10 若手魔道士の戦い
午後の部に入ったころ、会場のざわめきが一段と大きくなった。
陽射しが少し傾き、魔法陣に刻まれた紋様が金色に輝く。観覧席の熱気は増し、声援と魔力の光が空気を震わせる。セレナと共に若手魔道士たちの戦いを見ていた。
「午後の試合、レベル高いわね」
「新人魔道士団の子たち、すごいね」
目を細めて、次々と放たれる魔法を見つめた。炎、氷、風──それぞれの属性が美しく交錯し、観客の歓声が絶えない。
ふと、ひときわ大きな音が響いた。
爆ぜるような魔力の衝突音。舞台の片側で、光が乱れ、土煙が上がる。
「えっ!?」
「魔法の暴発よ!」
セレナの声とほぼ同時に、観客席がざわめきに包まれた。
見れば、対戦していた若い二人の魔道士が倒れている。一人は炎属性を操る青年で、先ほど勢い余って魔力を暴走させたらしい。もう一人、氷魔法の使い手の男性も巻き込まれ、腕や足を押さえて苦痛に顔を歪めていた。
審判団がすぐさま結界を張り、治癒師が呼ばれたが、大会の規模が大きすぎて対応が追いつかない。倒れた二人は、介助されながら裏へと運ばれていった。
「大丈夫かな……」
胸の前で手を握りしめた。セレナが軽く息をついて、肩を叩く。
「こういう事故、時々あるのよ。大きな大会だからね。でも……気の毒ね」
それでも祭りは続く。
魔法で奏でられた音楽が鳴り響き、香ばしい匂いが漂い、街全体が熱気に包まれていた。セレナも屋台の一角で休憩をとることにした。氷魔法で冷やされた果実水を飲んでいると、セレナはふふんと楽しそうに笑った。
「ユイ、ちょっとこっちに来て。すぐだから」
「何があるの?」
「あっちの方見て。ほら、すごい人だかりよ」
セレナが指差した先。人の輪の中心には、露店風のテントが立ち、店主が忙しそうに紙束を売っている。
「あれ何を売ってるの?」
テントに近づくと、手にした女性たちの歓声が聞こえてきた。
「見て、団長様の新しいやつ出てる!」
「こっちは副団長様の笑顔バージョンよ〜!」
「きゃー! どっちも欲しいっ!」
「……プロマイド?」ぽつりと呟いた。
どう見ても、そこに描かれているのは魔道士団の面々だった。カイルを筆頭に、副団長様や色々な魔道士が描かれた、繊細で美しい肖像絵だ。
「うわ……完成度、高っ!」
どれも鮮やかで、今にも動き出しそう。
セレナが笑って肩をすくめる。
「そうよ。この時期になると、絵師たちによる人気魔道士たちの肖像絵が限定販売されるの。もう恒例行事ね」
思わず二度見する。
「会場限定よ。しかも、人気の絵は開場から一時間で完売するんだとか」
「そんなに人気なんだ……」
そのとき、視線がふと止まった。テントの中央に飾られた一枚。黒い制服の襟元を緩く外し、氷のように澄んだ瞳でこちらを見下ろす──それは、間違いなくカイルの肖像絵だった。
ほんの数秒、息をするのを忘れた。凛とした横顔、鋭さの中にある静寂。あの人が描かれると、こんなにも絵になるのかと驚いた。
「うわ……かっこよすぎ……」
思わず口をついて出た言葉に、自分で真っ赤になる。セレナがすかさずにやりと笑った。
「買わないの?」
「か、買いません」
「そう? あんなに見つめてたのに?」
「み、見てないからっ!」
焦って否定すればするほど、セレナは楽しそうに笑った。
「ほら。あの人たちを見てみなさいよ」
セレナが指差した先。そこには目が眩むほど“青”が集まっていた。青いドレス、青いリボン、青い靴、髪飾りまで青。統一された青の群れが、カイルのプロマイドを握りしめて興奮している。
「な、なにあれドレスコード?」
「カイル様のファンの皆さんよ」
「ファ、ファン!?」
セレナが面白そうに解説する。
「彼の深い蒼髪と青灰色の瞳をモチーフにした“推し色”ってやつ。会場中にちらほらいたでしょ? あの青は全部、彼のファンなの」
「……うそでしょ……」
思い返せば、たしかに会場にも青いリボンや飾りをつけた青い服装の人たちがいた。まさか全員、彼のファンなのか。
「ほら、あっちには副団長様の黄色軍団もいるわよ」
セレナが反対側を指差す。そこでは黄色のドレスを着た女性たちが、笑顔で副団長のプロマイドを掲げていた。髪も、アクセサリーも、きらきらとした黄金色。
「副団長様は金髪だったもんね……」
ぽつりと呟くと、セレナが笑った。
「そう。みんな、推しの魔道士様を全身で表現してるのよ」
「す、すごい世界……」
呆気にとられながらも、ちょっとだけ楽しそうに笑った。
(……これがこの世界の“推し活”ってやつ、ですか)
「筆頭魔道士様は一番人気だから、早めにゲットしないと売り切れるわよ?」
「だから、買わないから!」
「ほんとに? あとで後悔しても知らないわよ?」
その言葉を聞いて、ちらりともう一度カイルのプロマイドを見てしまう。
凍てつくような青の瞳が、なぜかこちらを見ている気がして──
「……いや! やっぱり無理っ!」
そう言ってぷいっと背を向ける。セレナがくすくすと笑いながら肩を叩いた。
「ふふっ。ねぇユイ? あなた今日は素敵な“青色”の服ね?」
「へ?」
自分の服を見る。今日の服は水色のワンピースだ。そして、はっと思い返して髪を触る。そこには、セレナが結んでくれた青いリボンがついている。セレナがニヤリと笑ってる。
(は、謀ったなぁ!!)
