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私、魅了魔法なんて使ってません! なのに冷徹魔道士様の視線が熱すぎるんですけど  作者: 紗幸


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39 癒やし


 夕食は、マリアベル様とともに侯爵家の食堂でいただいた。


 長いテーブルの中央には季節の花が飾られ、柔らかなランプの光が銀食器に淡い輝きを落としている。静謐でありながら温かい、まるで家族の団欒のような空気がそこにはあった。


 マリアベル様は、食事を楽しみながらカイルさんの幼い頃の話をいくつも教えてくださった。

「カイルはね、本当に主人の性格にそっくりなのよ。ああ見えて昔から真面目で、何かと抱え込みがちで。もう少し肩の力を抜いてくれればいいのにって思っていたわ」


 その言葉があまりに柔らかくて、胸の奥にじんわりと温かさが広がる。

 遠い領地の話も出て、豊かな湖と森、澄んだ空気──想像するだけで胸が膨らむようだった。


「領地にも、いつか一緒に行ってみましょう。きっと気に入ってもらえるわ」


 そう言われ、思わず頬が緩む。未来の楽しみがひとつ増えた。


 食事が終わる頃、控えていた侍女がそっと近づき、「カイル様がお戻りになりました」と告げた。

 本当は出迎えに行くべきなのかもしれない。でも、お母様とカイルさんには積もる話があるだろうと思い、私は席を立って自室へと向かった。


 去り際、マリアベル様がふと私を呼び止めた。


「そのドレス姿を、カイルに見せてあげてほしいわ」


 そう言われて、胸がきゅっと縮こまる。華やかな橙色のドレスを、わざわざ見せに行くのはあまりにも恥ずかしすぎた。だから曖昧に笑って、結局そのまま部屋へ戻った。

 


 しばらくすると、控えめなノックの音がして、扉の向こうからマリアベル様が現れた。手には小さな銀盆。その上には湯気の立つ香りのよいスープが置かれている。


「ユイさん、これをカイルに持っていってあげてくれないかしら? 夕食は要らないって言うのよ。でも、何か口にしたほうがいいでしょう? 私が言っても食べてくれないのよ」


 微笑みながらも、どこか困ったような声音だった。私は「では着替えてから──」と言いかけたが、すぐに優しく制される。


「冷めてしまうわ。今のままで大丈夫よ」


 やんわりと言われてしまっては、もう断れない。胸の奥がじわっと熱くなるのを感じながら、私は深呼吸して、橙色のドレスのままスープの盆を受け取った。

 廊下を歩くほどに緊張が増す。ドレスの裾が擦れるたび、いつもより心臓の音が大きくなる。



「……カイルさん、入ってもいいでしょうか」


 そっとノックをして声を掛けると、すぐに低い声で「どうぞ」という返事が返ってきた。扉を開けると、カイルさんは書類を机に広げていた手を止め、こちらを見ていた。その目が、驚きに大きく揺れている。


「ユイ……?」


 視線は私の橙色の華やかなドレスと、手に持ったトレーを行き来した。そして、カイルさんは小さく息をついた。


「……母上がやったのか?」

「はい。そうです」


 途端に顔が熱くなった。スープを持ってきただけなのに、まるでこの格好を見せたくて来たみたいじゃないか。俯いて、「似合わないですよね……恥ずかしくて」と小さく呟いた。


 カイルさんが、静かに一歩、また一歩と距離を詰めてくる。息が触れそうなほど近づいたところで、そっと私の髪に指先を触れた。

 やわらかくすくい取るような仕草。そのまま青灰色の瞳で、まっすぐに私を見つめる。


「いや、似合っている」


 低くて、熱を孕んだ声だった。胸の奥で、心臓が跳ねた。鋭い痛みのように「ドクン」と鳴り、その音が耳の奥に残る。

 私はスープの盆を持つ指先まで熱くなってしまって、思わず身じろぎした。


「……ありがとうございます」


 絞り出すように言うと、カイルさんは優しく微笑んだ。


「話したいことがある。少しだけいいか」


 低い声でそう言われ、部屋に促される。

 落ち着いた色調で揃えられた家具、広い執務机には整然と積まれた資料や厚い本。壁際の本棚には、魔法学や戦術書らしき背表紙がずらりと並び、それらの前には革張りのソファとサイドテーブル。

 部屋全体に漂う静かな重厚感は、彼そのもののようだった。


 ソファテーブルにスープを置くと、カイルさんに座るように促された。隣に座ったけれど、距離が近くてなんだか無駄にドキドキしてしまう。

 団服を着崩したカイルさんは、肩にかかる青い髪が少し乱れている。疲れの色が濃く見えた。


「先に、ポーションの話だ。例のピンクに変色したものの鑑定結果が出た」


 そう切り出された瞬間、私は背筋を伸ばした。


「鑑定師の判断では、上級を超えて『特級』に相当するらしい」

「特級……!」


 一流の調薬師でも滅多に作れない、特別な領域。


「効果の詳細を確認するため、希望した一部の貴族や魔道士に試供している。だが……色の意味や、なぜ変色したのかは依然として不明だそうだ」


 その言葉に、色の原因が知られずに済んだことに少しだけ安堵した。

 そして、話はラザード公国から来たヴィオラ殿下のことに移った。


「殿下は今、王城で表向きは魔法の指導を受けている。だが、それと並行して、偽聖女が使用した薬の流出による事件のことを公にご存知で、今後の流出に対する対応の話し合いが行われている。そして、これはラザード国に関係ない話だが……」


