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私、魅了魔法なんて使ってません! なのに冷徹魔道士様の視線が熱すぎるんですけど  作者: 紗幸


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41 エスコート


 翌朝。

 陽の光が柔らかく差し込む食堂で、カイルさんとマリアベル様と朝食を囲んでいた。優雅な食器の触れ合う音が静かに響く中、カイルさんがふと手を止め、声を落とした。


「昨日、ゼルフィが来ていたんだろう?」


 私は僅かに息を詰めてしまい、「はい、少しだけ話をしました」とだけ答える。


 その瞬間、マリアベル様の視線がふとこちらに向いた。けれど詮索するでもなく、優雅に紅茶を口に運ぶ。場の空気は崩れなかった。むしろそれが、余計に胸を締めつける。


(カイルさんには、言えないことも多いはず……)


 そう理解しているのに、少し踏み込めば、「どうして話してくれないんですか」と責めるような言葉が口を出てしまいそうな自分が怖い。

 何の立場も力もない私が、口を挟むなんてできるはずがない。それでも、胸の奥では彼のことを想う気持ちがふくらんで判断を鈍らせる。

 ゼルフィから聞かされた「ヴィオラ殿下がカイルさんに強く関心を抱いている」という言葉も、ずっと頭から離れない。



(こんな時こそ、力をつけることだけを考えないと。気持ちに振り回されている場合じゃない)


 そう言い聞かせるように、午前中は庭の片隅で魔法の練習に没頭した。息を整え、魔力を巡らせるだけで、胸に積もっていた重さが少しずつ空へ溶けていくのを感じた。練習に没頭している間は、余計なことを考えずに済む。

 むしろ、救われたような気持ちだった。

 

 日中は、マリアベル様から夜会でのマナーや、ドレスを美しく見せる歩き方、そしてカーテシーの角度などを熱心に学んだ。

 召喚されてすぐ、王城にいたときに最低限の貴族としての振る舞いは少し教えてもらってはいたが、まさか、これほど本格的に実践する日が来るとは思ってもいなかった。


 さらに、家令のアルバートさんにダンスの練習まで付き合ってもらうことになった。マリアベル様に朗らかに押し切られ、半ば強制的に練習することに。

 足捌きに気を取られると腕の角度が崩れ、姿勢を意識すると今度はリズムが遅れる。

 アルバートさんは「十分に上手ですよ」と優しく言ってくれたし、マリアベル様も「慣れれば大丈夫よ」と微笑んでくださった。それでも、自分でははっきり分かってしまった。


(ああ、私ってこういうの向いてないな)


 そもそも、誰かとこの距離感で息を合わせて踊るなんて経験は一度もない。無理に背伸びするくらいなら、夜会では踊らないほうがいい。そう静かに、心の中で決めた。



 慌ただしくも充実した時間が過ぎ、とうとう夜会当日を迎える


 結局、カイルさんにカフスボタンは渡せないままだった。





 夜会当日の朝。


 朝の光が差し込む広い玄関で、出勤するカイルさんを見送った。

 彼はいつも通り静かに、「行ってくる」と告げて外へ向かった。その背中が見えなくなるまで思わず見送ってしまう。


 扉が閉まった瞬間、マリアベル様が「さあ」と軽く拳を握って微笑んだ。


「さあ、ユイさん。今日はいよいよ大詰めよ」


 夜会の準備は、日の高いうちから始まるとは聞いていた。でも、実際は想像以上だった。


 侍女たちが総動員され、肌の手入れ、髪のケア、香油の選定がされる。

 侍女たちは慣れた手つきで作業をすすめ、穏やかな声をかけ続けてくれた。昼食は喉を通らず、ヴィオラ殿下との対面を思うと余計に緊張が増した。


 仕上がったドレスは息をのむほど美しいものだった。

 水色のドレスは、夜空の星を映したような淡い色をしており、布地の光沢とチュールに施された繊細な刺繍が、動くたび儚く煌めく。胸元のレースは鎖骨を美しく見せ、特急で仕立てたとは思えないほど私の体にぴたりと馴染んだ。


 入念にメイクが施され、侍女たちの総力が注ぎ込まれた結果、鏡に映ったのは華やかで洗練された別人のような姿。 


(本当に私? 違う人みたい……)


