして、明人だけでなく芸能事務所までが批判の対象となる事は、社長には容易に想像がついた。


「十分やっていけると思います。薫は思っている事がすぐに顔に出ますから、どう思っているのか分かりやすい。喜怒哀楽もはっきりしているから、俺も対応しやすい」

「そう。それなら良いのだけれど……」

「俺が日本でトップクラスの俳優だと分っても、薫は媚もしないし怯みもしない。とても面白く、興味深い人物ですよ、薫は」


 確かに薫さんは芯の強い子だ。失意のどん底にあっても、常にベストを尽くそうと懸命にあがく。

 取引した前と後でも私達に対する態度も言動も変わらない。明人にとっては新鮮に映るのかもしれない。今まで明人が芸能人だと分かると、掌を返したように態度が変わる人間を散々見てきたから。

 明人、お願いだから薫さんには興味を持つだけにしておいてくれよ。

 聡は切実に願った。


「あまり、薫さんを構い倒すと、部屋の中に閉じこもって出てこなくなるぞ」


 聡が釘を刺すと、明人は開き直って言い返した。全然、聡の願いを叶えるつもりはないらしい。


「薫をちょっかいかけると、過剰なまでに反応が返ってくるから、止められないんだよな。すぐに映画の撮影も始まるから、少しぐらい良いじゃないか」

「聡、撮影が始まるまでに、立山さんには明人の特性について説明しておいてね。特に今回は純愛物の映画だから、変な勘違いをさせて、トラブルになるのは御免よ」

「はい、分かってます」


 社長が指摘した明人の特性。感性が鋭すぎてリアリティ溢れる夢を見るのも、そのうちの一つだが、もう一つ厄介な特性を明人は持っている。

 これが明人の数々の浮名を流す原因でもあるのだが――。さて、どうやって説明したものかと、聡は運転しながら考え始めた。


2013.06.02 初出

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