「今日の服は“水色”だから!」
「ごめんごめん、からかいすぎたわ〜」と悪びれもせず言うセレナを背に、ぷりぷりと歩いていると、慌ただしく走る王宮治癒師を見かけた。
「忙しそう……」
「ああ、今年は貴族の観覧者も多いものね。王宮治癒師たちもそっちの対応に呼ばれてるんでしょうね。小さな怪我でも『すぐに治してくれ』って、呼ばれてるんじゃないかしら」
「そうなの?」
「対応しないわけにもいかないもの、それに一般客の救護対応もしてるから人手が足りてないみたいね。ほら、向こうでも走ってるの治癒師でしょ」
見ると、腕章をつけた治癒師たちが、あちこちを駆け回っていた。治癒師たちが走っていくのは救護室の方向だ。
その様子に眉を寄せていると、ひとりの治癒師がこちらに気づき、駆け寄ってきた。
「ユイさん! 助けていただけませんか!」
「えっ、私?」
声を掛けてきたのは王宮治癒師のルシアさんだった。息を切らしながら必死に言葉を続ける。
「魔法の暴発があって、普通の治癒魔法じゃ治せない怪我が出てるんです。魔道士団に話をしたら、団長がユイさんに声をかけるようにと」
(……カイルさんが、私に?)
即座に頷いた。
「わかりました。私にできることならお手伝いします」
セレナと一旦別れ、ルシアさんに治癒師の白衣を借りながら、大会参加者の待機場へと向かった。
待機場の扉を開けた瞬間、肌を刺すような魔力のざらつきが広がった。空気には黒い瘴気が漂っている。待機場の隅に置かれたベッドには二人の若い魔道士が横たわっていた。
ひとりは暴発の張本人で、胸から腹部にかけて黒い魔力の痕が広がっている。
もうひとりは巻き添えを受けた銀髪の青年で、右肩から腕にかけて瘴気が絡みついていた。
「暴発した子は、魔力の逆流で体が侵されています。通常の治癒では……瘴気を取り除けなくて」
(なるほど、確かに瘴気が強く絡みついていては治癒に時間がかかる。浄化の力が必要で呼ばれたのね)
「わかりました。やってみます」
まずは暴発した青年の枕元に近づいた。
相当痛むのか、苦しそうに顔を歪ませている。額に汗が滲ませ、痛みに耐える彼の手をそっと包み込む。
「少し、冷たい感覚がありますけど我慢してくださいね」
「すみません……俺のせいで……」
「謝らなくていいですよ。心配しないでください」
優しく声をかけながら目を閉じた。掌に宿した光が白銀にきらめき、空気が静まり返る。ゆっくりと丁寧に癒しの魔法に、清浄の力を重ねる。
焦げた魔力の筋が徐々に薄れ、黒い靄が音もなく消えていった。すぐに傷を癒やす魔法もかけていく。
「……あ、あぁ……楽に……なった……」
青年の呼吸が穏やかになり、張り詰めた空気がふっと緩む。
(もう大丈夫そうね)
彼の言葉に頷き、額の汗をぬぐった。
「傷は治りましたが、しばらくは安静にしていてくださいね」
ルシアさんが息を呑んで見つめる中、次の青年の方へ向かった。
銀髪の青年は、じっとこちらを見つめていた。痛みよりも、彼の瞳に浮かぶのは焦りのようなものだった。肩から腕にかけて酷く怪我をしている。止血はしてあるが、相当痛むだろう。それなのに無理に身体を起こそうとする彼を、そっと止めた。
「動かないでください。傷が広がりますので」
「……試合に出なきゃならない。時間はどれくらいかかる」
その言葉に内心驚いた。こんな怪我を負った後でもまた試合に出るというのか。
「焦らないで下さい。あなたの中の瘴気を先に浄化しますから」
彼の腕にそっと手をかざした。
金属を擦るような魔力の音が空気を震わせ、薄青の光が走る。凍てついた氷の破片を溶かすように静かゆっくりと力を流した。
「……こんな魔力、初めてだ」
彼がが低くつぶやく。
「普通の治癒とは違う……芯まで届く感じがする」
「癒すというより、魔力の乱れを正す感じでしょうか。動くと乱れるので、少しじっとしててください」
光が収まったころには、腕の傷跡も瘴気も完全に消えていた。それを確認し、ゆっくりと手を離した。
「よし、これで大丈夫。無理はしないでくださいね」
「……すごいな。治癒師が何人も試して駄目だったのに。君は、一瞬で直した」
彼は自分の腕を握りしめ、ほんの少し笑った。
「ありがとう。これで試合に出られる」
「えっ、まだ動かないほうが……」
「君が治してくれたんだろう? なら、平気さ」
彼は軽く頭を下げると、すっと立ち上がり、闘技場へ続く扉へと歩いていった。
その背中を見送りながら、静かに息を吐く。
(無事に治せて良かった……)
彼の背に宿る光を見ながら「頑張って」とだけ呟いた。