 仕上がれば仕上がるほど、胸の鼓動は激しくなり、言いようのない緊張が走る。マリアベル様は、私の傍らで優しく微笑んでいた。


 今日のマリアベル様は深い紫色のドレスだった。夜の闇に溶け込むようなベルベット生地は高貴な艶を放ち、首元には大粒の真珠のネックレスが輝いている。

 完璧に整えられた金色の髪、凛とした顔立ち。侯爵夫人としての威厳がその姿だけで伝わり、私は見惚れてしまった。


「ユイさん、大丈夫よ。とても綺麗だわ」


 その優しい声に、少しだけ胸の緊張がほどけた。





 夕刻。すべての準備が整い、息苦しいほどの緊張に包まれていると、マリアベル様がそっと私の手を取る。


「さあ、ユイさん。行きましょう」


 侯爵家の広大な玄関ホールへ降りると、そこには朝、仕事に見送ったはずのカイルさんが立っていた。


 彼は、夜会にふさわしい黒の正装に身を包んでいた。侯爵家の格式を示すかのような、銀糸の紋様が施された上質なフロックコート。 

 普段は額に落ちる柔らかな髪は、完璧な角度で後ろに撫でつけられ、端正な顔立ちを隠すものは何一つない。

 首元には白いタイが結ばれ、黒いラペルピンが控えめに光り、彼の落ち着いた雰囲気に、一瞬の隙もない圧倒的な格式と色気が加わっていた。


 彼の姿に思わず息を飲む。その完璧な姿に視線を離すことができなかった。

 

 その視線に気づいたカイルさんは、固く結んでいた唇をゆるめ、驚くほど柔らかく微笑む。その表情に胸がほどけるような温度が宿り、さっきまでの緊張が一瞬で薄れていく。


「あれ、カイルさん? な、なんで……?」


 戸惑う私に、彼は優雅に一歩近づいた。


「ユイのエスコートのために戻ってきた」

「で、でも、ヴィオラ殿下のエスコートはいいんですか?


 その名を口にした瞬間、カイルさんの瞳がほんのわずかに揺れた。気のせいかと思うほどの些細な変化。


「彼女のエスコートはイリアスが担当することになっている」


 カイルさんはすぐに視線を戻し、淡々と告げた。彼の姿を見ただけで、純粋な安心感と嬉しさが胸を満たした。マリアベル様も、まるで全部知っていたように微笑んでいる。


 カイルさんは少しだけ感嘆の息を漏らすと、深く澄んだ声で言った。


「本当に、綺麗だ」


 そのまっすぐで飾りのない褒め言葉が胸の奥に落ちてくる。瞬く間に顔が熱くなり、火照りが耳の奥まで広がっていくのが分かった。


 カイルさんは、優雅に片膝を軽く曲げて私に一礼するような姿勢をとる。


「今宵のエスコートを務めさせてほしい」

 

 低く柔らかい声。けれど芯の通った、揺らがない眼差し。


「……はい。お願いします」

 

 彼が私の手の甲に唇を寄せ、「光栄だ」と低く囁く。その洗練された所作の一つひとつがあまりに優雅で、心臓が自分のものではないように乱れ始めた。



 

「ユイ様、こちらをどうぞ」


 馬車へ向かう直前、メリアさんが小さなバッグを差し出してくれた。軽く礼をして受け取ると、バッグの隙間から小さな箱──私が買ったカフスボタンが見えた。


 息が止まるほど驚いて、思わずマリアベル様を探す。けれど彼女は、まるで全部承知の上でというふうに、優雅に微笑んで告げた。


「私は別の馬車で向かうわ。あなたたちは先に行ってね」


 つまり、馬車の中はカイルさんと私、二人きりになる。

 閉められた扉の音とともに、馬車が動き出す。密室になった空間に、一気に緊張してしまう。

 

 カイルさんと視線が合うと、完璧な夜会服に身を包んだ彼の洗練された姿に魅了されそうになる。


「あの、カイルさん……」


 震える声を落ち着けようとしながら言葉を続けた。


「こんな素敵なドレスを、本当にありがとうございます」


 彼は目を細めて、私の水色のドレスにもう一度視線を巡らた。


「似合っている。今日のユイは一段と綺麗だ」


 彼の瞳が優しい。心臓が早鐘のように打ち、頬まで熱を帯びていくのが分かった。

 私は膝の上のバッグに手を伸ばし、小さな箱をそっと取り出した。


「あの、これは……ドレスのお礼というほど立派なものではないのですが、その……」


 箱を差し出すと、カイルさんは一瞬驚いたように目を見開いた後、優しく受け取った。箱を開け、黒いカフスボタンを目にすると、彼の表情は一段と和らいだ。


「これは、もらってもいいのか?」


 彼はしばらくカフスを見つめたあと、静かに自分の袖口に手をかけた。


「今、付けてもいいか?」


 少しだけ息を飲み込み、私は頷く。


「は、はい。もちろんです。あっ、手伝います!」


 慌てて身を乗り出し、震える指先で彼のシャツの袖にカフスボタンを嵌め込む。触れるたびに、彼の手首の温かさが伝わり、心臓はますます激しく跳ねた。

 交換が終わると、カイルさんは袖口を優雅に翻し、黒い石の輝きを確認してくれた。


「美しいな……ありがとう、ユイ。大切にする」


 嬉しそうに微笑む彼の顔を見て、私の強張っていた顔も自然と綻んだ。



(ああ、この人のためなら……)



 カイルさんの笑顔は、私のすべての不安を吹き飛ばす力を持っていた。彼の為ならどんな困難が待っていても進んでいける。


 そう強く思わせるほど、彼の笑顔は温かかった。





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