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おねえさんとはちみつくん―コーヒーブレイク―

橘さんの憂鬱

作者: 高野環奈

形にしたいと考えている連載小説『おねえさんとはちみつくん』の登場人物がどんな人物なのか練っていたら生まれた話なので、唐突に始まって唐突に終わります。

 聞き覚えのある、透き通った声が聞こえた気がした。

 しかも私を呼んでいたような気がして思わず振り向く。隣で橋本くんもきょろきょろしていたから間違いない。

 視線をさまよわせると、動き続ける人ごみの中、藤原くんがとろけそうな笑顔を浮かべて手を振っているのが見えた。

 うそ、こんなところで会うなんて!

 つい嬉しくなってしまって駆け寄る。藤原くんもこちらに向かってきたから、ほんの数歩で距離は埋まった。


「藤原くんじゃない! 偶然だね」


 いつもより弾んだ声になっているのが自分でもわかる。隣で喉を鳴らすような笑い声が聞えて、あ、と視線を向けた。どうしよう、さっきまで夢中になって橋本くんに話していたのを忘れていた。

 まさか本人に会うなんて思っていなかったせいだ……!

 慌ててフォローを入れるべく、橋本くんにひそひそ話を持ちかけた。


「ど、どうしよう橋本くん」

「何が」

「彼なの」

「え?」

「私が言ってた人。ほら、さっき話してた藤原くん。会社の後輩で、私が、その、けっこうタイプかも、って話した……」


 最後の方はあまりに恥ずかしすぎて尻つぼみになってしまった。変な汗が出てきてしまいそう。

 橋本くんは顔だけは真剣に聞いているそぶりをしてくれていたけれど、肩が完全に震えている。

 笑いをこらえているんだ。そうよね、私がさっきまでぺらぺら話していた「後輩くん」が目の前に現れたんだもの。

 興味津津で仕方ないって思ってることくらいお見通しよ。

 橋本くんは最後まで私の話を聞き終えると、意地の悪い笑顔を浮かべた。ろくでもないことを企んでいますと言わんばかりね。


「よし、わかった。僕に任せといて」


 や、やめてえええ。

 止める間もなく、橋本くんはひどく挑戦的な目つきをして藤原くんを上から下まで眺めた。

 私の知り合いの中で橋本くんはかなり長身な方だけど、こうして見ると藤原くんもなかなかの高身長だ。

 見た目がかわいい系だし、普段は座っている姿の方が多いから気付かなかったのね。


「へえ、キミが真琴の言ってた後輩くんか」

「初めまして、藤原といいます。橘さんにはいつも良くしてもらってるんです」


 そこで橋本くんがちらりとこっちを見る。……何よ、前から言ってるでしょう、私は先輩キャラなの。

 後輩に対する面倒見はそこそこ良いはずなんだから。


「……あの、お名前を伺っても?」


 藤原くんは礼儀正しすぎるくらいに橋本くんに尋ねた。

 通りすがりでちょっと話すことになっただけの、私の友人に対してもきちんと名前を聞くなんて。


「ああ、ごめん。橋本です。真琴とは大学からの付き合いなんだ。これ、よかったら」


 橋本くんも橋本くんで、どうやら藤原くんのことを気に入ってしまったらしい。

 こんな短時間で名刺を渡すことなんかないくせに、藤原くんにはあっさりと名刺を渡してしまった。

 普段はこっちにいないんだから、こっちで個人に対して売り込みをしたって仕方ないでしょうに。

 それよりこのままじゃ藤原くんと橋本くんの会話になってしまう。橋本くんを調子に乗せると藤原くんが困ることになるのは目に見えているから、とりあえず口をはさむことにした。


「藤原くんは私の同期がOJTしててね、その関係で仲良くしてるんだ」


 なんとか肯定して欲しくて、そうよね、と続けてしまう。またしても隣で橋本くんが笑いをこらえている素振りを見せたけれど、今度は黙殺することにした。

 それよりどうしてこんなところにいるの?


「ね、今日はどうしたの? 誰かと待ち合わせ?」


 もしもデートだったら……、と考えると何とはなしに気持ちが落ち込んでしまいそう。

 いくらタイプだからって言ったって恋愛感情があるわけではないけれど、それでも面と向かって彼女の存在を聞かされたら、橋本くんが止めたとしたってやけくそになる可能性は大いにあった。でも。


「そんなところです。橘さんは……もしかしてデートですか?」


 実際に言われてみると、遠回しにデートだって認められてしまったことの衝撃より何より、橋本くんと私がデートしてる、って思われた方がびっくりで噎せそうになった。

 よりによって、私たちがデート?

 ないないない。絶っ対に有り得ない。

 見てよこの橋本くんの顔。人をからかい倒すことが趣味だって言ってはばからない性格の悪ーい男が、ここ数時間で最も楽しそうにしている。完全におもちゃを見つけたときの顔だ。


「そう見える?」


 ほらやっぱり! 言うと思った!