 カイルさんは声を落とした。


「クロノス大聖堂に侵入者が入った。古い文献などが盗み出されたらしい」

「そんなことが……可能なのですか?」

「王城に比べると弱いとはいえ、王宮の魔道士が施した結界が破られている。盗まれたのは、大聖堂の設立に関する資料や歴史書だったそうだが……」


 強力な結界を突破できる人なんてそんなにいるのだろうか。私は自然と息を呑んだ。


「騎士団と魔道士団はすでに捜索に動いている。だが、手がかりがなく捜査が難航している」


 カイルさんは椅子にもたれかけ、額に指を当てた。その仕草が普段よりずっと重く見える。


「それ以外にも、薬の流出事件の後処理、国内の魔法器具の規制見直しなどで各所から報告が山のように届いていて、時間が足りてないな」


 ぽつりと零れた声は、あの冷静なカイルさんには珍しく疲労がそのまま滲み出ていた。普段なら淡々と処理してしまうはずの報告や判断が、今は彼の肩に重くのしかかっているのが分かる。そんな彼の様子を見て、胸の奥がきゅっと痛んだ。


「カイルさん、本当に大変な状況なのですね。あの……疲労回復のポーションを作ってきましょうか?」


 そう言った途端、カイルさんは一瞬言葉を失ったように黙り込んだ。感情の読めない視線がゆっくりと私に向けられる。

 そして、低く押し出すような声で問いかけてきた。


「……癒やしてくれるのか?」

「はい、もちろんです! すぐに作ってきますね」


 そう言って立ち上がろうとした瞬間、ふいに手首を掴まれた。驚くほどあたたかい掌。驚いて手を引こうとすると、余計に指が絡みつく。


「……違うものでも、いいか?」

「え? 違うものって?」


 問い返した瞬間、彼の青灰色の瞳が揺れた。その無言の数秒が余計に胸をざわつかせる。


 次の瞬間。


 ぐいっと腕を引かれ、その勢いのままカイルさんの身体へ倒れ込んだ。


「きゃっ!」


 気づけば、膝の上に座るような形で抱きとめられていた。


「す、すみませんっ! すぐに離れ──」


 慌てて立ち上がろうと身じろぎしたが、カイルさんの腕が私の腰に回され動けなくなった。腰をしっかりと絡め取られ、彼の温かい体温が背中越しに伝わってくる。


「えっ、あの……」


 言葉を失っていると、カイルさんは私の耳元に顔を寄せ、熱を持った声で囁いた。


「俺を、癒やしてくれるんだろ?」


 彼は頭を私の肩に埋めてきた。さらりとした青い髪が首筋や耳をかすめ、甘く肌をくすぐる。

 抱きしめられているという状況に気づき、心臓が激しいリズムを刻み始めた。胸が破裂しそうなほどの動悸だった。


「ちょ、ちょっ、カイルさん!?」

 身をよじるが、彼の腕は緩む気配がない。


「ユイは、温かいな」

 彼は満足したようにそう言った。


「いや、スープのほうが温かいですよ……」

「ユイのほうがいい」


 甘えるような断定的な声に、鼓動はさらに加速した。全身の血が頭に上るのを感じる。

 艶のある青髪が横目に映る。いつも冷静沈着なカイルさんが、こんなにも無防備な状態になっているなんて、本当に疲れが極限に達しているのだろうと思った。

 ドキドキしつつも、そのサラリとした青髪にそっと触れてみた。優しくふわりと撫でると、その柔らかな感触がひどく心地よく、クセになりそうだ。やわやわと髪を撫で続ると、カイルさんが低く唸った。


「やめろ。俺に魅了をかけるな」

「だから、かけてませんってば」


 慌てて手を止めたが、カイルさんはゆっくりと顔を上げた。至近距離で目が合うと、青灰色の瞳に引き込まれそうになる。その視線は、強い渇望を帯びた熱を放っていた。


「ユイ……」


 名前を呼ばれただけで、胸の奥に熱が広がる。




 ──その時だった。


 コンコンコン! と強いノック音とともに、ドアが勢い良く開いた。


「ねぇ、ユイさんはまだいるかしら?」


 カイルさんの母、マリアベル様が勢い良く部屋に入ってきた。その瞳に映ったのは、膝の上にユイを座らせ、抱きしめている息子の姿だった。


 マリアベル様は顔を赤らめて慌てた後、「あらあらああらあらお邪魔してごめんなさぁぁいっ!!」と叫ぶように言いながら、一目散に部屋から飛び出していった。しかし、少しだけ開いた扉の隙間から、興味津々な緑の瞳が覗いているのがはっきりと見える。


 恥ずかしさのあまり、カイルさんから勢いよく飛び退き、ドアへと小走りした。振り返って、カイルさんに叫ぶように「おやすみなさい!」と告げ、バタン! と扉を閉めた。


 扉の向こうから、カイルさんの堪えきれないような笑い声が聞こえた気がした。


 マリアベル様は私を捕まえ、「ユイさん、ごめんなさいねぇ……」とひたすら謝っている。「そういうのじゃありません!」と力強く否定しておく。

 自室へ帰りながらも、「えぇーでも、抱きしめてたわよぉー」と言うマリアベル様に、「寒かったらしいです!」と答えたけど、全く聞いている気がしない。お母様はひたすら嬉しそうだ。


 私の鼓動が、今夜おさまることはなさそうだった。



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