第6話 両親との対面
薫が明人と再会した日の二日後、二人は薫の実家の前に立っていた。
車のトランクの中に潜んで、明人の家の周りを囲むマスコミをやり過ごし、高速道路で別の車に乗り換えて、薫の実家がある長野県までやって来た。
実家の前で玄関のインターホンの呼び出しボタンを押そうか押すまいかと迷って、薫の人差し指が前後に動いている。
ああ、気が重い。
両親に会って、大学で勉強を続ける事を認めてもらわなければならない。しかも、好きでもない相手の婚約者のふりをしつつだ。
「俺の方から薫の両親に話をするから、薫は話を合わせてくるだけでいい。むしろ、あまり話に口を突っ込まないでいてくれると助かる」
明人は薫の肩を励ますように軽く叩いた。反対の手が薫の顔の横から伸びてきて、薫の指先の数センチメートル先にあるインターホンのボタンを押した。
ピンポーン♪
軽快な呼び出し音が立山家の玄関先に響いた。
心の準備ができていないのに、と薫は振り仰いで明人に非難の視線を送った。明人は薫の視線を受け止めて、少しだけ肩を竦めただけで、大して堪えていないようだ。
「はいはい、どちら様ですか?」
薫にとっては懐かしい母の声がして、玄関ドアが開けられた。
何の連絡もなしに薫たちは来ていたものだから、母はまず薫を見、この背後に寄り添うように立っている明人を見て、一瞬だけ固まった。
明人は生じた空白を逃さずに、先手必勝とばかりに話を切り出した。
「初めまして。霧島明人と申します。お話の時間を少し頂けないでしょうか?」
爽やかな好青年の態度を崩さずに、丁寧に母へお願いする明人に、被っている猫の皮の厚さが薫には幻視できそうだった。
私と母では、随分と態度が違うじゃないの。俺様気質は一体どこへ行ったんだ。
不満を口には出さずに、薫は母の様子を上目遣いに伺った。どこか惚けたように、明人を見つめている。
母は面食いだ。すっかり明人が醸し出している雰囲気に呑まれてしまっていた。
「母さん、家に上げてもらってもいいかな?」
薫が母を促せば、夢から覚めたように我に返って、明人を家の中へと招き入れた。どことなく嬉しそうだ。
「さあさあ、遠慮せずに、どうぞ中にお入り下さい」
「お邪魔します。あ、これはお土産です。つまらない物ですが、皆さんで召し上がって下さい」
明人が両手で差し出した紙バックを母は頭を下げつつ受け取った。薫は勝手知った実家の玄関をくぐり、明人の後をついて行った。
母に案内された居間で明人と薫は、父が現れるのを待っていた。出されたお茶がすっかり温くなる頃、薫の父は襖を開けて居間へと入ってきた。
妙な緊張感を漂わせながら明人と父が互いに簡単な自己紹介を済ませると、明人から話を切り出した。
「この度は、私の軽率な行いの為に、薫に特待生資格喪失という多大な迷惑をかけてしまい、誠に申し訳ありませんでした」
ローテーブルの向こう側にいる両親に向って、明人は畳に正座し額をつけて深々と頭を下げた。
突然、テレビの向こう側のきらびやかな世界に生きる明人に土下座されて、薫の両親は面食らったようだ。
母に脇腹を肘で突かれて、父が明人に声をかけた。
「霧島さん、顔を上げて下さい。君がやった事は親としては許せんが、薫が君の隣に大人しく座ってるという事は、少なくとも同意の上ではあったんだろう。それで、病院には行ったんだろうな?」
「はい、二日前に陸上競技場から薫をさらったその足で行ってきました。どうも私の勘違いだったようでして、薫は妊娠していません。学業にもスポーツ活動にも問題なく取り組める状態です」
両親に確実に誤解されていると、薫は父の言葉から感じ取っていた。ヤってないし、隣に座る男とは付き合ってすらないと言えたら、どれだけいいだろうか。
でも、話に口を挟むなと言われているし、そもそも付き合ってないってバレたら学費が援助してもらえなくなる。
とっても不本意だけれども、この場合は『沈黙は金なり』だ。薫は黙って明人と父のやり取りを見ているしかない。
「これも何かの良い機会だ。薫、この家に戻って来なさい。私は元々、おまえの大学進学には反対だったんだ」