 さっき私言ったわよね、藤原くんのことけっこうタイプかも、って! どうして誤解を招きそうなことばっかり!


「こら。橋本くん、私のかわいい後輩をからかうのはやめて。ごめんね、彼、人をからかうのが好きで」


 じと目になりながら橋本くんの脇腹をゲンコツで押しやる。橋本くんは全然こたえてないのか、どこ吹く風といった調子だ。この外道、と言いたくなるのを我慢できた私を誰か褒めて欲しい。


「はいはい、真琴は後輩くんに優しいもんな」

「そうよ。いくら橋本くんでもこの子に手を出したら許さないんだから」


 もちろん、余計なことを言い始めても許さないわよ、と橋本くんをにらみつける。


「おお、こわ。いいか後輩くん、こいつ怒らせると怖いから気をつけた方がいいぜ」

「ちょっと、もう! 橋本くんのばか!」


 後先考えずにばか、と言ってしまってから、さあっと顔から血の気が引くのがわかった。

 職場では出来るだけ落ち着きを持って話すようにしてたせいで、暴言なんて全然出てこなかったのに。

 泣きたいような気持ちになりながら藤原くんにぎこちなく笑ってみせる。


「藤原くんも本気にしなくていいのよ?」

「ほらな」


 出来れば今のやり取りは夢だったと思って忘れて欲しいくらいだけど、無理なお願いはするまい。

 不審げに見られなかったところを見ると、どうやら無事に笑顔は作れていたようだ。

 それでも揚げ足を取るようにしてホールドアップした橋本くんを心底うらめしく思う。後で覚えときなさいよ、奈緒に全部言いつけてやるんだから。

 心にしっかり誓った私の背中に向かって、おずおずといった様子で藤原くんの声がかかった。


「橘さん、呼びとめちゃってすみませんでした。もうすぐ友人も来ると思うので、俺、これで失礼します」


 藤原くんはそれから、と橋本くんを見て、


「橋本さん。名刺をどうもありがとうございました。もし俺に何かあった時は、橘さんのよしみってことで力になってくださると嬉しいです」


 と深く頭を下げた。ああ、もう。藤原くんがそんなにしなくていいのに。橋本くんは藤原くんのつむじを見つめて至極満悦そうに頷いている。

 本当に気に入られちゃったのね……。


「もちろん。……そうだな、真琴の後輩なら僕の後輩っていっても過言じゃないしね、いつでも助けるよ」


 優しそうな口調からはわからないけれど、私なりに彼の言葉を意訳するとこうだ。


「真琴の後輩なんかじゃなくたってキミが相手ならいつでも力を貸すから、連絡しておいで」


 いっそ清々しいほど美形に弱い男よね、あんたって。

 内心で毒づいていると橋本くんがこちらを見てにやりとした。やばい、これはばれている。


「それじゃあ、また会社で」


 そうこうしている内に藤原くんはさっさと離れていってしまった。

 ろくに話せなかったな……。っとに、橋本くんが好き勝手言わなければ!


「いいコじゃないか。真琴にはもったいないくらいだ」

「あのねえ、散々ひっかきまわしといて一言目がそれ?」

「ああ。しばらく話してみて、どれだけ真琴の好みにストライクなのかよーくわかった」


 かなり挙動不審だったぞ、と告げられて心の底から今日の朝まで戻りたくなった。

 藤原くんに会うってわかってたら、橋本くんにあんなに藤原くんのことを喋ったりしなかった。

 今夜はずっとこのネタをつまみにいじられるのかと思うとやりきれない。


「でも、まあ、手ごたえはあったんじゃないか。良かったな。気に入られてるよ、真琴」

「はあ……?」

「後輩くん、僕のことずっと気にしてた。彼氏じゃないかって疑ってたんだろうな。はっきりと否定しなかったから、今頃ぐるぐるして悩んでそうだ」

「はいはい、下手くそな慰めをありがとう。藤原くんがそう思ってるわけはないと思うけど、今度会ったらきちんと橋本くんとの仲は否定しておくから安心して」

「……やれやれ。そうだね、よろしく」


 橋本くんはゆるゆると苦笑して肩をすくめた。

 私がけっこう本気で落ち込んでいるのがわかったのかしら。


「さ、そろそろ奈緒たちも着く頃だし、行こう? 今日は飲むわよ」

「大して酒が強いわけでもないくせによく言うよ。僕が真琴の世話しなきゃならないなんて御免だからな」

「何言ってるの? 泥酔するなんて社会人としてのマナーがなってないわ。みっともなく酔う前にやめるわよ。そのかわり、うんと美味しいお酒をいっぱい藤原くんにおごってもらうんだから」

「はいはい、()()()()ね」

「もう!」


 にやにやする橋本くんの背中をたたきながら、私は奈緒たちとの待ち合わせ場所に向かって歩き始めた。


 後から思い返してみれば、このことがきっかけで今の私たちがいるような気もするのだけど、それはまた別のお話。

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