「ちょっと待って!」
これには、流石に薫も口を挟まずにはいられなかった。大学を中途退学して地元で働くにしても、不況の世で技能も資格も経験もない女性が、ただでさえ仕事がない田舎で、正社員や市役所の職にすぐ就けるとは、到底思えなかった。
それに、私は学び続ける為の手段を確保している。ここで中断させられるなんて、冗談ではなかった。
「学費が払えないんだ。諦めるしかない」
「お義父さん、私から提案があります。耳を傾けてもらえないでしょうか?」
「君にお義父さん呼ばわりされる理由はない!」
父は顔を真っ赤にしていた。「お義父さん」と呼ばれたのが、余程、癇に障ったようだ。明人は父の怒声をどこ吹く風とさらりとかわして話し続けた。
「薫の学費は私が出させて頂きますので、薫を大学で勉強させてやって欲しいのです。特待生資格がなくなったのも、元を言えば私のせいでもあるのですから……」
「でも、いいんですか? 私立の大学の学費は高いんですよ」
母が懐具合を心配して明人に聞いてきた。
「大丈夫です。あと、先日、薫が借りていたアパートが焼失しているので、私との同居を認めて頂きたい。セキュリティがまともについていないアパートよりも、私の家の方が安全でしょう」
いやいや、別の意味で危険じゃないのか?
薫は思わず突っ込みそうになった。
酔っ払って、真理さんと私を間違えたのは、誰でしたっけ?
そもそも、未婚の男女が一つ屋根の下という状況は、あまり褒められたものではない。
「許さん、私は許さんぞ!」
父が立ち上がって部屋を出で行こうとするが、母が父のシャツの端を掴んで引き留めた。
目だけで父に座るように伝える母は、立山家で最強の人物でもある。渋々、腰を落ちつけた父を確認すると、母は初めて薫に対して口を開いた。
「それで、薫はどうしたいのかしら?」
「私は大学で勉強を続けたい」
母の目を見て、薫は正直な気持ちを伝えた。
ここで母の援護が得られなければ、父を説き伏せる事は難しそうだと、薫は感じた。
私が大学で法律を学ぶと決めたのは、家族を守りたいが為だ。その家族との繋がりが決定的に破壊されてしまったら、私が大学で学ぶ意味も失われてしまう。
「霧島さんは、薫の事をどう考えていらっしゃるのかしら?」
「薫とは結婚を前提に交際をしています。薫の大学卒業後に、結婚を考えています」
明人の簡潔な答えを聞いた母は、にっこり笑って、渋面を作って両腕を組んで座っている父を説得し始めた。
「ねえ、あなた。ちっとも女らしくない薫に、結婚しても良いって言ってくれる男性が現れたのよ。最終的に結婚するなら、同棲期間が長くなっても良いんじゃないかしら? こんなお得物件、今、逃したら二度とないわよ。薫の学費も出してくれて、東京での生活の面倒まで見てくれるんですよ。それに、あまり反対ばっかりしていると、薫は顔を見せに帰ってくれなくなります」
父は暫く黙って、母の言葉を聞いてきた。母が喋り終ると、父は明人に向って質問を投げかけてきた。
「4年間で薫を大学卒業させてくれるんだろうな? 間違っても、腹に赤子が宿って、休学や中退するのは認めない」
「もちろんです」
「正月とお盆は、君と薫、二人そろって実家へ戻ってくること。これは結婚した後も守って欲しい」
「仕事の都合がつく限り、こちらへ顔を出させて頂きます」
明人は、父の懸念に対して一つずつ丁寧に答えを返していく。
ふんと鼻を鳴らして、父はシャツで拭いた右手を明人に差し出した。
「薫をよろしく頼む。幸せにしてやって欲しい」
「必ず幸せにすると誓います」
頭を下げた父の右手に、明人の右手が重ねられた。
その光景は、まさに突然現れた娘の伴侶を受け入れられない父親と伴侶との和解の図だった。
明人は俳優だ。演技に長けているのが当たり前とはいえ、こじれそうな話をここまで上手く纏め上げる事ができるなんて――。
きっと彼には人たらしの才能もあるに違いない。気を付けよう。
大学で勉強が続けられる事にどこかほっとしていた薫は、明人に関する注意項目に新たに付け加えた。
2013.05.22 初出